26『ハル君が好きです』


 夏、秋を越え、肌寒い季節、冬。年も越え、春の訪れる頃、僕達は夜の体育倉庫へ侵入し、ついに九都波芦の気配を捕捉した。卒業、僕達が子供から大人に変わりゆく瞬間は、刻一刻と迫っていた。



 場面は戻る。


 妹の許可を得るという超級ミッションを無事に遂行した僕は、いや、瀕死のダメージは受けたけれど、しかし何とか、命からがら、這うようにして家を出た僕の心臓は早鐘を打っている。

 心臓を陽菜の視線で貫かれたことは関係ないよ。


 さておき、角を曲がると寂れた商店街に入る。今日は駄菓子屋も素通りする。駄菓子屋の店番の女の子を愛でたい気持ちを堪え、僕は目的地へ向かった。

 途中、コンビニで御心と合流、僕達は互いに頷き合い、その扉を叩いた。


「陽人君、稀沙ちゃん、久しぶりだね。今日は来てくれてありがとう、波芦も喜ぶよ」


 僕達は、約三年ぶりに、九都家へ足を踏み入れた。ほんの三年前には、毎日のように足を踏み入れていたこの場所に、僕達は帰って来たのだ。


 ——

 ————



「二人とも、またいつでもおいで」

「はい、ずっと顔も出せなくて、本当にすみませんでした」

「あの子は、自分で決めて同行した。君のせいではないよ。最期の瞬間、君が隣にいてくれたのが、せめてもの……あ、それより、そんなにどうするんだい?」

「食べるんですよ、皆んなで」

「そうかい。あの子も仲間に入れてやってくれると嬉しい」

「勿論、一緒に」



 僕と御心は九都家を後にした。

 袋いっぱいの、出来立ての焼きそばパンを手に。僕は小声で御心に話しかける。


「御心、どう思う?」

「うん、ずっとついて来てるね……ご両親と話していた時、微かに声も聞こえたような気がする。たしか、はぅ、とか」

「言ってた、言ってた」


 今、僕達の後ろには、ストーカー、もとい、九都波芦がいる。僕達にはわかる。常人では気付かないくらいの微かな九都の気配を、僕と御心は察知出来ている。これはきっと、想いの強さによるものだ。

 僕はそう信じたい。


 さておき、まだ昼だ。日曜日とは言え小学校の体育倉庫、——恐らく、九都の住処になっている体育倉庫に侵入するには明る過ぎる。

 やはり、あの場所しかないのだろう。


 屋上だ。


 僕の聖域の一つ、学校の屋上。

 僕達はそこに腰掛け、澄んだ空を見上げる。さて、はじめようか。まずは、


「こんなもの!」


 僕は焼きそばパンの入った袋を持つ腕を思いっきり振りかぶり、投げる。袋が空を背景に遠ざかり、そのまま自然落下を開始した時、


「あちょぉっ、な、なななんてことするんですかっ!!!! 焼きそばパーーーーン!!!!」


 キターー!

 無造作に落下する焼きそばパンを器用にキャッチ、——両手、太もも、脇、頭の上、口元、更には胸の谷間で華麗に全ての焼きそばパンを救出し、この世のものとは思えない滑稽な体勢をした九都波芦が、僕達の前に姿を現した。

 僕の隣では、口元を両手で押さえて瞳に涙を浮かべる御心が確認出来た。どうやら、彼女にも姿が見えたようだ。手間をかけさせやがって、


「ココロ、ちゃん……ココロちゃん! こ、ここ、こ、ココロちゃ、うあぁぁん、ココロちゃんがいるー! しかもおっ○いめちゃくちゃ大きくなってるー!」

「はぅ、不覚です……ど、どうやら罠に……き、稀沙ちゃん……あのその……」

「ココロちゃん!」

「ふにゃっ!?」


 おお、いいね。この画は中々、尊い。

 僕は九都を抱きしめ泣きじゃくる御心が、いつの間にか逆に抱きしめられるという画に色んな意味で感動をおぼえた。それはさておき、


「よ、波芦。久しぶりじゃないか」

「ハル君……何故ですか……ハロは二人がいい感じなのを見送って、そ、そろそろ天国にでも行こうかと考えていたのに」

「天国だか何だか知らないけれど、何も言わずに行くなんて、やめろよ。僕はあの日の答え、まだ、ちゃんと聞いていないんだ」

「あの日……い、言ったじゃないですか……それが、答えだって……」


 胸に埋まっていた御心が浮上し、目を逸らす九都に語りかける。


「私に気をつかうんじゃなくて、ココロちゃんの本心を聞かせてほしいの」

「ハロの……でも、そんなの、もう絶対に叶わないし、それより何より、ハロが二人を応援していたのは……二人が大好きだったからで、大好きな二人が幸せになったら、どんなに素晴らしいかって……」

「ココロちゃん。私は、ハル君が好き。ココロちゃんは?」

「……あぅぅ、す、好き……です……もう」

「うん、そうだよね。だったら今ここで、私と勝負しようよ。ここにいるハル君に、どっちが選んでもらえるか!」


 御心はそう言って僕に振り返る。その表情から、決意の強さが伺えた。九都は観念したように首を縦に振る。




「えと、ハロは幽霊です。ハロはこの件が解決しない限り成仏出来ないみたいです。死んじゃって少しした頃、神様っぽい人に言われたんです。二人が大人になる前に解決しないと、天国には行けなくて、駄目な幽霊になっちゃうって。二人がいい感じになれば、それで心残りはないんですけど」

「だけど、ココロちゃんはまだいるよ。それはつまり、まだ、やり残したことがあるってことだよね」

「う……わかりました……ハロの気持ちを、正直な気持ちを言います。だから、笑わずに聞いてください」


 ハル君、ハロは、と、顔を上げた九都と目が合う。とても綺麗な瞳が僅かに波打つ。僕は、彼女の告白を真っ向から受けるために、真っ直ぐ、その瞳を見る。九都が、震える唇を開く。


「ハル君が……ハル君は、ハロのはじめてのお友達でした。はじめて話しかけてくれた時から、本当は好きで、好きでたまらなかったんです。けれど、それよりも二人を応援していた自分がいました。ハロは、自分に嘘をついていました。

 ハロの願いは一つです。

 一度だけ、言わせてください。

 ハル君が好きです、大好きです。

 お友達とか、お母さんとか、お父さんとかの好きとは違う、特別な大好きです、勿論、焼きそばパンよりも!」


 九都の告白は、独特過ぎる告白だった。

 顔を真っ赤にした九都から目を逸らさず、僕は御心の言葉を待つ。


「ハル君、私もハル君が好き。ずっと小さな頃からだよ。ココロちゃんよりずっと長く好きだった。私は……ハル君の彼女になりたい。大人になったら、お嫁さんにもなりたい、ずっと、そう思ってた。ハル君の心が私に向いていないと知っていても、それでも正々堂々とココロちゃんと勝負する!

 私と、付き合ってください!」


 手を伸ばした二人の肩が震えている。僕は、ここで間違えてはいけない。彼女の望み、そして約束。


 それを守らなければ、前には進めない。


 僕も、御心も、そして、九都波芦のココロも、


 だから僕は、彼女の手をとった。



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