第4話 水も滴るいい男、ということで
ロビンはすらりと背が高いが、やはりアーノルドほどではなさそうだ――アーノルドが無駄に大きいだけでロビンも十分縦長だが。
濡れた服を脱いでもらい、アーノルドの服をあてがったら、服の袖が少しだけ手にかぶった。
彼ほど美しい青年だとそれすら可愛らしく思えてくるもので、城の侍女たちはうっとりと彼に見とれた。
レギーナも何も考えずに見とれていたかったが、彼が着替えるはめになったのは自分のせいであった。
首に手拭いを引っ掛けている様子はあまり上品とは言えなかったが、この短時間では髪が乾かなかったのだから仕方がない。そこは、水も滴るいい男、ということで。
瞳が不思議な色をしている。瞳孔の周りは金茶だが、虹彩の外側に行くにつれて翠になっていた。綺麗だ。
しかし目が合うと気まずいので、彼がレギーナのほうを向いたら即行で目を逸らした。
鹿の首の剥製を掲げた応接間のテーブルで、ロビンにお茶を出すことになった。温かい紅茶だ。この季節でも体が冷えたら寒い。レギーナは気の利く侍女たちに感謝した。
ロビンを上座につかせ、杖をついて現れた父オットーがその真向かいに腰を下ろす。
レギーナはその中間地点、どちらから見ても斜め向かいになるように座らされた。
普段は客人に対しても少し高圧的に出る父が、珍しく頭を下げた。
「申し訳ない……うちのバカ娘が……」
ロビンが「いえいえ」と微笑んだ。
「まあ、いいのではないでしょうか。誰かが怪我をしたわけではありませんし」
なんていい人なのだろう。これだけで好きになっちゃう。
「僕は気にしていませんよ」
「しかしこれで風邪でも召されたらパランデ王に何とお詫びを申し上げたら……」
「父はきっと気にしないと思います。それに僕は頑丈なのだけが取り柄なので。夏ですしね。さっぱりしました」
こんないい人に水をぶっかけてしまったのか……。
「それで、その――」
父の目がレギーナとロビンを行ったり来たりする。
「まあ、なんだ。たいへん遺憾ながら、こんなじゃじゃ馬では妻としてふさわしくないとお考えなら、それは、それで……」
レギーナは両手で自分の両目を覆った。何の言い訳もできない。
ところが、だった。
「いえ。ぜひとも話を進めさせていただけませんか」
顔を上げると、ロビンと目が合った。
彼は、優しく、にこ、と微笑んでくれた。
「レギーナ嬢が僕でお嫌でないのなら、僕としては、このお話を喜んでお受けしたいと思うのですが」
「なんと」
父が驚いた顔をしている。
「えっ、これでよろしいのか?」
これって言うな、と思ったがぐっとこらえる。ここまできたらこれである。
「そちらから持ちかけてくださった話ですよ。それに実の父君くらいご息女の味方をなさっては?」
「それはそうなのだが、しかし、第一印象から、こう、となるとな」
本当にそれ。我がことながら申し開きもできません。
「今までの婚約者たちには最初はよい顔をするようにしつけておったのだ。まことに。これでも極力しとやかに振る舞いよう教育したつもりでな。しかし、今日という今日は、本当に……」
「いいではありませんか、知らずに結婚してすれ違いが生じるよりは。いえ、僕はこんな程度のことで離婚しようとは思いませんが」
天使か?
「よもやこんな日が来ようとは」
父が目元を押さえる。名だたる騎士であった彼も感極まったらしい。
「この子は母親に似たこの顔だけが取り柄なのだ……。それでもよろしければ……ありがたく……うっ」
「まあ、顔の造作は些細なことだと思いますが、肌が綺麗なのは喜ばしいことですね。血色が良くて健康そうなので安心します」
「そう……健康は……健康状態は良くて……」
なんと弱気な。
それにしても、こんな自分で本当にいいのだろうか。
ふたたびロビンの顔を見る。
彼は会話の相手であるオットーをしっかり見つめていた。そのまなざしは誠実そうだ。どこで育てばこんなにいい人になるんだろう。何を食べればここまで。神に祈りたい。
「本当にわたしでよろしいのですか……?」
意図せずか細い声が出た。普段は腹から声を出して兄や弟と話しているが、今ばかりは自信がなくて大きな声が出なかったのだ。
ロビンがこちらを向く。
「どうしてそう自信がなさそうなのですか。胸を張ってください。テオドール君と会話をしている時のあなたは生き生きしていましたよ」
体力おばけと言われていた件だろうか。忘れてほしい。
「まだ今日お知り合いになれたばかりですし、少しずつ話を進めていきましょう。僕はしばらくここの城下町に滞在する予定ですのでふたりで散策してもいいですし、王都に戻ってからも手紙をお書きします」
オットーが口を挟む。
「城下町に宿を取られたのか? 我が城に部屋を用意してござったぞ。ゆるりと泊まってゆかれよ」
