第5話 気骨は認めてやらんでもない

 この父親にしてあの息子あり。

 父オットーはアーノルドとロビンを止めなかった。

 むしろ面白がって「いいぞやれやれ」とはやし立てる始末だ。


「男児の親たるものやはりこういう場面が見たいものだな。ぜひともパランデ王もここにお呼びしたいものだ。はっはっは」


 レギーナは上品に育てられたので自分の父親に対してテメーぶん殴るぞコノヤロウとは言わなかった。言いたかったが。


「いや、過日の骨折以来何を見ても気分が上がらなかったが、今は最高に血沸き肉躍っておる。良き息子をもった」


 アーノルドが「孝行できるのであれば光栄です」と頭を下げた。そういう孝行はしなくていい。


 パランデ王がオットーやアーノルドのような脳味噌まで筋肉の男ではないことを祈る。何せ未来のお義父とう様である――レギーナの中でロビンとの結婚は確定路線である。



 城の前庭、正門から玄関までの間の石畳からちょっと離れた芝生の上で、両者がにらみ合った。


 レギーナは爆発しそうな心臓を押さえてふたりを見守っていた。


 アーノルドもロビンも真剣だ。切っ先が触れれば傷ができる。

 血なんて見たくない。しかも発端は自分だと思うと罪の意識で潰れそうになる。


「わたしのために争わないで!」


 しかしそう言ってみるとレギーナもちょっと気分が上がった。若く美しい男性がふたりわたしを巡って決闘するのか。片方兄だけど。


 ちなみにまるっと無視された。

 まあそんなこともある。


「行くぞ」


 両者が剣を構えた。


 ごくりと唾を飲む。


「ロビン様がんばってー!」


 早々に兄を裏切ってそう叫ぶと、兄が振り向き、鬼の形相で怒鳴った。


「俺の応援をしろ! お前を守ってやるためにやるのだからな! 俺が負けたらお前は敵国のど真ん中に放り込まれるのだ! 亡くなられた母上もどれほど嘆き悲しまれることか!」

「わたしも母様も頼んでないー!」


 ロビンがふっと笑った。決闘直前の緊張感が台無しになる気がしてレギーナは黙った。


 オットーが咳払いをする。


「あまり大声で敵国などと言わぬようにな。我が侯国が王家を敵視しているなどということはバレてはならぬ。今の王家は皇帝の一族であり、我々は一応帝冠のもとにひとつという設定になっておるのだ」


 バレバレになっているがロビンはいいひとなのでつっこまなかった。


 オットーが「用意!」と声を張り上げ、杖を持ち上げる。


「はじめ!」


 オットーの杖が振り下ろされた瞬間、ふたりはぶつかり合った。


 さすがに冗談めかしたことばかり投げ掛けているわけにはいかない。


 アーノルド・ナスフは帝国最強の騎士と言われている。北方の帝国との戦場をいくつも潜り抜け、近隣諸国との小競り合いも鎮圧し、今やその存在だけで周辺のありとあらゆる人間を威圧している存在だ。彼はもはやいるだけで抑止力なのである。


 そんな化け物じみた兄が、王城で大切に育てられた王子を攻撃する。


 ロビンが怪我をしないか心配だし、国際問題としてパランデ王国とナスフ侯国の関係がどうなってしまうのかも心配だし、ロビンにふられないか心配だし、ロビンにふられないか心配だし、ロビンにふられないか心配だし、本当に心底この上なくロビンにふられそうな気がしてくるのが心配だ。


