第14話 一難去って……

 淀んでいた眼に光が灯り、薄らぼけていた視界も明るく鮮明となった。MADOKAは思い出した、ここはリングの上だと。

 鉄骨で組まれた灰色の天井、煌々と輝く照明。

 そして――きらきらと眩いばかりのユカの笑顔が、輝きを取り戻した瞳に映った。

 ずきずきと痛みが疼く頭と首。ユカの名を絶叫し続ける周りの観客たちにMADOKAは、自分が彼女に負けてしまった事を悟りごく自然に受け入れた。自分ではもうちょっと抵抗を感じるかと思っていたが、相手にここまで完膚なきまでに叩き潰されると何も言えなくなってしまう。

 という結果自体は非常に悔しいが、今はそれ以上に「やり遂げた」という達成感のほうが強い。

 ユカや自分に対し何のも持っていない、いち地方の観客たちを己のフィジカルの強さと習得した技能スキルを駆使し、都市部の大きな会場で行われる試合並みの熱戦を演じ、彼らを大満足させたのだから尚の事だ。


「――マドちゃん、立てる?」


 腰を屈め中腰で立つユカが、マットに座ったままのMADOKAへ手を差し出す。彼女は何の躊躇もなしにユカの手を握ると、ぐっと腕に力を込めて自分の身体を起こし、ようやく両足の裏をマットに付け立ち上がる事ができた。


「痛ってぇ……でも負けた奴が言うのもおかしいけど、かなり苦戦したんじゃないの?」


 試合には負けたものの、だけは失っていないMADOKAは、一笑されるのを覚悟して皮肉混じりにユカへ尋ねてみた。だが己の類いなる才能に過度に依存する事なく、常日頃から真摯にプロレスに取り組む彼女ならではの、告白にMADOKAは驚いた。 


「うん、凄く大変だった。初めての対戦だったし、遺恨も因縁もマドちゃんとはなかったから、ちょっとキツいけどマドちゃんの領域エリアに飛び込んで行くしかなかった――崖っぷちの緊張感っていうの?少しでも足を踏み外せば、奈落の底へ落ちてくような感じ。そういう怖さは常にこの試合では感じてたよ。マドちゃんもそうだったでしょ?」


 きっちりとプロとしての仕事をやり終え、リラックスした表情をみせ胸中を語るユカの姿に、MADOKAはいたたまれなくなって、本能の赴くままに彼女の小さな身体へ抱きついた。このKADOKAの大胆な行動に、ユカはどう対応してよいものか?と一瞬戸惑い硬直してしまう。


「うん、わたしも感じてた。今日の敗因は正面だけを見て、後ろを振り返るヒマがないくらい、がむしゃらに突っ走っちゃったかな。だから今日の試合は、どう足掻いても勝てっこなかったって事ね」

「あら、次は絶対に勝つような言い振りじゃない?」

「勝ちますよ。ええ、勝ちますとも。次は勝者としてあなたの前に立ってみせるから――だからまた試合、絶対にやりましょう」


 ユカへ再戦を要求するMADOKA。その両手はしっかりと、彼女の右手を固く包み込んでいた。ユカも左の掌をMADOKAの手の甲へ乗せ、返事をかえすべく口を開こうとしたその時、この穏やかな時間をぶち壊さんと、疾風の如く何者かがリングへと駆け登った。

 《荒ぶる南風》うしお 舞海まみだ!

 舞海はリングに上がるとMADOKAをユカから引き剥がし、その重量級ヘビーウエイトの身体から生み出される、直下型地震のように重苦しいストンピングを、無抵抗の彼女へ数発叩き込みリング外へと蹴散らした。そして彼女の非道な行為を止めようと、ふたりの間に入ったレフェリーもまたMADOKAと同じ目に遇い、強制的にされる始末だ。

 血走った目をした舞海と、状況が全く理解できないユカだけが、止める者が誰もいない無政府状態と化したリングに残された。頭の中が混乱するユカは一旦状況を整理しようと、混乱の張本人である舞海の元へ不用心にも、おぼつかない足取りでふらふらと近付いていく。


 何やってるの?

 どうしてこんな事するのよ?


