第21話 破談 ④ ~紗羅 ①~

 布団の中で、真っ裸の紗羅を背中から抱きすくめてきたのは桂であった。

 

 ☆


 良家のお嬢様だからこそ、侮蔑される事がある。水呑百姓や小作人といった者の子孫であれば、そういう性質たちであればそういう性質として、小遣い銭でも渡してねんごろにさせてもらおうという思い付きもあるものだが、お嬢様はそうはいかない。紗羅の母の紗茅は、どこの誰とも知らぬ男を咥え込んで身籠り、家名に泥を塗ったとして、徹底的に卑しめられた。当主の姪である。まともな家に嫁入りできぬ身体となった事は一目瞭然で、かといって下手な家に嫁入りさせて、つまらない親族を増やす事もできない。女を使った仕事に就かせれば、本家が犯される様なものであった。

 紗茅が亡くなり、その子供である紗羅もまた、母譲りの男好きの血を引いているに違いないと、女中達に陰口をたたかれて育った。分家を始めとする親族は、桂に紗羅を他所へやるように進言したが、桂は、母親の罪を紗羅に償わせる為という建前で、下女として本家に置く事を決めた。


 桂が初めて紗羅に添い寝してきたのは戦時中の事だ。友雄を始めとする若い男は軍に取られ、村に残っているのは年のいった男と女、それからまだ小さい子供ぐらいのものだった。

 5歳の紗羅は下女として、毎日、人手の足りない屋敷の雑巾がけや食器洗いなどの、火や刃物を使わない家の中の事をしており、その日ももうくたくたになって、二階にある女中部屋に戻ろうとしたが、女中頭から、

「臥せっている奥様や、難儀をする旦那様のお世話をするように」

 と言われ、小間使いとして、中廊下の厠の横の小部屋を使うように言われた。

 それまで使っていた薄いせんべい布団と違い、ふかふかの布団の中に潜りこんだ紗羅は、あまりの柔らかさに、今日までの疲れが、この一晩で全てとれるような気がした。それまで膝を抱えて丸まって眠っていたが、足を伸ばして仰向けになって目を瞑った。真夜中、紗羅が目を覚ましたのは、誰かが紗羅の浴衣を脱がし、素肌を触られていたからだ。目は開けられないまま、自分の身体を這う手を払い除けようとしたが、びくともしない。仕方なく、ようやく薄く目を開けながら、

「だあれぇ?」

 と、寝惚け眼で口走ると、

「起きたか」

 と、桂の声がして、眠気は一瞬で弾き飛んだ。下女の紗羅にとって家長の桂は神仏にも等しい存在である。

「今日のところは脱がしてやるが、布団に入る時は何も着るんじゃない」

 そう言って桂は、硬直する紗羅の浴衣を淡々と脱がし、胸の中にぎゅうと抱き寄せて眠った。

 その夜から桂は、鏡子を妾にするまでは毎晩、鏡子が妾になってからも一ヶ月の半分ほどは、特に何かをするわけでなく、ただ紗羅を湯たんぽ兼抱き枕にして眠った。


 ☆


 友雄が予科練から帰って来た頃、紗羅の、まっ平だった胸は薄く膨らみはじめ、花芽であった紗羅は蕾になっていた。

鏡子が檜隈当主の屋敷の沙羅の部屋の隣にやってきてから2年が経っていた。壁越しに聞こえて来る鏡子の悲鳴も、最初こそ煩くて、桂に抱かれて眠り始めた頃のように、浅い眠りが祟って、昼間に何度も欠伸をしていたが、彼女の体を桂が支配する頃には、甲高い鳴き声が深夜過ぎまで聞こえようと熟睡できるようになっていた。


(今夜は、やけに遠くから聞こえてくる)

そう思いながらうつらうつらしていたら、襖が開いたのだ。鏡子のいつもの声が聞こえるのに、隣に桂が潜り込んできたのを不思議に思いながらも、

(どうせ、いつもの様に抱きしめられるだけね)

と、ぼんやりしながら、桂の分、身体を横にずらした時、友雄に抱かれる鏡子の嬌声など聞こえないかの様に、桂は紗羅の薄い乳房を冷たい掌で覆い、そこから丹念に撫でさすってきた。


