第2話 お父様の必殺奥義みたいな家?

「たわけ!!」


 父の怒鳴り声が城中に響き渡った。

 怒られているのはアーノルドなのに、自分のことのように思われて――というか話題の中心はまさに自分のことなので、レギーナもアーノルドの隣で縮こまった。


 窓は夏の暑さより冬の寒さに備えて小さめに取られている。

 磨かれた石の床の上には古い絨毯が敷かれていて、よく踏みならされて平らになってしまっていた。

 使い込まれててかっている家具といい、壁の刀剣掛けに置かれた剣といい、どことなく重厚感のあるつくりだが、生活感のある部屋だ。

 うららかな春の今は明るい光が差し込んでいた。


 その部屋の主、ナスフ侯爵家当主のオットーは、娘の婚約をだめにした長男にめちゃくちゃに怒っていた。


 ベッドの上で上半身を起こしただけの姿勢だというのに、よくぞこんな大きな声が出せるものである。


「十回目だぞ、十回目! 破談になった回数が増えれば増えるほど問題のある娘だと思われるのだ! これで嫁に行けなくなったらどうする!」

「申し訳ございません……」


 さすがのアーノルドも父には頭が上がらない。おとなしく怒鳴られ続けている。


 レギーナは、父の大声にはちょっとおびえつつも、言っている内容には安心していた。

 この人もこの人なりにレギーナを可愛がってくれているが、アーノルドとは違ってちゃんと世間体や将来のことなども心配してくれている。恥をかくのはレギーナであることをわかってくれているのだ。


「ただでさえ我がナスフ家は敵が多いのだ。縁組をして味方を増やさねばならん。王家なんぞに遅れを取ってはならんのだ」

「父上のおっしゃるとおり……」


 けらけらと笑う声が聞こえてきた。レギーナ、アーノルド、オットーの三人は三種三様に不快感もあらわの渋い顔をした。


 部屋の隅、父の机に付属している椅子に勝手に座っているのは、三兄弟の末っ子テオドールである。

 十五歳の彼はふわりとした金の髪に空色の瞳、滑らかな肌の美少年だが、やはり性格にちょっと難があった。


「いやー、兄上も姉上も面白いなあ。僕本当に毎日飽きないや」

「笑うところではない」

「見たかったなテーブルクロスを引き抜くところ。兄上よく笑わなかったね」

「お前もあの場にいたら笑う空気ではないことが身にしみてわかっただろうな――と言いたいがお前なら空気を読まずに笑うかもしれんな」

「これは僕が一番のりかもしれないぞ」


 レギーナとアーノルドが声を揃えて「何が!?」と問いかけたが、テオドールはにやにや笑うだけで何も答えない。


「冗談ではない」


 父が溜息をつく。


「このままアーノルドも嫁を取らずレギーナも嫁に行かずとなれば先にテオドールの嫁取りを考えねばならん」

「えっ、テオドールに決まった女性がいるんですか?」

「いないが性格的に結婚できそうな気がしてな。お前たちと違ってな」


 テオドールが笑顔のまま首を横に振る。


「まあ、そうは言っても僕は吟遊詩人になるので家には貢献しないんだけどさ」


 アーノルドが「いい加減にしろ!」と怒鳴った。


「またその話か!」

「夢を叶えるまで何度でもずっと同じ話をするからね。僕はこの広い世界を自由に羽ばたくのさ」

「何を無責任な――」


 息子たちの百回は繰り返された論争を聞き、父が溜息をつく。


「この家はもうお終いだ」


 身を横たえ、布団に潜り込む。


「四百年続いた名門中の名門である我が家が俺の子供の代で途絶えようとは、ご先祖様に顔向けができん。もうダメだ、もう俺は死ぬ……」

「出た、お父様の死ぬ死ぬ詐欺」


 確かに彼は最近寝ついているが、原因は落馬による足の骨折だ。けして死ぬような病ではない。ただ、骨がつながるまでと寝込んでいるうちにすっかり心身が衰えてしまい、何につけても弱気になってしまっている。