「いえ、やはり、年頃のお嬢さんがいるところに気が引けますので。それに、この国の様子をゆっくり拝見したいですしね。今回は視察も兼ねているのです」
そう言われると、レギーナはどきりとした。
実は、ロビンの国であるパランデ王国とレギーナの国であるナスフ
両国のあるファルダー帝国は無数の小国から成り立っている。ファルダー帝国という大きな箱の中で王侯貴族が各自独立した領地を抱えており、表向きは協力してひとつの帝国を運営しているように見えて、その実は皇帝の座を奪い合う群雄割拠の地だ。
パランデ王国もナスフ侯国もファルダー帝国の中にある小国であり、パランデ王国はロビンの父が治めており、ナスフ侯国はレギーナの父が治めている。
各国の統治機構はまったくの別物であり、たとえ王国といえど本来は侯国に干渉できない。
現在ファルダー帝国の皇帝の冠はロビンの父であるパランデ王の頭上にある。建前としては、皇帝であるパランデ王が貴族たちの爵位を認め、領地の安堵を許している形である。
だが、条件が整えば、本当は、王や公爵を乗り越えて侯爵が帝位につく可能性もゼロではない。
パランデ王国とナスフ侯国は、そういう微妙なラインの上の関係だ。
レギーナはそういう意味でも少し緊張していた。
この結婚は、帝国の勢力図を塗り替えるものになるかもしれない。
しかし、オットーは胸を張った。
「よろしい。我が国をご高覧あれ。見られて恥ずかしいところなど何もないのだ。私も逃げも隠れもせぬ」
「ありがとうございます」
ところがその時だった。
見られて恥ずかしい息子が来た。
応接間の扉が蹴り破られた。
「ちょっと待った!」
レギーナは頭を抱えた。
怒鳴り込んできたのはもちろんナスフ侯爵第一子の我らがアーノルドである。
彼はこめかみに青筋を浮かべて一同をにらんだ。目が血走っている。
「父上!」
予想していたのか、オットーはテーブルの上に肘をつき、両手の指を組み合わせ、その上に顎を置いて静かにしていた。
「来たな」
「これはどのようなおつもりか!」
「始まったな」
アーノルドが大股で部屋の中に入ってくる。
彼はレギーナの肩を抱くと自分の胸へ引き寄せた。危うく椅子から落ちるところだったが、レギーナは踏ん張って耐えた。
「聞き捨てならん! 何ゆえ四百年もの歴史を有する我が誇り高きナスフ家からたかだか三代の新興の王族なんぞに大事な娘をやらねばならん!? ナスフ侯国は王国に膝を屈しなければならんほど弱い国ではない!」
うすうすそう来る気はしていた。
何せ彼こそ帝国最強の騎士と謳われる男、パランデ王国の並み居る騎士たちと一騎討ちをしたらきっとことごとく勝ってしまうに違いないのである。
そしてテオドールの言うとおり彼こそ我が家で一番の体力おばけで、彼にとっては強さこそが力であり正義なのであった。
「貴様のようにへらへらと笑う男にレギーナの夫が務まるとは思えん」
レギーナはアーノルドの腕の中で「もうやめてぇ」と言ったがやはり腹から声が出ず小さな呟きになってしまった。これでは激昂している兄の耳に入るとは思えない。
案の定アーノルドに無視される。
「うちの妹はこの俺が育てたのだ。そう簡単にくれてやると思うな」
終わった。やっぱりこの結婚話も破談だ。
そう思ったのも束の間。
ここで予想外のことが起きた。
「あなたが侯爵のご長男のアーノルド殿ですか」
「そうだ」
「一度ご挨拶をしたいと思っていました」
ロビンが立ち上がった。
「かねてより招聘したいと考えていたのです」
「どういう意味だ」
「我が国の正規軍の騎士になっていただけませんか。いえ、正確には、帝国の軍隊に。あなたをぜひとも帝国軍に正式にお迎えしたいのです」
ここでもう一押しとばかりに、彼は言った。
「帝国最強の騎士であるあなたに」
褒められ慣れていない兄はこういう状況に弱い。黙った。まんざらでもないらしい。
一瞬時間が止まったかに思えた。
レギーナは祈った。
折れて、折れて、折れて、折れてー!
「……いや、それとこれとは話が別だ」
やっぱりダメか。
「とにかく、俺はこの結婚には反対だ。王子だか何だか知らんが俺が認めていない男にレギーナを連れていかせるわけにはいかん」
「どうしたら認めてくださいますか」
「俺は貴様のその軟弱そうなところが気に食わん。ちゃらちゃら女と遊んでいそうな顔をして何が帝国軍だ。気骨を見せろ」
なんと、斜め上の事態になってしまった。
「わかりました」
ロビンが連れてきた自分の護衛に「僕の剣を」と声をかける。
「僕も多少腕におぼえがありますので。未来の義兄殿にお見せする気骨、あるつもりですから」
少し間を置いてから、アーノルドが「おう」と頷いた。
「いいぞ。来い」
ああー!
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