07『それが答えですよ』


 話は変わるが、僕は地味に高所恐怖症だ。

 将来家を買うなら、平家にする。それは大袈裟だけれど、とにかく高い所は苦手なのだ。なら、何故屋上にいるのか。要は、そこから下を見なければいいだけなのだ。そんなわけで、地味に、と付けている。

 そんな僕が、あろうことか個室へ監禁された。

 観覧車という名の、牢獄に。

 そう、水族館の敷地内に巨大な観覧車があるのだけれど、それに乗り込んだのだ。地に足がつかないとは正にこのことである。落ち着くんだ、僕。たかが九都とは言え、女子の前で醜態を晒す訳にはいかない。いい機会だ、観覧車め、かかってくるがいい!


「わぁーい! 観覧車ですぅ! あ、見てくださいよハル君、水族館がどんどん離れて行きますよ! 車も、人なんて蟻みたいです! ほらほら!」


 おお、揺れる揺れる。はしゃぐ九都の胸もそうだけれど、観覧車が揺れる揺れる。頼むから飛び跳ねないでくれ。僕は今、必死なんだよ!

 夕焼けが綺麗ですね、なんて暢気なものである。

 だけど、そうだな。水平線から覗く夕陽が綺麗なのは確かだ。足は竦むけれど、悪くない。

 ねぇハル君、と九都。


「次は、稀沙ちゃんと来てあげて下さいね」

「……だから」


 何故、こいつはそこまで御心に拘るんだ。もしかして仲良いのか? 昔はよく遊んだとか言っていたし。御心の奴が、僕のことを? いや、それこそあり得ない。学園のアイドルである御心稀沙みこころきずなだぞ。

 僕みたいな落ちこぼれには不釣り合いだ。ただ、幼なじみってだけだ。勉強を教わりにくるのも、ボッチの僕を見兼ねて気を使っているに違いない。

 御心稀沙という人物は、昔からそうだった。

 クラスの中心にいつもいて、人情深くて、輝いていて、ほんと、眩しくて。僕やあいつみたいな、——僕や、あいつ、


「誰だよ、それ……」

「ハル君?」


 誰だよ——


「ハル君!? 大丈夫ですか? か、顔色が悪いですよ!?」


 観覧車が大きく揺れた。正確には、僕達の個室だけ、激しく揺れた。僕の視界には目を丸くして床に倒れた九都。

 目眩がして、九都を押し倒してしまった、のか?


「ご、ごめん……」

「あ……ううん、だ、大丈夫、です……あぅ」


 沈黙。

 九都の髪からフワリと甘い香り。

 ——僕はこの香りを、知っている。


「お前、何者なんだよ……」


 沈黙。

 暫しの沈黙のあと、九都は両手を僕の首に回し、引き寄せた。引力に引き寄せられるが如く、ごく自然に、当たり前のように、僕は彼女の胸に沈んだ。



「やですね〜、だから、ただのお友達だって言ってるじゃないですか〜」




 ——帰路、

 今日は中々楽しかったです、そう言って僕の前を歩く九都波芦は、いつもの能天気な九都波芦だった。僕に押し倒されたことなんて、まるで気にも留めず、いつもの笑顔で、小石につまずいた。

 受け身なしで、尻からダイレクトにアスファルトへダイブした九都の胸が、ここに来て今日一の記録を更新する揺れを見せた。それを目で追ったことは墓場まで持って行くとして、僕は仕方なく手を差し伸べる。九都波芦の手のひらは冷たい。


「えへへ、ありがとうございます」

「ちゃんと前を向いて歩かないからだろ。お前は妹より世話がやける」

「……合格です。今日のデートは合格です。中々のエスコートぶりでした」

「そ、そりゃどうも」

「最後のハグは、そうですね〜、焼きそばパンで手を打ちました!」

「ました! じゃねー!」

「打ちました! 明日の焼きそばパンは二つです! それで許しましょう! ドヤです!」


 焼きそばパン、安くないんだぞ。

 他のパンよりちょっと高いんだからな?

 だけど、まぁ、今回はそれで手を打つとしよう。こいつのおかげで落ち着けたのは事実だし、何より、柔らかかったし。


「ハル君、ハロの前では、嘘吐かなくていいですから、曝け出していいですから。応援、してます。だから、素直になってください」

「素直に……正直、わからない。僕は御心のことが」


 そうですねぇ、と、悪戯な笑みを浮かべた九都は、


「一緒にいると、楽しいですか?」と、振り返った。


「ま、まぁ、楽しい、かな」

「なら、それが答えですよ」


 九都波芦は僕に振り返る。綺麗な月を背景に、いつもの笑顔を見せた。


「ここで大丈夫です、あとは一人で帰れますから」


 また明日屋上で、と大袈裟に手を振り、九都は去った。朝から晩まで、元気な奴だな。何度も言おうと思ったけど、明日は日曜日だ。だから九都、明日じゃなくて、明後日だろ。本当に、馬鹿だな。


 しかし、

 それが答え、か。


 なるほど、全然、僕には理解出来ないな。


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