 怒りを通り越え悲しく憐れみをおびた台詞ダイアローグが、今にも聴こえてきそうなユカの表情。だがそれもすぐに舞海の暴挙によって打ち消されてしまう。

 彼女が自分の射程圏内へ入った途端、スピード・パワーともに申し分ない強烈なラリアットが、無防備に立つユカの喉元へ襲い掛かったのだ。

 大激戦を見終え、幾分か注意力が散漫になっていた観客たちの視線をリング上へ引き戻すかのような、舞海のラリアットはアッパーカットの如く突き上げるようにユカの喉元を抉り、その軽量な身体を一回転させ再びキャンバスへと這わせた。この残忍な舞海の行為に会場は静まり返り皆言葉を失った。

 僅かな沈黙の後、誰かが放った怒りの声がきっかけとなり、リングの上の舞海にはブーイングがイヤという程浴びせかけられるが、当の本人は意にも介さずむしろ微笑みすら浮かべる余裕だ。

 大ダメージを負い立ち上がる事の出来ないユカへ対し舞海は、唐突にもシングルでの対戦を表明をする。


「ユカさん、次に自分とサシで勝負しませんか?あなたを完膚なきまでに叩きのめし、それを手土産にして東都女子プロレスへ殴り込もうと企んでいるんで」


 プロレスマスコミが頻繁に取材に訪れる、都市部の興行では、主催する団体に関して迷惑な事や不利益な事は口にできないが、僻地にほど近いローカルタウンを中心に、ひっそりと活動している【プロレスリングこまち】であれば、各団体から派遣された「お客さま」の発言にいちいち反応するものはなく、また派遣した団体もこまちが組んだマッチメイクや、選手らの発言までは事細かくチェックしておらず、正にである。

 仮にこれがユカのホームグラウンドである東都女子の興行であれば、どこの馬の骨か分からない舞海の発言など団体側は完全に無視し、三番手四番手のポジションの選手を当てお茶を濁す所だが、ここではマッチメーカーである悠の采配と、対戦要求された選手の気持ちが行く末を決めるのだ。

 だが強敵・MADOKAとの激戦を終えて、心身ともに疲れ果てた所に突如として現れた舞海から、衝突事故のようなラリアットを貰いダウンするユカに返答など出来る筈がなかった。敵意剥き出しの視線が四方から注がれる中、それでも委縮する事なくとしての使命を最後まで全うすべく舞海は、胸を大きく張って視線を絶対に下げず、堂々とリングを降りバックステージへと姿を消した。

 暫くして自分の足で立てるまでに体力が回復したユカは、苛立ちと不満でざわつく客席を治めようと「ありがとうございます」と四方に向かい、深々と頭を下げ感謝と謝罪の意を表した。そんな健気なユカの姿に心を掴まれた観客たちは、彼女の姿が完全に視界から消えるまで惜しみなく拍手と声援を送るのであった。



 事故アクシデントという予測不能な厄介事は、連続して起こるケースが多いもの――いわゆる《負の連鎖》というやつだ。

 お互いが持てる技術を全てをぶつけ合った、ユカとMADOKAの好勝負グッドマッチの余韻をぶち壊した舞海の乱入劇によって、締まりがなくなった会場の雰囲気はその直後に行われた、メインイベントの結城悠vsクラッシュ仁科に作用した。

 プロレスの基本技を中心とした、太平洋女子仕込みのチェーンレスリングから始まり、重量感のある打撃技が交差する乱打戦へと移り、まるで物語を描いていくかのようにちょっとづつを見せて客席を煽っていくが、今日は誰ひとりとして乗って来る者がいない。普段なら選手プレイヤーたちが、頭の中で思い描くような反応が返ってくるものだか、熱い視線も重苦しい緊張感も何もない。


 持っていかれたか――?


 アグレッシブで刺激の強い現在進行形の試合やそれに続く乱入劇を、最盛期だった数十年前でプロレスに関する情報の更新が止まっている、年配者の多いここの観客が観てしまったからには、メインであるこの試合ではを越える何かを彼女たちは提示しなければならない――五十歳を越えた悠や五十手前アラフィフの仁科は次第に焦りを感じだした。


 いつもやっている事が通用しないのならば、それ以上のものを見せなければ!


 気が付けば仁科の手には、凶器である持参の黒いパイプ椅子が握られていた。

 普段の試合のように、頭部や背中をめちゃめちゃに叩くだけじゃインパクトに欠ける。再び観客たちの気持ちや視線を引き戻すには、あとひとつ何かが足りないと思ったが、仁科の身体は日頃の習性で動いてしまいもう止められない。

 受け手である悠は、彼女の椅子攻撃に反応して受身セールの体勢を取るが、波状攻撃の中で不意に放たれた一発が、不幸にも想定外の場所へ当たってしまう。

 鈍い音が聴こえたすぐ直後に、患部に耐えられない程の激痛が走った。

 パイプ椅子の固い部分が彼女の足首の骨を折ったのだ。

 芝居ではない悠の本物の絶叫が、仁科の攻撃する手を止めた。

 足を押さえ悶え苦しむ姿に、いま自分がという事を忘れ青褪める。自分の役割を放棄して彼女の側へ駆け寄りたい気持ちだったが、であるはずの悠がそれを、言葉でなく視線だけで仁科へ訴えこれを制す。


 悠たちは不本意ながらもユカたちが繰り広げた好試合の余韻を、レスリングではなくアクシデントで全て消し去ってしまったのだった――

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