王子様と婚約したいのにシスコン兄のせいでダメかもしれない
日崎アユム/丹羽夏子
第1章 王子様と婚約したい!!
第1話 そして今日も婚約が破談になるのであった
貴族の令嬢に生まれたからには、自由な結婚は望んではいけない。
どれほど恋い焦がれる男性がいたとしても、まずは御家と御家の相性だ。
そんな実家の社会的地位と財産を考えた上での結婚を、ひとは政略結婚と呼ぶ。
けれど、レギーナはこの家の娘である以上仕方がないと割り切っていた。
というより、むしろそうであってほしいと思っていた。
政治とか経済とかののっぴきならない事情があるなら簡単に婚約破棄できないに違いない。
何が何でも破棄されない婚約をしたい!
ロマンチックなムードを意識してしつらえた庭のあずまやの屋根の下。
白くて華奢な簡易式の円卓にて、レギーナと婚約者候補、そしてレギーナの兄であり保護者代理人であるアーノルドの三人は、午後のティータイムを味わいながらレギーナと婚約者候補の未来について話し合っている――はずだった。
目の前で飛び交う会話のキャッチボールが、いつの間にか剛速球に変わっている。
「だから、結婚式は全面的にこちらの家に任せていただいてですね」
「足の悪い父をわざわざそちらに呼び出す気か! まあヴァージンロードは俺が歩くから問題はないが、それはともかくとして、まずは我がナスフ家ゆかりのある教会での式典で様子を見てからだ」
「こちらの立場としては王家の顔を立てて王都での式典の準備もあってですね」
「あんな弱腰の王家になど義理立てする必要はない! まずは我が家の格というものを見せつけるためにここでやる! そしてすべてをここで済ませこの子が何の問題もないということを確かめてから送り出すのだ」
「もういいではありませんか、支度金なら充分用意しましたし、
「貴様うちの大事な妹をあの程度のはした金の支度金で買っておいて何の心配もいらんと言うのか!」
それまでずっと黙って聞いていたレギーナだったが、とうとう我慢の限界が来た。
「あー!!」
レギーナは叫びながら立ち上がった。
そして、テーブルクロスの端をひっつかんだ。
婚約者候補と兄アーノルドの目がレギーナのほうを向いた。
ふたりとも驚愕に両目を見開いていたが、レギーナはもう限界だ。
斜め下に向かって思い切り、テーブルクロスを引っ張った。
テーブルの上に並べられていたティーポットやティーカップ、ケーキ皿などを残して、テーブルクロスだけが引き抜かれた。
茶器のたぐいは一瞬かちゃんと鳴ったが、テーブルから落ちたものも割れたり欠けたりしたものもなく、残っていた紅茶は一滴もこぼれなかった。全部無事だ。
お見事わたし、才能がある。
とかなんとか言っている場合じゃない。
レギーナは、引き抜いたテーブルクロスをテーブルの上に置くと、しおしおと椅子に戻った。
やってしまった。
今回も派手にやらかしてしまった。
「……すみません。つい」
婚約者候補がひきつった笑みを浮かべる。
「何と申しますか……、元気なお嬢さんですね」
聞きたくない。レギーナは極力しとやかに、おだやかに、いっそ少しおとなしいくらいに振る舞うつもりだったのである。それが貴族の令嬢というもので、理想の良妻賢母というやつではないのか。
「申し訳ないのですが――」
「やっ、やめてぇーっ」
「このお話は、なかったということに」
婚約者候補が立ち上がり、ご丁寧にも椅子をもとに戻して、静かに館のほうへ歩き出していった。きっとこれから帰り支度をするのだろう。この家の使用人たちがレギーナの婚約話がまとまることを期待し彼を宿泊させるつもりで用意していたのがすべて台無しになった。
レギーナはしばらく呆然と椅子に座り込んでいた。
屋根と庭に植えられた木々の間に抜けるような青空が見える。
おそらきれい。
正気を取り戻してわたし。
レギーナは自分の横にいる兄をにらみつけた。
兄は平然とした顔をして冷めた紅茶の残りを飲んでいた。
「兄様」
「何だ」
「破談よ」
「そのようだな」
レギーナはふたたび立ち上がり、円卓の上を叩いた。また、茶器ががちゃんと鳴った。割れなかったので問題ない。
「涼しい顔をしていらっしゃるけど、わたし、また婚約話が立ち消えたのよね」
「そういうこともある」
「記念すべき十回目ですけど」
「十回や二十回なんということもない。そう気を落とすな」
「誰のせいだと思ってるのよ!」
兄の手からむりやりティーカップを取り、ソーサーに戻した。そこはさすがに侯爵令嬢として生まれ育って十七年、怒りに任せてカップを地面に叩きつけたりはしないのである。
「この前はお兄様が城に上がるのに馬の乗り入れを禁止すると言い出して!」
