第13話 鏡子
曽我郡にある光同会病院。
この病院のプレミアムフロアのVIP室に、征人の祖母の
病院に監禁されているといっても院内であれば行動に制限は無い。外出許可が下りないだけだ。最も、彼女が握っていた不都合な証拠は、息子の手から淳之介に渡り、彼女が、いつ、どこで、誰をもてなし、誰に抱かれ、NIREZAKIグループ傘下の会社の株を手に入れるに至ったかは闇に葬られた。今、彼女がVIP室の患者であるのは、淳之介の温情である。
VIP室はさながらホテルのセミスイートルームである。室内には、鏡子のベッドの他に十貴絵と征人の弟妹が共にやすめる程の広いベッドも設えられている。更に、グループ傘下のホテルからコンシェルジュが派遣され、彼女の望みを叶えつつ監視している。
★
楡崎征人は、終業式の夜に家族で鏡子の病室を訪ねた。食事の後、征人の弟妹──葵と剛司は、テレビゲームのRPGに熱中していた。
「宮野とかいう人が煩わしくてね」
鏡子のすぐれない顔色を心配した十貴絵に、鏡子は溜め息混じりに呟いた。鏡子は、部屋の掃除やシーツを取り換えて貰う為、談話室で暇を潰した。ずっと病室に籠っているのも息が詰まり、気分転換には丁度良かった。
今月になって入院してきた宮野美江は、社交的で噂好きの未亡人で、自身のフィールド内では、持ち前の明るさと世話焼きを武器に、大抵、輪の中心にいて、寡の男性陣からは、ちょっとしたアイドルの様にちやほやされていた。病院でも同じような待遇を求めていたようだが、そこには、シニア層の男性達の最後の青春のトキメキを攫う鏡子がいた。
それが面白くない美江は、勝手に敵愾心を持ち、鏡子を石女の未亡人と結論づけ、鏡子を談話室に居辛くしようと、いかに自分が家族に愛されているかを鏡子に聞かせ、この日も、丹生浜北高に通う孫娘が、自分の世話の手伝いに来る事を、わざわざ大袈裟に言ってきたのだ。
鏡子の話に、憤った十貴絵は顔を顰めた。
「征人さん。あなた、宮野さんって方、ご存じ?」
十貴絵は、体を後ろに捻って、ソファの背もたれに組んだ腕を乗せ、葵と剛司のプレイするゲーム画面を見る征人の膝をぽんぽんと軽く叩いた。
「え? 何?」
鏡子と十貴絵の話を聞いていなかった征人に、十貴絵はピクッと眉を動かし、
「宮野さんって方? 知ってらっしゃる?」
征人は、ソファに座り直して足を組み、僅かに上方を見上げなから、考えていたが、横に首を振りながら答える。
「いや、知らない。誰?」
「お母様を煩わせてる女の孫娘なんて、どうせ、ろくな子じゃないでしょ。貴方、その子をどうにかしなさい」
どうにか──端的に言えば、どんな手段を使っても口説き落としてものにしろ、という事だ。
「え? こっちから口説くの? 面倒だよ」
「どうせ、楡崎の名を出せば、尻尾をふってくるわよ。一度、お茶にでも誘ったら、後は勝手に摺りよってくるでしょ。ねぇ。お母様」
自分の想い付きを母に託すと、十貴絵はソファから腰を上げ、葵にお風呂に入るように促しに向かった。十貴絵の提案に、鏡子は、それまでの懊悩が晴れたような笑みを零し、
「いいんじゃないの。征人も、いざ“この方”という女性に巡り合った時、自分から声もかけられないようじゃ困るでしょう。予行演習だと思ってやってごらんなさいな」
征人は、渋々ながらの提案を受け入れ、ビジネスホテルに向かうのに部屋を出ようとすると、コントローラーを握ったままの剛司は、
「えっ。お兄ちゃん。帰っちゃうの?」
と、振り返り、名残惜しそうに、眉尻を下げた。
★
