第24話 The Last Day Part2
どうして東都女子の七海と祐希がここにいるのか?
それは代表の元川が、自分を指導してくれた業界での《師匠》である大澤への恩返しに他ならない。連日試合の後にユカから報告をもらっていたのだが、団体の大黒柱である遥が負傷欠場した事を聞いた元川は、選手数的にカード編成が厳しくなるのを見込み、団体のクロージングである最終戦になんの躊躇もなく、人気の高いトップ選手ふたりを派遣したのだった。
普通であれば交通費プラスブッキング料を頂くのであるが、今回に限ってはそれもなし。交通費も元川の自腹というから驚きだ。長年運営してきた団体を畳み、業界を去る大先輩に恥はかかせられないと、彼が出来る最大の心遣いである。
「こんな時に来てもらって、大変申し訳ないと思っている。団体を続けていればもう少し大きな会場で、君たちふたりをお披露目できたのだが…」
「いえ、それは違います」
「えっ?」
大澤の皮肉まじりの冗談に、七海はそれを即否定した。まさかの返答に驚いていると彼女は冷静に言葉を続ける。
「こんな時だからこそ、参戦する意味があるんだと思うんです。会場の大小は問題じゃありません、足を運んで来てくれるお客様が喜んでくれるかどうかが大事だと、そう私や代表の元川は考えています」
あいつめ、一端の口を叩くようになったじゃないか。
大澤は七海の向こう側にかつての部下である元川の姿を見た。彼が東都女子プロレスを旗揚げして以降、もうかれこれ五年近くも顔を合わせていないが、今度団体を畳んで落ち着いたら久しぶりに飲みにでもいくか――年老いた団体経営者は嬉しさや懐かしさが入り交じる得も言われぬ感情で胸がいっぱいになり、目を細め何度も何度も頷いた。
七海ら東都女子勢と大澤が親しげに会話している様子を、ユカはリングの上から笑みを浮かべ眺めていると、ふと自分の頭の後ろにチリチリと熱い何かを感じた。振り返って周りを見てみたがリングの上や道場の中には特に火の気は見当たらない。
正体を探ろうと首を色々な方向へ動かし、落ち着かないユカの様子に七海は不思議に思い、どうしたのか訪ねた。
「いや、さっきから何か頭の後ろが熱いんだよね。太陽の光を虫眼鏡で集めたような感じ?」
「何バカな事言ってるのよ。何もないじゃない」
あれ、おかしいな?とユカは納得のいかない表情をみせたが、再び七海らと大澤との談笑に加わろうと、正面に向き直そうとしたその時、背後にある道場の出入口付近で人影を目撃する――そこにいたのは、今日この後ユカとメインで闘う
「——‼」
「…………」
ユカに存在に気付かれた舞海は、少し驚いた顔をしたがすぐに元の仏頂面に戻り、最後にもう一度だけ彼女を鋭い眼光で睨みつけると、ゆっくりとその場を離れていった。それと同時にユカが今まで感じ続けていたじりじりと熱い何かが、憑き物が取れたかのようにあっさり消えてなくなった。
——こっちもそのつもりだよ、潮舞海
舞海の、自分に向けられる対抗心が妙に嬉しくて、ユカは口角を少し上げ微笑んだ。だが祐希は舞海が彼女に対し、熱視線を遠くから送り続けていたのを見逃さなかった。
「誰です、あいつ? 生意気にもユカさんにガンつけて。ちょっと行ってシメてきましょうか?」
先輩を先輩と思わない摺れた舞海の態度に、カチンときた祐希はユカに進言したが、当の本人は何とも思ってなく、血気盛んな若い彼女を優しくたしなめた。祐希の気持ちはわかるがまるで自分の子分みたいな感じがお気に召さなかった様子だ。
「いや、大丈夫。あれくらい
「?」
「彼女との勝負は――もうとっくに始まっているんだよ」
子供のように目を輝かせ喋るユカを見て祐希は、いつも通りの彼女だと安心した。【プロレスリングこまち】でたったひとりで闘うユカが、彼女の比類なきパフォーマンス能力を何割かセーブしたようなよそ行きのファイトをしているのでは?と危惧していたが、東都女子の道場や試合会場で顔を合わせた際に感じる雰囲気と全く一緒だったからだ。そう、ユカはもう既にただの「
「全く勝手な事をして……」