「ひゃっ」


 物心ついた時には叩き込まれていた家長である桂への絶対服従の意識、5歳になってから桂の肌への無抵抗を沁み込まされた体は、その指がまさぐってきたからといって、この屋敷にやってきたばかりの鏡子の様に、大声で拒絶を示し、助けを求める叫びを上げるような事はせず、漏れそうになる声を塞ぎ、されるがままになるしかなかった。


 桂に愛撫されるようになって3ヶ月も経った頃、

「もう、後1、2年か…」

 と、桂がぽつりと言った。


 本家で働く者に限らず、分家の家長達は、桂が紗羅を妾にする事は承知していた。5歳の紗羅を小間使いにした夜から同衾していたとは思いもよらなかっただろうが、紗羅を小間使いにしたのは、そういう事だと暗黙の内に了解したのだ。

 夜の世話を勤められようも無い紗羅を早々と小間使いにしたのも、彼女の母に起因し、誰彼なく行き来できる場所に紗羅を置いておけば、紗茅の二の舞を踏むに違いないと思われていたのだ。

 桂の父がタカを後妻に迎えたのが五十半ばを過ぎており、子供をこさえる必要の無い寡の桂が六十を超えて妾を迎えても何もおかしい事ではなかった。そして、紗羅がふしだらな紗茅さちの娘である事は村中が知っており、檜隈の姓と紗茅の娘の天秤に乗った紗羅の嫁ぎ先は、なかなか難しいところがあり、紗羅が年頃になった時、桂の妾に納まるのは、一番良い事のように考えられたのだ。戸籍上、桂と紗羅は四親等離れていた。


 紗羅が桂の愛撫に、心底、悍ましさを感じるようになったのは、それから1年も経った頃である。この頃にはもう、男と女が何をするのかも、自分が桂の妾になる未来しか無い事も理解していて、もうそれを“仕方のない事”として受け入れていた。

桂に隈なく愛撫される事にもすっかり馴れてしまい、甘い色味が混じる声を飲み込めなくなり、意識を遠くへ飛ばすようになった紗羅は、その夜も、もう充分に息を弾ませ、花に蜜を絡めていた。


「紗茅によお似てきたなぁ」


手遊びながら、桂がしみじみと言った。実際、紗羅の顔は紗茅に似ていた。タカの様に半剣弁高芯咲きの深紅の薔薇を思わす程の高嶺の花ではないが、かといってシロツメクサの様な鳩子程には埋没しない。千重咲きの桃色の椿のようであった。

だが、桂が言っているのが容貌ではなかった。


「ここの締め付けが、紗茅と同じや」


「は、あんっ」


桂の言葉を聞き返そうとして、噤んだ口を開けた瞬間、紗羅は思わず喘いだ。


「ああ、でも、子供を産んだら、鳩子と同じようになるんかなぁ。失敗したわ。紗茅がお前を産んだ後、やっとくんやった」


「えっ? あっ…それ…って、どう、ゆ…っ」


桂は紗羅が見せる困惑に満足し、手遊ぶのをやめ、右腕を紗羅の首の横について、紗羅の蜜のついた左手の指を、彼女の頬になすりつけて拭った。


「滑稽やろ。実の娘を妾にするんを、皆が皆、喜んどる。まあ、儂が鳩子や紗茅を抱いとった事も気づいとらん間抜け共やからなぁ」


紗羅の顔がみるみる蒼褪めていった。その絶望を味わうように、紗羅の頬をべろりと舐める。


「お前はけだものの子や。母上がよお言いよった。この檜隈の家は獣の家やってな。母上は正しかったわ。鳩子とやった時は血が震えた。紗茅もそうやったんやろな、嬉しがって腰をふりたくっとった。お前もや。お前も、お前のここは、実の父親にいじくられて悦んどる」


「ひっ…」


紗羅は息を詰めた。歯をカタカタと鳴らし、全身に鳥肌を立てて震える。


「まだ、せえへん。お前はまだ成獣になってへんからな。それに、紗茅みたいに壊れたら面白ないやろ。やから、お前には丸ごと獣になってもろて、儂の子を産んでもらうんや。ああ、愉しみやなぁ。どんな獣ができるんやろなぁ」


 桂の狂気に、紗羅の体は渇ききっていた。だが、あまりに長い間抱きすくめられていた紗羅は、どう足掻いても、その手の中から逃れる事はできず、気がふれる事もなく、禁忌だと解っていながら、どうしようもない境遇と馴染まされる体を抱えたまま、無為に時を過ごした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る