第18話 破談 ①

  それは、海人の四十九日の夜だった。


 葬儀や社葬とは違い、檜隈村の自宅で行われたそれに、県外から訪れたのは淳之介だけであった。紗羅は、海人の意志を組み、彼の弟の空也には、海人が亡くなった事も報せてはいなかった。


 海人と紗羅の結婚。

 それ自体が、海人が実家と縁を切った原因である。

海人が大学生の時、檜隈家の旧本家に囲われていた後、行方不明となった川額鏡子を探すのに、赤線などの淫らな場所を往来していた。そんな彼を諫める為、海人の父は大学後期の授業料を支払う交換条件に、当時は空也のの様に海人の実家で働いていた紗羅との結婚を強要し、卒業間近の大学を中退する事は、これまでの3年半や、卒業を条件に空いた時間でどうにか滑り込んだ就職先も棒に振る事になるので、海人はこれに渋々応じ、卒業と同時に家を出た。

 海人は一人で家を出るつもりであったが、夜明け前、玄関で靴を履いている時、既に自分の荷物をまとめていた紗羅から「女中として扱ってくれてかまわない」と縋りつかれ、戸籍上では妻でもあったので、仕方なく彼女を連れて出たのだ。



 海人は、初代檜隈家当主として、新たにした仏壇や墓に最初に納まった。

 納骨を終え、御斎の最中に、紗敏が立ち眩みを起こしたのを皮切りに、檜隈村の村長を始めとする村の有力者達や寺の住職が帰り、席に残ったのは淳之介だけとなった。

 淳之介は風呂を貰った後、浴衣に綿入れを羽織って、再び仏間へと戻った。その間に、仏間と続き部屋にまたがって設えられていた座卓や座布団は殆ど片付けられており、残っているのは仏間の中央に置かれた座卓が一脚のみで、座布団も端の方に積み上げて重ねられていた。

 淳之介は、仏壇の前に座布団を敷くと、線香を手向け、その仏壇に祀られていない男に手を合わせた。


 障子を開けて入って来たのは、喪服から普段着のゆったりしたワンピースに着替えた紗羅であった。手伝いの女達は帰したのだろう。彼女自ら、お銚子と猪口、それから簡単な肴の皿をお盆に乗せて運んで来て、淳之介と自分の座布団を座卓の前に並べて置いた紗羅は、淳之介に勧めた。


「此度は、主人の四十九日にまで足を運んで下さいまして、本当に有難うございました」

 紗羅はそう言って、彼女の横にあぐらをかいた淳之介の前に置いた猪口に酒を注いだ。

 淳之介は、御斎おときの間、長く社長職についていた頃のクセで、帰った者達には呑んでいた印象は与えているだろうが、殆ど呑んでいない。


「紗敏くんは?」

淳之介は、ほんの少量の酒で口の中を湿らせて問うた。

「え?」

紗羅は、キョトンと意外そうな表情をした後、微笑を浮かべ、

「ええ。大丈夫ですわ。…昔、淳之介様が、いいお医者様を紹介して下さったお陰です。まぁ、体の事は、もう仕方ありませんし、私は、あの子が生きていてくれるだけで…」

「そうか」

淳之介は、くっと煽ってお猪口を空にして、机の上に置いた。

「すまん事を聞くが、あと3…いや4年もつかね?」

淳之介の言葉に、紗羅は一瞬、目を剥いた。

「なっ…」

「いや、悪い事を聞いているのは重々承知している。聞き方が悪かったというなら謝る。すまん。だが、これは大事な事だ。紗羅ちゃんが紗敏くんを大事に想っている様に、儂も美鈴が大切なんだ」

わなわなと震え、鬼の様に目を吊り上げる紗羅に対し、淳之介は、紗羅を宥めるように言い訳をした。

「美鈴はまだ中三だ。儂が許せば、来年には結婚させられるとはいえ、流石にこの儂の孫を中卒で結婚させるわけにはいかんだろう。だから、まあ。せめて美鈴が高校を卒業するまでは、結婚は待ってもらわんと仕方ないから、紗敏くんの方が、それまで待てる状態なのかどうかは、知っとかんといかんだろう」


「え? 結婚って? 淳之介様? それは、一体どういう?」

結婚という言葉に弾かれたように、先刻までの怒りはどこへやらという風情で、紗羅はぽかんとした。


「ん? どういうも何も、紗敏くんと美鈴の結婚だ。海人くんが生きていれば、美鈴が高校に入学した後、見合いをさせる段取りになっていたが、海人くんが亡くなり、こう言っては何だが、計らずもあの通夜の日に、見合いしたようなもんだろう。美鈴は、紗敏くんの事を気に入ったようだ。まあ、美鈴は初心で、そういう自分の気持ちにも気づいてないようだが、これから3年もあれば、そういう感情も、自然に沸くだろう」


「え? 何です…か? それ、は?」

本気で驚いている紗羅の表情に、今度は淳之介が訝し気な顔を見せた。


「? なんだ? 紗羅ちゃんは海人くんから、聞いておらなんだのか?」

淳之介の質問に、紗羅は口を開いたまま頷く。


「海人くんは、紗敏くんを美鈴の婿にくれるような事をぬかしとったぞ。儂は、紗羅ちゃんも、それに同意したもんじゃと思っとったんじゃが…」


紗羅は、首を小刻みに横に振った。言葉が出なくなってしまったようだった。

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