力強いエンジンの音を轟かせ、出発の準備も万端な移動用バスの前で、ジャージ姿の大柄の女性が腕を組み、少し困ったような顔をして立っていた。ベテラン
「どうしたんです?」
普段はあまり表情を変える事がない仁科が、困った表情をしているのが珍しいのでユカが思わず声をかけると、彼女を相手に堰を切ったように捲し立てた。
「いや、本当参ったよユカちゃん。潮のヤツが突然、”皆と同じバスに乗りたくありません”って言い出してさ、マドを引き連れて勝手にタクシーを呼んで試合会場へ行っちまったんだよ。どう思うよ?」
「彼女、自腹でタクシーを呼んだんでしょ?だったら問題ないんじゃないですか。試合会場に着いてさえいれば移動手段は何だっていいんですし」
「そりゃそうかもしれないけど……」
仁科だってキャリアが長いので、大一番を迎える舞海の心理状態は手に取るようにわかる。
実際に太平洋女子時代に自身が、ベビーフェイス側とは別にヒール側の選手たちだけで移動していたからだ。これから客前で死闘を演じようとしている者同士が、同じバスで仲良く移動していては闘争心が削がれてしまうのでは?という、先輩ヒールレスラーの考えから慣習化されたのだという。だが今はいち選手ではなく、興行の責任者という立場上そうも言ってられない。自分の目が届かない所で、もし何らかのアクシデントに彼女たちが巻き込まれ、興行に穴でも空けてしまったらいろいろと面倒な事が降り掛かってくる。
そこへ、ふたりのやり取りを聞いていた大澤が割り込んできた。
「彼女たちの連絡先は知っているんだろ?」
「はぁ……そうなんですが」
「だったらいいじゃないか、私が許可しよう。どうせ今日で最後だ、彼女たちが最高の試合を見せてくれるのなら、多少の個人プレーは目をつむってやろうじゃないか、な?」
「わかりました、社長がそう言うのであれば。それじゃあユカちゃんたち、急いでバスに乗って頂戴」
代表からのお咎めも無かった事で安堵した仁科は、道場で出発を待つ参戦選手たちをバスへと誘導し始めた。彼女たちは舞海の個人行動に特別怒っている様子もなく、荷物の詰まったキャリーバッグを引き、隣同士で談笑しながらバスの中に入っていく。普段は移動等、自分ひとりで行う事が当たり前なフリー選手が多いので、その辺は全く気にしてないようだ。
普段は会社から試合会場までの移動や、宿舎の手配などをしてもらっているので、それが当たり前になってしまい気が付き難いものだが、いざひとりになると全部自分にその責任が降りかかってくる事に不安と恐れを感じるユカ。やはり団体との交渉や移動まで全部ひとりで行うフリーランスってのは凄いのだな、と改めて感心した。
「いや、凄いっスね――舞海たちって」
「ん?まぁあれぐらいバイタリティーがなければ、いろんな団体から声なんて掛からねぇからな」
「わたし、ちょっと自信なくしちゃいますよ」
「退団後の話か?な~に心配するなって、慣れちまえばどうって事ねぇよ。それよりユカちゃん。今日の大会が成功するかどうかは、舞海とあなたふたりに全てかかっている。だから……頼んだよ」
「はい!」
肩に手を置き、頼んだよ――と仁科から言われユカは、嬉しい・誇らしい気持ちと同様、いやそれ以上に責任感が芽生えてきた。エース・結城悠の負傷欠場によりなんとなく決まったメインエベントではない、ちゃんと自分のファイトぶりが評価され、また対戦相手の潮舞海との因縁・遺恨もうまい具合に働いて今日のメインエベントに選ばれたのだ。
【プロレスリングこまち】とは今まで縁も所縁もなかったユカだが、団体最後の日となった今日は東京から招かれた東都女子のトップ選手ではなく、しっかり団体の顔として今日の最後の試合であるメインを務めあげよう――と、普段以上に気合が身体中にみなぎるのであった。
呼吸音と共にごつっ、ごつっと肉同士がぶつかる重低音が、息を呑んで観客たちが事の成り行きを見守り、静まり返った試合会場に響き渡る。
