第11話 志保 ② <点滴~狼狽~予定>
志保が病室に入ると、美江は点滴をされながら眠っていた。
恵子は既に、美江の洗濯物をファスナー付シートバッグの中に纏めて入れていて、志保が美江の顔を見る間もなく、廊下に出るように促した。
「ごめんねぇ。志保ちゃん。有難う」
志保の目に、恵子はやつれている様に見えた。美江が倒れてから、あまり眠っていない様だった。離れて暮らしているとはいえ、恵子より血縁者である自分の方が薄情な気がして、志保は、駅のホームで征人に会えないのは、美江の所為だと恨んだ自分を恥じた。
「まだ年って程でもないし、何も無いとは思うのね。病院だし、いたところで何かできるってわけじゃないんだけど、やっぱり心配でしょう。ほんと、志保ちゃんが来てくれて助かったわぁ」
年末という事でどこも忙しいらしく、恵子は、志保の伯父も仕事の大詰めだとかで、帰宅時間が遅く、当てにはできないと愚痴をこぼしながら、手伝いに来てくれた志保をおだてる。
「じゃあ、志保ちゃん。3時には戻って来れると思うから、後、お願いね」
志保のボストンバッグも後部座席に乗せて、恵子は帰宅した。志保は、恵子から預かった美江の家の鍵を、トート型のハンドバッグのファスナーのポケットの中に、失くさない様に入れて、病室へ戻った。
★
「ねぇ。志保ちゃん。談話室に連れて行ってくれる?」
志保が昼食のトレイを配膳台に戻して帰ってくると、美江がせがんできた。美江は社交的な性格で、誰とでもすぐに友達になる。車椅子に美江を乗せ、談話室へ向かうと、老婦人が静かに文庫本を読んでいた。
美江は、志保にその老婦人の方へ車椅子を押すように志保にお願いした。近づいて来た車椅子に、老婦人は、本から目を上げて美江を認識した。
「あら、美江さん。こんにちは。…早いですね。もう昼食を終えられたんですか?」
「こんにちは。鏡子さん。そうなの。今日はね。孫が来てくれたのよ。ほら、この子。孫のね、志保っていうの」
美江は、車椅子を押す志保を指さして紹介する。志保は頭を小さく下げて会釈する。
「可愛らしい方ね。高校生かしら?」
「ええ、そう。丹生浜北高に通ってるのよ。凄いでしょ」
美江はまるで我が事のように自慢する。
志保は直観した。美江が談話室に来たがったのは、鏡子に自分を自慢する為だと。そして、志保の直感は的中しており、美江は、勝手に鏡子にライバル心を燃やしていたのだ。
「まあ、そうなの。じゃあ、私の孫と同じ高校なのね」
鏡子の言葉に、美江は驚いていた。
「え? 鏡子さん。お孫さんがいらっしゃるの? うそ」
言いかけて美江は口を噤んだ。
美江は、誰も家族や訪ねる人を見た事が無く、彼女の口からも家族の話が出た事がないという鏡子に、子供や孫がいるとは夢にも思わなかったらしい。年老いても美しく、更に品の良さという武器を併せ持ち、とても勝つ事の出来ない鏡子に、自慢の孫を見せて羨ましがらせたい、という美江の思惑は外れてしまった。
「ええ、まあ…。あっ」
鏡子が、視線を美江から外し、志保の後方に視点を合わせた。志保と美江を横切って、鏡子へと真っ直ぐに向かって歩いてきたのは征人であった。
「婆ちゃん。コーヒー、ホットの方が良かった?」
「いいえ。大丈夫よ。征人。有難う」
鏡子は、征人の差し出した缶コーヒーを受け取り、にっこりと微笑んだ。それから、再び、美江に視線を戻し、
「美江さん。孫の征人です」
「あ、婆ちゃんのお友達ですか? 初めまして。美江さん」
征人は、そう言ってきちんとしたお辞儀をした。
「征人。美江さんに付き添いわれてる方、美江さんのお孫さんで、志保さんって仰るんですって。貴方、志保さんと一緒に、美江さんの飲み物も買ってきてくれないかしら?」
「ああ、そうですね。…えっと。志保さん 初めまして。いいですか?」
「あ、は、初めまして。あ、はい。喜んで」
★
一階にある売店に向かいながら、志保は、球技大会で一度タオルを渡した事のある程度の女子の事を征人が覚えているわけが無い事ぐらい、当然の事だと思いながらも、覚えられていない事を残念に思っていた。
エレベーターから降りる時、征人は、自分の後ろにいる志保に先に降りるように促した。そして、彼女が、一階フロアの床に片足を乗せたタイミングを見計らうように、
「初めまして、じゃ。ないよね」
と、志保の耳元にひそと囁いた。志保はビクッと背筋を強張らせて、首を回した「ああ、立ち止まらないで、ほら」
征人は、涼し気な顔をして、志保の背中に腕を回して優しく押し出した。
志保は狼狽した。
征人が覚えていてくれただけでも信じられないのに、この後の予定を聞かれ、デートにまで誘ってくれた。そんな上手い話があるものか、と、おちょくられているだけなのかもしれない、とも思ったが、こんなチャンスは二度と無いと、もう一人の自分に背中を押される。
鏡子に口惜しがらせる作戦に失敗して、不機嫌な美江の癇癪など、どこ吹く風のまま、進まない時計に、爪を噛んだ。
★
どうしてこうなったのか…。
ゴミ箱の中には、使用済みコンドームとティッシュ。
彼がシャワーで、私を洗い流している音が聞こえる。
でも…そうね。
彼の周囲には、楡崎に群がる人しかいない。
私だけが、征人君を優しく包んで癒してあげられるんだわ。
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