 医師が言うには骨はもうつながっているらしい。子供たちとしてはそろそろ歩く訓練を始めてほしい。でも、俺はダメだ、俺はダメだの一点張りで聞かない。剛腕で知られ向かうところ敵なしだった騎士の中の騎士がまさかまだ四十八歳でここまで弱るとは。


 レギーナも不安にならなくもない。


 たかが四十八歳、されど四十八歳。妻が病死してから今年で三年、子供たちを寂しがらせまいとしていたのかずっと勇ましく振る舞っていたが、緊張の糸がぷつりと切れてしまったのかもしれない。それに、言われてみれば、ベッドの上から動かずにいるせいで筋肉が痩せてしまい、少し小さくなったように見える。


 本当に今すぐどうこうなるとまでは思えないが、早く花嫁姿を見せてやりたい、と思う。


 あるいは――兄様はもう二十七歳なんだから早く結婚して父様に孫の顔を見せなさいよね。とはさすがに口に出せなかった。


「ごめんなさい、父様」


 レギーナは、ベッドの上に手をつき、静かな声で言った。


「父様だって安心したいわよね。わたしたちがこんな調子で不安よね」


 拗ねてそっぽを向いていた父が顔をこちらに向ける。泣きそうな目でレギーナを眺める。


「お前、顔は母様に似ているのにな」


 かちーん。似ているのに、何だ。


「まあ、いい。アーノルドの言わんとしていることもわからんではないのだ。お前は我々が丹精を込めて育てた娘、蝶よ花よとしていたつもりがどうまかり間違ってかこんなことになってしまったが、ありのままのお前を受け入れてくれるいい若者に巡り合ってくれたら、とは思っておる」


「父様……」


「正直なところ、俺は別にそこまで家柄にはこだわっておらん。ナスフ家の格と釣り合う家の男に嫁いでほしいが、それは今後の苦労を減らすためのものであって、この家に貢献してほしいからではない。似たような家に嫁げば似たような暮らしができるのではないかと思ってのことなのだ」


 レギーナはしゅんとうなだれた。


「それに、少々汚いことを言ってしまうと、だな。我が家はファルダー帝国の中でもトップクラスに格の高い家であるぞ。なんぞいまさらその辺の有象無象に媚びへつらってまで大事な娘をやろうと思うか。……まあ、ここは娘のお前が気にすることではないのでよろしい」


 だが一応ナスフ家の娘としてまったく意識しないわけにもいかない。同じ貴族の家に嫁げば妻として政治活動にも携わることになるだろう。


 父が何度目かもわからない溜息をつく。


「仕方があるまい、だめになったものはだめなのだ。次を考えることにするぞ」


 そして「よっこいせ」と言いながらふたたび上半身を起こす。


「次のあてはあるのです?」


 アーノルドが問いかけると、父はまた、深く息を吐いた。


「最終手段、奥の手だ。いよいよここまできたかというところに打診する。ここがだめならば貴族ではない家の者を探すかもう家から出ないものとして覚悟を決めねばならん」


 レギーナはごくりと唾を飲んだ。そんな必殺奥義みたいな家があるのなら早く出してほしかったが、そこまでダメになったらいよいよ本当にダメなのだ――今度こそ気合を入れてちゃんとした令嬢として振る舞わなくちゃ。


 引き続きアーノルドが問い続ける。


「どこの何という家の男ですか?」

「それはまだ言えん。向こうが本当に本気にしてくれるかわからんからな。レギーナに期待させて後でがっかりさせるのは申し訳ない」

「まあ、それは、そうですか」

「何より。ここで言ってまたお前に大反対されたら困る」


 アーノルドは縮こまった。


「お前が妨害しかねん。もうお会いせざるをえない状況までお膳立てしてからどうにかする」

「はい……」


 のんきなテオドールが「わー、楽しみー」と言いながらこちらに歩み寄ってくる。


「吉と出るか凶と出るか。前門の虎後門の狼。退いても地獄進んでも地獄」

「他に言い方あるでしょうよ」


 父がようやくベッドからおり、杖をつきながら移動して、先ほどテオドールが座っていた椅子に座った。そして、ひきだしから便箋とペン、インク壺を取り出した。

 その後ろ姿を、三兄弟はずっと見つめていた。




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