VIP室と病院の外を繋ぐルートは、専用のエレベーターと出入口があり、その存在は、関係者しか知らない。美江の孫娘の志保と別れた後、征人は鏡子の病室を、再び訪れた。十貴絵達はいない。彼女達は自宅に戻っていた。明日には巌が帰って来る予定だった。
ホテルでシャワーを浴びた征人の髪は渇いてるように見えたが、内側はまだ湿っていた。鏡子はベッドの布団の中に足を入れて、上半身を起こして本を読んでいたが、征人が入ってきたドアの音で、視線を本から征人へと移し、本は閉じないまま、膝の上に置いた。
「ばあちゃん。済んだよ」
征人からの報告に、鏡子は、特に動じるでもなかった。そうなるだろう事は、予想の範囲内の事だったからだ。
「あら、そう。やっぱり。…まあ、そう…ね。フフッ。あの子の顔ったら…。ねぇ。単純に憧れてるってだけでもなさそうだったわよ。本当に知らない子だったの?」
「うん。全く。向こうは知ってる風だったから、そんな事を言ってみたら、なんか、勝手に、勘違いしてたよ。まぁ、今日、ちゃんと覚えたから、それでいいんじゃない」
鏡子は、肩をいからせて胸を張り、肩を落として息を吐いた。
「あっけなさすぎて、つまらなかったわね。まあ、いいわ。私には、貴方という孫がいる事をあの人も解ったでしょうから、もう、無暗に絡んでも来ないでしょう」
征人は、もう何の興味も関心も無いとばかりに、伏せていた本の続きを読もうとした鏡子のベッドの足元に近寄り、絨毯の上にしゃがみこむと、布団越しの鏡子のふくらはぎに頬を乗せた。
「なぁに?」
甘えてくる征人に、鏡子は本を閉じて頭を撫でてやる。
「…俺、やっぱり、美鈴を諦めなきゃ駄目かなぁ?」
征人は、美鈴を諦めきれない事を吐露した。
母親ほどの年齢の円花に童貞を預け、女子達の誘惑に乗ってはみたが、思い出されるのは美鈴の事ばかりで、自分がどれほど美鈴を欲しているかを実感するばかりだった。
志保にしてもそうだ。
彼女と喫茶店で珈琲を飲んでいても、
(何故、彼女が美鈴ではないのか?)
という思いばかりが過り、作り笑いを浮かべている自分が虚しくて、とてもそんな気分になれず、会計を終えて店を出れば、志保は征人の腕に両腕を絡めてしがみつき、
「私、ずっと、征人くんの事が…」
と、耳を赤くして俯いたまま小さな声で言ってきた。無言でいる征人に、志保は痺れを切らしたように、
「一度だけ…遊び、でも、いいから…」
と、征人に絡めた腕にギュッと力を込めてきた。
ラブホテルに入った後は、簡単に自ら堕ちてきた志保が腹立たしく、前戯もそこそこに、無理やり奮い立たせた自分自身で強引に奪い、志保が、枕を噛み締めて痛みを堪えているのにも、労わってやりはしなかった。そんなロストヴァージンであったにも関わらず、志保は、のろのろとベッドから立ち上がり、シャワーを浴びた征人の甲斐甲斐しく髪を拭った。
しかし、そんな風に献身的にされて尚、志保が美鈴で無い事が恨めしかった。
「淳之介は、前の檜隈家の当主の…
鏡子は眉根を寄せ、薄く唇を噛んだ。
鏡子が檜隈桂の妾にされたのは、戦争が終わる直前の彼女が14歳の時だった。鏡子の知る桂は、自分の息子よりも優秀な海人に身の程を知らしめ、海人から大事なものを奪う目的の為だけに彼女を買った。桂と彼の息子の
「円花の予定を聞きましょうか?」
円花を、淳之介の客人用のただの接待役から、ハニートラップが仕掛けられる程の身体に育て上げたのは鏡子であった。鏡子は、円花のボロボロになった心と身体を、かつて自分が桂によって教え込まれた快楽で癒しながら性技を仕込んだ。
征人は、首を左右に振り、
「いや、いい。明日は父さんが帰って来るから、家に帰るよ」
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