第13話 秘・技・炸・裂!

 ユカを捕獲せんとする、MADOKAの腕が意外にも空を切った。寸前の所でユカが背にしたトップロープを掴み、身を低く屈めたのだ。惰性が付いた身体は最早、自分の意思で止める事も出来ず、そのままリング下へと落下してしまう。

 幸い頭部へのダメージは避けられたが、背中や腰を激しく床へ打ち付け、思わぬ所で大ダメージを負ってしまったMADOKA。

 痛みに耐え身体を起こそうとする彼女を見たユカは反対側のロープへと走り、リバウンドで加速を付けると何の躊躇もなく、トップロープとセカンドロープの僅かな隙間を潜り抜け、自身の身体を矢の如く真っ直ぐに伸ばし、MADOKAの胸元目掛け頭から突っ込んだ。

 身体の小ささと機動力を最大限に活かした、ユカの空中頭突きトペ・スイシーダがグッドタイミングで炸裂した!

 勢いに歯止めが利かないふたりは、セコンド陣をも巻き込み観客席まで雪崩れ込んでいった。


 ……10テン!……11イレブン


 双方ともにダメージが深く、なかなか立ち上がれない状況の中、リング上ではレフェリーが無慈悲にも場外カウントを数えていく。このまま20カウント以内にリングへ戻らなければ、両者リングアウト負けとなってしまう。

 カウント13を過ぎた頃、パイプ椅子と観客の荷物でできた山の中から、ユカが頭を振ってゆっくりと起き上がる。そして床に倒れているMADOKAを見つけると頭を両手で掴み、引っこ抜くように立たせるとリングの方へと向かっていった。

 起死回生で放ったトペ・スイシーダのは絶大で、観客の誰しもがこの小さな英雄の名を叫んだ。全ての視線と歓声が自分に向けられる光景に当のユカは「どうだ!」とばかりに四方の観客に向かい満面の笑みを浮かべた。

 リングにひとり残されたレフェリーが、18回目のカウントを数えた頃、ユカがMADOKAの身体をエプロンから転がすように中へ入れ、自らもリングへと戻り無事に場外カウントを止める。

 リングの中へ戻ってもMADOKAは肩で大きく息をして座り込んだままで、すぐに攻撃に移る事ができないでいた。一方のユカはロープにもたれ掛かっているが顔色も良く、呼吸も全く乱れていない。次にMADOKAが動くタイミングを、獲物を狩る猛獣のようにじっと狙っているのだ。

 MADOKAがキャンバスを蹴って前へ駆け出した。

 ユカもこれに反応してすぐさま臨戦態勢を取る。

 唸りをあげて肘が顔や首筋へと襲い掛かる。両者の生き残りを懸けたエルボー合戦が開始された。硬く鋭利な肘が頬を、そして首の動脈を抉るように叩き付けられる。何度か意識が飛びそうになるが、相手をぶちのめしたい一心とでどうにか持ちこたえる。ここで攻撃の手を止めてしまったら後はずるずると、敗北へのルートへと転がり落ちるのは目に見えているからだ。

 ふたりによるエルボーの応酬は、打撃技に分があるMADOKAに軍配が上がった。会心の一撃がユカの顎へ見事にヒットし、一時的に脚から力が抜け彼女の片膝がキャンバスに付いた。

 蹴る――ひたすらに蹴り続ける。

 二度と自分に歯向かって来れないよう、MADOKAは胸板目掛けて鋭いミドルキックを連続で叩き込む。

 身体を突き抜ける痛みが、喘ぎとなってユカの口から零れ落ちていく。幼い顔立ちが苦悶の表情を浮かべる様は、蹴撃の残酷さをより一層際立たせた。そして――十発目のキックでとうとう耐えきれなくなったユカは、項垂れて両手を付き四つん這いの状態となった。

 冷酷非情なMADOKAの姿に観客たちがざわつく中、頭を下げたユカの顔を爪先で二度三度と小馬鹿にするように軽く蹴ると背後にあるロープへと駆けていった。推進力をプラスし、再び四つん這い状態のユカの元へ戻ってきたMADOKAは軽く飛び上がり、空中で前転すると大刀を振り下ろすかのように、踵を後頭部辺りへヒットさせた!