 さすがの兄も馬鹿ではない。本当にロビンを斬ってしまうことはないだろう。それは取り返しのつかない内戦の始まりだ。

 しかし心を折って再起不能になる程度の軽傷は負わせるかもしれない。どんな小さな傷でもレギーナは見たくない。


 怪我を、というより、兄が誰かを打ちのめしているところを見たくない、が正解かもしれない。

 兄がひとに怪我をさせる――戦場では当たり前に行われてきたことかもしれないが、少なくともレギーナの目の前ではいまだかつて一度もなかったことだ。


 遠くにあるはずの戦場が、今、ここで再現される。


 怖い。


 ところが、そんな予想に反して、だ。


 アーノルドの剣を、ロビンの剣が受けた。


「なっ」


 ロビンはアーノルドの剣を押し退けると、一足で間合いに飛び込んだ。


 ロビンがアーノルドの脇から肩へ斬り上げるように剣を振る。

 アーノルドは一歩飛び退いてかわした。

 そこをロビンはさらに攻めた。


 速い。


 ロビンのしなやかな身体を前にすると、筋骨隆々とした兄の体が急に重そうに見えてきた。


 ふたりの剣がぶつかり合う。


 腕力ではアーノルドのほうが押しているように見えるが、ロビンにも受け止めるだけの力がある。


 強い。


 これはわからなくなってきた。


 一同は固唾を飲んで見守った。いつの間にかみんな静まり返り、ある者は唖然と、ある者は拳を握り締めてふたりを見つめていた。


 たぶん、みんなロビンがそこまでやるとは思っていなかったのだ。最強の騎士アーノルド・ナスフの圧勝だと思っていたのだ。


 すごいことになった。


 ただ――やはり、踏んできた場数の差か、基礎体力、持久力の差か。


 ややするとロビンの息が上がってきたように思えた。素人目にも少しずつ動きが鈍っている気がする。


 アーノルドはまるで変わらない。

 最強の男は戦争の間最初から最後まで最強でいることができる。それが、本当の強さなのだろう。


 レギーナは下唇を噛んだ。


 がんばってロビン様……!


「いやいやいやいや」


 二本の剣がぶつかり合う金属音のほかに、少年の声が割って入ってきた。


 振り向くと、着替えてきたテオドールが立っていた。


 彼は片手に拳より少し小さいサイズの石を握っていた。白く綺麗な石はおそらく園芸用の、つまり庭のその辺のどこかから引っこ抜いてきたものだろう。庭師が丹精を込めて手入れしている庭に酷いことをする奴だ。


 振りかぶった。


 投げた。


 ロビンとアーノルドが剣と剣を合わせている、その重なり合っている部分に石が当たって、カーン、という明るい音が響き渡った。


 テオドールが拳を握り締めた。すごいコントロール力である。ひとのことをさんざん体力おばけなどと言っていながら彼もナスフ家の息子で、大した身体能力だった。


「いや、ダメでしょ。理性を取り戻してよ」


 はるか年下の少年に言われ、ふたりが気まずそうに斜め下を見た。


「何のための婚約話なのさ? パランデ王国とナスフ侯国が同盟関係を結ぶためなんじゃないの。何を喧嘩しているの」


 まさかテオドールに救われる日が来るとは思っていなかった。お調子者で能天気なのだけが取り柄なのだと思っていたが、彼にもちゃんとした考えがある。弟だからと思って侮っていたかもしれない。レギーナはテオドールに申し訳なく思った。


「それこそ姉上を何だと思っているんだ。姉上は国のために結婚してくれると言っているのに、その気持ちを男ふたりで踏みにじるのやめなよ」


 レギーナは、国というよりロビンのような顔と性格のいい美男子と結婚したくて、と思っていたのをぐっとこらえた。このままだとなんとなくレギーナが国のために自分の身を犠牲にするといういい話にまとまりそうだ。そう、わたしは政略結婚のために翻弄される娘。きっとそう。大変な身の上だ。たぶん。


「……すまなかった」


 そう言って、アーノルドが剣を下ろし、腰の鞘に納めた。


「そうだな。レギーナの気持ちの問題だ。俺の気持ちではないな」


 ロビンも剣を納めて深く息を吐いた。


「申し訳ございません、僕としたことが熱くなりました」


 そして言うのだ。


「お恥ずかしいところを見せましたね。あなたと結婚したくて焦ってしまった。嫌われたでしょうか」


 レギーナはすぐさま「とんでもない!」と声を張り上げた。いまさらながら彼が自分のために戦ってくれたという喜びが湧き上がってきて両手を挙げて跳ねまわりたい気持ちになってきた。わたしと結婚したくて焦る? なんともはや。


 オットーも「そうだな」と真顔になる。


「いや、すまぬ。おとなげない。若い頃の戦士であった頃のことを思い出して血がたぎってしまった」

「そうそう。父上こそいい大人なんだから止めてよね」

「うむ。悔しいがテオドールの言うとおりだ」


 父がロビンに頭を下げる。


「かたじけない。お怪我がなくてよかった」


 ロビンは先ほどまでの柔和な笑みを取り戻して「いえいえ」とこたえた。


「いや、それにしても、やはりアーノルド殿はお強い。僕は調子に乗っていました。皆が近衛騎士団で一番とおだてるものだから、つい」


 道理で強いと思ったら、パランデ王国の近衛騎士団といえば、パランデ王国が皇帝の座につく直接の要因になったと言われる強大な騎士団だ。王子なのにそんな怪物集団に育てられたとなると、アーノルドも無事では済まないかもしれなかった。レギーナは胸を撫で下ろした。


「いや、俺のほうこそ、殿下を侮っていた。やはり剣を合わせると相手がいかな強者であるかわかるというもの」


 アーノルドが唸る。


「気骨は認めてやらんでもない」

「本当ですか? ではレギーナ嬢との結婚を認め――」

「いやそこまで進めてよいとは言っておらん。舞台に上がることを許可してやった段階だ。いずれにしても俺に傷ひとつつけられなかったことには変わりはないのだからな、調子に乗るなよ」

「……はい……」


 レギーナは全力で叫んだ。


「もーっ、お兄様のバカーっ!!」





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