相手を蹴る、投げる、そして極めるという格闘技の要素を前面に出した遊びが一切無いファイトに、耐性の無いこまちの観客たちは最初は戸惑いを隠せなかったが、徐々にに熱を帯びていき、遂には技が決まる事に拍手が贈られ、選手の名を叫ぶ程にまでなった。七海と祐希が繰り広げる「どちらが強いのか?」を決める、純粋かつド直球なプロレスが東都女子ファン以外にも認められたのだ。
試合は15分の制限時間を休みなく闘い抜き
東都女子の提供試合が終り、次にエレクトラ&チェルシーの在日外国人コンビがヒールユニット《ゴースト》の里田&久住と闘う、【プロレスリングこまち】定番の明るく楽しいタッグマッチが始まった。
先程の試合がマニア向けだとすれば、こちらは老若男女、誰もが楽しめる分かり易いプロレスだ。初見には刺激の強かった前の試合のお口直しには丁度良い。
こまちの観客たちは既に、どちらがベビーフェイスでヒールなのかは熟知しており、悪い事をやる日本人選手たちにはブーイングを、度重なる反則に耐えパワー&テクニックで反撃する外国人選手に声援を贈っている。外国人コンビは時折、片言の――本人たちは普通に喋れるのだが――おかしな日本語で攻撃の同意を求めたり、なかなか《ゴースト》たちの反則を認めない、レフェリーに対し悪態をついたりと腹を抱えて笑ってしまうような場面があり、【プロレスリングこまち】が長年地元に愛され続けた理由が一目で理解出来るような試合であった。
こまちのレギュラーではあるが所属選手でない、フリーランスの彼女たち四人は
試合時間が残り少なくなった頃、リングの中央で恵体のアメリカ人女性チェルシーが、
既にグロッキー状態である久住の身体を垂直に持ち上げ、その体勢で静止すると観客たちの視線は一斉に彼女たちに注がれる。五秒、十秒とこの体勢が続き、やがて頃合いを見定めたチェルシーは一気に、久住の脳天を垂直にマットへ突き刺した。
すかさずレフェリーのカウントが開始される。
負けたくないタッグパートナーの里田が、慌ててリングの中に駆け込みフォールカウントを阻止しようとするが、そうはさせるかと相手側のパートナーであるメキシコ人・エレクトラもリング内に入り、里田が僅かに身体を屈めた瞬間、前方回転で飛びつき彼女の胴をクラッチ、
そして最後のカウントが数えられると、チェルシーたちの勝利を告げるゴングの音が体育館中に響き渡った。観客たちは勝者チームはもちろんの事、技の出し惜しみをしない四人のファイトに対し贈られる拍手がしばらくの間止む事がなかった――
「どう、緊張してる?」
入場口の裏側で小刻みに震えている沙耶に、彼女の次に試合をするユカが声を掛ける。
「はい……もう口から心臓が飛び出しそうです」
緊張してません、とイキがると思っていたが、実に正直な返事にユカはにこりと笑った。
「それでいいよ。無理に平然でいることはないの。ただね、その緊張に潰されてはダメ。緊張すらもエンジョイしてちょうだい。そうすればもっとあなたは化けるから」
「ユカさんって……」
「お?」
「悠さんみたいな事言うんですね。数日しかご一緒していませんけど何だか似てるなぁ~って思って」
沙耶は不思議そうにユカの顔を覗き込む。彼女の疑問の答えはすぐにわかった。
「それは、わたしのプロレスの先生だった人が、悠さんから教わっているからだと思う。だから思考が隔離遺伝してるのかな?」
ユカはプロレスラーとしてデビューする前、結城悠の後輩である
そんな話をしていると、遮断幕の向こうから沙耶の入場曲が聞こえてきた。いよいよ彼女の出番である。気が付けば緊張で微妙に青白かった、沙耶の顔色も元の肌色に戻っていた。
「よし、一発カマしてこいっ!」
「はいっ!」
ばしっと両手で、沙耶の背中を叩き気合を注入するユカ。ぴりりと走る弱い電流のような痛みに彼女の気持ちがきゅっと引き締まった。
リングアナウンサーが、沙耶の入場を観客たちに告げる声が聞こえる。
よし、と小声で呟き自分にゴーサインを出すと沙耶は、もうユカの方を見る事無く一直線にリングへ向かって歩き出した。
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