 遠心力の加わった回転踵落としの威力は凄まじく、この一発でユカをマットへ這いつくばらせ、試合の流れを一気にMADOKAの方へ引き寄せた。

 うつ伏せに倒れるユカをひっくり返し、背中をマットに付けたMADOKAは、彼女の上半身へ仰向けとなり覆い被さった。片脚を持って腰を折り曲げ、更に負荷を掛ける事もしっかり忘れない。

 だがしかし――それでもユカははね除けた。叫び声をあげ全身の力を使ってカウントスリー寸前で起き上がったのだ。背を曲げぜぇぜぇと大きく呼吸をするユカを見て、「信じられない!」と目を丸くし愕然とするMADOKA。

 今度は逆にMADOKAの胸に激痛が走る番だ。

 皮膚を切り裂かんばかりに、水平打ちや袈裟斬り等各種チョップが、ユカによって何度も何度も叩き込まれ、みるみるうちにリングコスチュームから露出している、白い胸元が紫色に変色していった。キックやパンチのように身体のへ響くような効力とは違い、皮膚の神経から直に脳へ伝達される痛みなのでやられる方は堪ったものではない。

 ユカは立ったまま項垂れているMADOKAの腕を肩に回し、腰へ手を掛けると気合いと共に彼女の身体を一直線に持ち上げると、重力に身を任せ後方へ倒れ相手の背中をマットへ叩き付ける。脊髄や胸骨が圧迫され思わず「げふっ!」と変な声が出てしまう。

 攻撃の手はまだ緩めない。

 MADOKAの腕を離す事なく引き起こし、続けて繰り返しブレーンバスターで激しく、彼女の背中をマットへ叩き付ける。何度も後方へ投げられれば平行感覚が麻痺し、今自分が分からなくなってくる。最初は丁寧に取っていた受身も次第に形が雑になり、後ろ受身の基本である事も疎かになってしまう。

僧帽筋を使い何とか頭部を守ってきたMADOKAだったが、これまでに蓄積したダメージの影響で遂に受身が崩れた。


 もう駄目、一ミリも動けない――!


 疲労困憊で顔は青ざめ、輝きの失せた瞳でMADOKAは訴えかけた。

 それに応えるかのように、ふぅと一拍深呼吸をしたユカは、最後の技を決めるべく彼女の背後へ素早く廻ると、力の抜けた両腕をがっちりと掴み正面で交差クロスさせた。プロレスはレフェリーの判断以外では、途中で試合を投げ出す事は出来ない。このリングから降りるには対戦相手に勝利をするか――スリーカウントでのフォール負け、もしくは己の口で降参ギブアップするしかないのだ

 自分の両腕を交差され、動けなくなったMADOKAにこれ以上の進展は望みようがない。背へ廻ったユカは身体を仰け反らし身動きの取れないMADOKAを、その強靭なブリッジで投げて固めた――ユカとしては非常に珍しい、背後バックからのスープレックス技である交差式原爆固めクロスアーム・スープレックスだ。


 MADOKAはマットへ頭部が叩き付けられるまでの数秒間、過去の出来事を思い出していた。

 それは六年前――【女子プロレス・ダイナ】に入団した直後に、と称して道場から程近い公営のイベントホールで行われていた東都女子の試合を、代表兼エースである《レジェンド》喜屋武きゃん恭子きょうこや同期の選手たちと見に行った時の事であった。


「――あいつ、いいレスリングするなぁ」


 これまでの試合では冷静に「この技のタイミングはいい」「彼女のここがダメ」などと、自団体の若い選手たちに説いてきた恭子だったが、現在行われているリング上の闘いに対しては表情を崩し「解説」ではなく「感想」をポツリと呟いた。

 身体は小さいながらも闘志のみなぎった表情で絶えず動き回り、相手の選手にどこまでも喰らい付いていくその勇姿は観る者の感情を昂らせる。


「プロレスラーってのはさ、勝った負けたも大事だけどあの子のように、自分という存在を、次回又お客さんに来て貰えるようにするのも重要なの。あなたたちもその事を頭の片隅へ入れて試合するようにね」


 南国出身らしい赤茶色に日焼けした肌の上に、トレードマークである目元を覆うカラフルな色彩のベイントを施した恭子が、自分の所の新人選手に力説した。だが《プロレス》と《格闘技》との違いがよく分からないMADOKAは師匠へ質問をしてみた。


「それじゃあプロレスはスターになれるのですか?」


 真理を付いた彼女の質問に、一瞬驚いた顔を見せた恭子であったが頭ごなしに否定する事をせず、MADOKAに対し淡々と説いていった。


「それは違う――最初はなから負けを認めちゃうような奴にお客さんは応援などしないよ。どれだけ危機ピンチが訪れようとも最後には必ず勝利できる選手に、お客さんは感動し惚れ込むんだ。単に強いだけでもあまりにも弱すぎてもプロレスでは《スター》にはなれないの、マド分かった?」


 まだこの世界へ足を踏み入れたばかりで、奥深さや厳しさ難しさ、それに自分が目指すべき方向がまるで見えなかったMADOKAであったが、六年目の今では恭子の言っていた事がよく分かる。そしてその時、リング上で闘っていた選手こそキャリア一年目の小野坂ユカであった事も鮮明に思い出した。


 ――やっぱ強ぇわ、ユカっちは


 頭から首筋にかけてガツン!と衝撃が走った途端、電灯が消えたかのように目の前が真っ暗になり全身から力が抜けた。

 

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