第14話 征人と基

 征人が、同期の黒川基と美鈴が交際しているのを知ったのは、基からの相談であった。

 同期とはいえ部署が違う上、征人は楡崎家の一員だ。半年も本社で働いた後は、顔つなぎの意味で、東京と大阪の事業所に出向し、ようやく、またしばらくの本社勤務に戻ってきたばかりだったので、こうして差しで会うのは、社員研修以来だった。

 居酒屋でビールとつまみを適当に頼み、互いの近況を報告しあうのもそこそこに、基は本題を切り出した。


「どうって、それは一体どういう事だ?」


 征人は、飲んでいたビールを吹き出しそうになり、おしぼりで口を覆った後、目をまん丸にして聞き返した。


「ええっと。実は、今、美鈴さんとお付き合いさせてもらってるんだ」


 基は、照れ臭そうに耳の後ろの骨のでっぱりを人差し指で掻く。


「はっ?」


 GWの初日に、研修が終わったばかりの社員との親睦の為、BBQをするのは例年の行事の一つだ。そこで何となく話が弾み、交際する事になったのだという。


「それで、この間の土曜日に、お宅にお邪魔して、社長に挨拶に行って来たんだよ。そこはちゃんとしとかないとって思ってね。それで、お時間を割いてもらってさ。…ただ、やっぱり、お忙しいようで、『そうか』って頷かれて『よろしく頼む』と、5分もしない内に退室されてしまったんだが…。取り合えず、お許しは貰えたんだから、まぁいいか、って胸をなでおろしていたら、美鈴さんから、『次はお祖父様ね』って言われてさぁ」


 交際に至った経緯については、でれでれだった基だが、治憲へ挨拶した時のくだりになると、その時の事を思い出したのか、若干、顔が強張り、美鈴から淳之介に会うようにせっつかれた事を征人に話す時には、げんなりした様に、じゃがバターの芋を箸で摘まんだ。


「ちょっと待て。おじ…社長は、お前と美鈴の交際を許したのか?」


 ねぎまを食べ終えた征人は、そもそも引っ掛かっていた事を聞き返す。


「ああ。だから、そう言ってるだろ? で、さ。相手が社長だから、交際するのに許可を貰いに行ったんだけどさ。会長に挨拶って…いる? 隠居してんだろ? そんな相手にゴマする必要ってあるか? そりゃあ、婚約とか、結婚とか話が進めば、それも必要だと思うが、まだ交際して一ヶ月経って無」


「いや、それより、美鈴には付き合ってる男がいるんじゃないのか?」


 征人は、基の口を遮る。


「はっ? 美鈴さんは、誰とも付き合っった事は無いって言ってたぞ。まぁ、高校、大学と女子高だったらしいから、それも頷けるよな…って、え? 美鈴さんって誰かと付き合ってたのか?」


「…あ…いや。そんな感じの話を小耳に挟んだってだけだが…」


「まあ、それならそれでいいよ。楡崎グループ社長の一人娘と結婚できたとなれば、母さんが喜ぶ。やっぱり、母さんには楽させてあげたいからな」


 基は母子家庭だ。彼が中学に上がった年に両親が離婚した。父親がそういう店の女性に本気になり、基と母親を捨てた。父親から慰謝料や養育費は貰えた様だが、母親は楡崎グループ子会社の工場で働いて基を育てた。

 その背中を見て育った基は、母親への愛情が強い。二杯目のビールを飲み終えた酔いで、楡崎家の人間には言うべきでなかった本音が滑る。


「何? お前、美鈴が社長の娘だから近づいたのか?」


「まさかっ! たまたまだよ。たまたま。俺は美鈴さんを好きだから、交際を申し込んだんだ。けして、母さんを楽させる為だけじゃないぞ」


 焦る基の前に三杯目のビールがテーブルに置かれた。


「ふーん。ま、いいや。そうか…美鈴は、誰とも付き合った事が無かったのか。…それなら黒川。お前、結構、大変だぞ。俺の知ってる美鈴なら、少しばかり男性恐怖症の気があるからな。下心なんか見せたら、嫌われるかもなー」


 征人の言葉に、基は眉根を寄せる。


「ああ、そうだな。俺も祖母さんの三回忌を終えた事だし、なんなら、どれくらい治ってるか、そこら辺、探ってやってもいいぞ?」


「んーー。…ああ、そういや、美鈴さんが言ってたな。高校受験の前から、お前がよそよそしくなったって」


「へぇ。そんな事も喋ってんだ。…その頃、祖母さんが入院してたんだよ。なぁ、美鈴に言っといてくれよ。今度は、三人でどっか食べに行こうって」

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