第09話 紗敏と滋道

 弓削ゆげアキが、檜隈海人の妾となった時、彼女の胎には滋道しげみちがいた。


 アキは、学生運動の集会で出会った男と、彼の放つ高潔で激しい熱量に引き寄せられるままに、彼の部屋に転がりこみ、ねんごろになって身籠った。しかし、これから起こす大事の事で頭が凝り固まった男にとって、その事は自分を縛る足枷となるだろう、と怖気づき、仲間達の協力を得て、彼女の前から姿を消した。仕方なく、アキは実家に戻ったが、彼女から経緯を聞いた両親は、学生運動の末端にいた上、子供を身籠るような事までしでかした事を怒り狂い、家の恥だと勘当してしまった。


 頼るべき恋人も実家も失くした彼女は途方に暮れ、生きる術は一つしかない、と、思いつめて覚悟を決め、夜の世界の扉をノックしていた時に出会ったのが、海人であった。


 海人が、そんな場所にいたのは、人探しの為であった。海人は既に紗羅を娶っていて、彼女のお腹は膨らんでいたが、どうしても、探し出したい女性がいたからだ。

 その女性の名前は、鏡子きょうこといった。


 ★☆★


 紗敏は、自分の薄い胸に指の腹を押し当て、ドクドクと激しく脈打つ鼓動が心臓を突き破らない内に鎮めようと、意識して鼻から息を吸って、口から吐いた。


 虚に向かって埒を放ったばかりである。

 その手伝いをしたのが、滋道であった。


「…処女、ってさ、…やっぱ、り、面倒、くさい…んだろ…うね」


 自室の和室に敷いた布団の上で紗敏は、横になるより、丸まるように座った方が体が楽だということで、滋道の右腿の上に乗って、右胸にもたれかかっていた。彼の浴衣は上も下も大きくはだけ、かろうじて腰紐によって下前と上前が重り合っている。

  

 紗敏の婚約者の檜隈奈帆なほが、中学を卒業した夜の事だ。

 4月生まれの彼女は、すぐに16歳になる。16歳になれば、親の許しがあれば結婚できる年齢に達し、その日がくれば紗敏は、奈帆との婚姻届けを出し、初夜を迎える。


「紗敏様…」

 滋道は、自分の腿の上から紗敏がずり落ちないように、彼の腰骨に回した腕を引いて、支えなおした後、左手で紗敏の前髪をかきあげて、額に口づける。本当なら、両腕でしっかと抱きしめたいが、今の彼がそんな事をすれば、紗敏の骨は軋み、肉に悲鳴を上げさせるかもしれない不安があった。


「まったくね。こんな僕を結婚させようっていうんだから、母さんの執念には、頭が下がるよ」

 紗敏は、ようやく規則正しい脈拍を刻みはじめた心臓から手を離し、母親を哀れんだ。


 ★☆★


 海人と紗羅が結婚したのは、海人の父親──檜隈陸郎りくろうの命令であった。海人は、大学に在籍中に鏡子を探す為に赤線辺りをふらついていたので、単位が足りずに一浪した。その学費の支払いの交換条件として、紗羅と結婚する事を言い渡したのだ。

 そういう経緯である為、海人は紗羅を嫁にはしたが、大学を卒業後、小間使いのように使うために紗羅を連れ、実家との縁を切った。


 さて、海人には、年の離れた空也そらやという弟がいた。

 彼は、父と兄が険悪な理由も解らず、坊ちゃん坊ちゃんと暮らしていた。海人が家を出た時も、ようやく父と兄の喧嘩の怒声がなくなり静かになったと思うぐらいで、海人がいなくなった事より、自分のねえやの紗羅がいなくなった事の方が悲しかった。


 海人が、いざなぎ景気の波に乗って事業を大きくし、オイルショックで爆儲けした事は彼の耳にも届いていたが、海人が家を出た時に、陸郎が海人の決まっていた内定を取り消させた事から始まり、東京オリンピックの頃まで、海人が金策に走り回っている事を知りながら、父から命じられるまま邪見にしており、成功したからといって阿られなかったし、この頃はまだ、その必要もなかった。


 このまま疎遠のまま過ごせればよかったのだが、陸郎の死後、空也はバブルの崩壊で借金を背負う事となり、恥を忍んで檜隈村に住む紗羅の元を訪ねたのである。

 空也には三人の子供がいた。

 妻もいたが、彼女は空也の借金の額に子供を置いて離婚届けを置いて逃げていた。


 空也は、檜隈村を訪ねてはじめて、海人が、既に亡くなっていた事を知った。父ももう亡くなっており、自分と紗羅を結ぶものは希薄であった。そんな相手に2億もの借金の肩代わりなど、とても頼めたものではなかったが、ダメ元で話してみれば、空也達家族の生活基盤まで面倒まで見てくれる、という。その担保となったのが、奈帆であった。

 

 紗羅は、自分と海人の血を引く唯一の子供である紗敏の子供を産ませられる、檜隈家の嫁となる、どうとでもできる女を探しており、手に入れたのだった。


 ★☆★


 俯いた紗敏の視線は、滋道の中心にあるいきり立ったモノがある場所を視る。滋道のそれは、ジッパーの務歯エレメントを押し上げて、ジッパーテープとジーンズの生地を縫い合わせた糸を引き千切らんばかりに膨れ上がり、いかにもキツそうだ。

 滋道のモノには、怯まずにはいられない怖さがある。この瞬間、彼のモノは辛うじてジーパンの中に納まっていたが、誰かに振るわれる事になれば、その誰かを斬り拡げて串刺す──凶器だ。


「…もう、大丈夫だから…ぬいてきなよ」


 紗敏にそう言われた滋道は、紗敏を布団に横たわらせて、乱れた浴衣の前合わせや、はだけた衿を整える。十代の頃より丈夫になったとはいえ、無理は禁物だ。解ってはいたが、この日の紗敏は、自分の限界を超えて「もっと、もっと」とより高みへ昇る事を望み、滋道の愛撫や舌を欲しがった。


 滋道が、紗敏の事を主人以上の存在として愛しているのと同様に、紗敏も、滋道の事を下男以上の存在として好きだ。そうでなければ、埒を放つまでの興奮を、与えさせようとは思わない。触れ合いたいから、そこまでの事は許すし、強請る。

 だが、いくら紗敏の肌が、そこいらの女よりも白く、手弱かであるといっても、彼は男であった。

 素肌を摺り合わすようになってからも、滋道と結合する事だけは頑なに拒絶した。矜持というよりも、本能がそれを許さなかった。

 紗敏は、滋道のモノに触れる事はしなかった。期待させない事が、滋道を傷つけない最良だと思ったのだ。

 だがこの日、紗敏は初めて滋道のそれに関心を寄せた。奈帆を抱く前に、滋道と繋がりたいと思ったのだ。だが、滋道の腕の中で息が整った時、それが自分を突き破る事を想像し、彼の布越しにも解る大きさに、恐れをなした。


 滋道が部屋を出ようとする背中に、紗敏は声をかける。


「…頼むな」


 紗敏と奈帆の初夜には、紗羅と滋道が立ち会う。

 セックスをするには、それなりの体力が必要だ。だが、奈帆が子供を身籠る為には、避けては通れない。そして、何も知らない奈帆に、紗敏を滾らせ、跨り、腰を使えといっても、無理な話だ。だから滋道の介助が必要なのだ。

 奈帆の屈辱と羞恥は、彼女の妊娠まで続いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る