「お前が強くてたくましい男がいいと言い出したからではないか。だいたい男児たるものまずは足腰、たかだか徒歩一時間程度の距離を登ってこれない程度の人間には何も成し遂げられないのだ」
「さらにその前はお兄様が土産に王都で城の全員に行き渡るような菓子を持ってこいと言い出して!」
「王都に顔が利くような人間でなければこの先たかが知れている。お前が王都の宮廷に自由に出入りできるようになるためにも人脈が必要だ。というかあの時はまずお前がどうしても王都のケーキ屋のケーキが食べたいと騒いだのだからな」
「どうしてわたしの冗談を真に受けるのよ! そんなの婚約がまとまるかどうかの瀬戸際に本気で引き合いに出すわけないじゃない! しかも何でもかんでも拡大解釈するのやめて! 兄様を通すといつも話が大袈裟になるのよ!」
兄が溜息をつく。そして大きく口を開く。
「いいかレギーナ!」
レギーナは心の耳をふさいだ。兄の怒鳴り声をまともに聞いていたら心身が壊れる。何せレギーナは繊細でか弱くておとなしくて引っ込み思案な少女である、こんな石頭にああでもないこうでもないと言われるのを真正面から受け止めようものならどうなってしまうかわからない。
「俺は絶対に妥協しないからな! お前にもっともふさわしい条件の男が現れるまでどこまでも総当たり戦をやってやる! お前のような図太くてじゃじゃ馬で落ち着きがなくて三歩歩けば気分が変わる娘でもありのままを大事にしてくれる男でないと俺も死んだ母上もたぶん父上も安心して眠れない!」
「あーっ、あーっ! 聞こえなぁーいっ!」
自己認識と兄の認識があまりにも違いすぎるが、どちらが正解なのかは周りのご想像にお任せでこのかた十七年間生きてきたレギーナであった。
「もういいわよお兄様、妥協して。わたし、どこにだってお嫁に行く。このままじゃ誰もお嫁に貰ってくれなくなっちゃうもの。適当に純粋に家にとって都合のいい条件の殿方と政略結婚させてください」
「弱気なことを言うな」
「ただでさえあそこの家のアーノルドさんは頑固で有名と言われているのを知らないの? そんな兄をもつ私は生まれながらにハンデを背負っているのよ」
「俺程度の男におじけづく男など願い下げではないか」
しかし困ったことにアーノルド・ナスフといえば音に聞く帝国一の騎士、勇猛果敢なる無双の者。普通はそんな男と姻戚関係を結びたくて妹に婚約者候補がわらわら群がってもいいはずだが、最終的に「俺より強い男でなければ認めない」とのたまうため全部ダメダメだ。
「もうすぐ十八歳」
円卓の上に手をつく。テーブルクロスを自分で引っこ抜いてしまったのでつかむものはない。
「友達はほとんどみんな婚約したというのに……。しかも九回の失敗、今日で十回目の失敗。回を重ねれば重ねるほどいわくつきの珍品のレッテルを貼られていくんだわ……」
さすがにレギーナが真剣に落ち込んでいるのを認識したらしい。アーノルドも黙って足を組んだ。
面倒臭い兄をもった。
アーノルド・ナスフ、二十七歳。もちろん独身。
ひとつに束ねた長い黒髪、いつも濃い色の服を着ているからか着やせして見えるがその実筋骨隆々としている身体、そして自分たち兄弟に共通する今の空のような瞳――身内びいきかもしれないがぱっと見た感じはクールで美しい青年だ。
ぱっと見た感じは。
中身は定期的に荒れ狂う熱血野郎だが性格に目を伏せれば嫁が来ると信じたい。
レギーナは自分の長い金の髪をつまんで溜息をついた。
兄のまっすぐの黒髪と妹のふわふわした金髪は髪質がまったく異なるが、瞳の色はまったく同じ、正真正銘兄と妹である。
アーノルドは、十個年下の妹のレギーナと、そのレギーナの下にいる十二個年下で十五歳の弟テオドールを必死で守ってきてくれた。
跡目争いに沸く親族や財産を狙う強盗、そして何より外国からの刺客など、子供の頃のこの三兄弟には敵が多かった。今平和に暮らせているのは帝国最強の兄がにらみを利かせているからだ。そもそも兄が最強を目指したのも自分たち姉弟を物理的に保護するためかもしれない、と思うのはさすがに思い上がりか。
わかっている。
これは彼なりの愛情だ。
いくら政略結婚でも、兄としては妹に幸せな結婚をしてほしいのだ。だから無理難題を吹っかけて、それを乗り越えてでも愛すると言ってくれる男を探している。
ところがどっこいそれがぎゅうぎゅうレギーナの首を絞めていく。
このすれ違いはどうやって解消すればいいんだろう、と思うと、レギーナは途方に暮れてしまうのだった。
「ううう、もうなんでもいいから結婚したいよお……」
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