第21話 シーソーゲーム

「よっしゃ、行くぞ!」


 コーナー最上段に登ったユカが叫んだ後、身体を玉のように丸め、眼下の舞海に向かって回転アタックした。場外ではなく珍しい場内でのトペ・コン・ヒーロが舞海へ見事に着弾する。高さと回転との合わせ技でパワーを倍増させたユカの、捨て身の一撃を喰らった彼女は後方へと音をたてて転倒した。


 四人の中で一番軽量であるユカが、重量級選手の舞海を床へ転がすには、持ち前のスピードやリングの高低差を利用した攻撃をするしかない。変化球ではなく真っ正面からぶつかれば、彼女を被う肉の壁に弾き返されるのが目に見えている。


 ユカはさっそく倒れている舞海の、上半身に被さりフォールの体勢に入った。

 ワン、ツーと順調に進むフォールカウント。だが自分の背中に衝撃を感じ、突然カウントが停止してしまう。沙耶がリングに入り、ユカの背中をストンピングし舞海を救出したのだ。


 ユカの繰り出した回転背面アタックのダメージから、完全には回復していない舞海は横たわったままマットを転がり、自軍コーナーへと戻り待機するパートナー・沙耶へタッチをした。


 ふわりとロープを飛び越え、リングインした沙耶はユカと対峙するや吸い寄せられるように歩み寄った次の瞬間、ガッチリと組み合った。掴む手に力を込め、ポジションを取り合う最中にふたりの視線が交差する。

 先手を取ったのは沙耶だった。彼女は素早く手首を掴み、ユカの腕を逆方向へ捻った。スタンディングでの腕固めを決められ、厳しい表情をみせたユカだったが、何と前宙でこの難局を切り抜け逆に攻撃へと転じた。先ほどと同じ腕固めだが攻守が入れ替り、今度は沙耶が身をよじり腕の痛みに耐える番だ。


 以前にユカとシングルで対戦した時も、同じ技の攻防で力量を測られた沙耶。だが今度は以前とは違う成長した姿をユカに、そして観客たちに見せつけなければならない。捻り曲げられた腕を叩いて肩や肘から走る痛みを散らし、ユカとは別の方法――側転をして腕の筋を元の位置に戻し痛みから逃れると、強引なアームホイップで彼女を放り投げた。着地をする際に臀部をひどく打ち付け動けないユカへ追い打ちをかけるべく、がら空きの背中へ低空のドロップキックを放つと、勢いよく身体がエプロン際まで転がった

 狭いエプロンサイドでユカはダメージが癒えないまま、固いロープを掴み懸命にリングの中へ戻ろうとするユカ。しかし調子に乗った沙耶はそれを良しとせず、完全に勝機を断ち切らんとばかりに、安全地帯セーフティーゾーンでひと息ついている彼女に向かい、胸板へ肘打ちを叩き込んで、再びリングの外へ突き落とさんと一目散に駆け出した。この攻撃を喰らってしまえば、戦意が削がれてしまうのは目に見えている。


 だがユカは違った。沙耶が接近するぎりぎりの所で、ロープを両手で掴み、もう一本のロープをバネ代わりにして高くジャンプすると、体操競技の鉄棒のように前方回転して突進してくる沙耶の上を飛び越え、無事にリング内へと戻った。彼女はこのユカの見事なディフェンスに呆気に取られ一瞬動きが止まってしまう。

 経験豊富、百戦錬磨のユカが、このチャンスを見逃すはずはなかった。動作の止まった沙耶の背中へ強烈なドロップキックを叩き込み、今度は逆に彼女をリングの外へと排除すると、満面のドヤ顔を見せ、腕を組んで背筋をピンと伸ばし見栄を切った。

この見事な逆転劇に会場は大きく沸いた。やはりユカの方が一枚上手だったようだ。 


 だが安心などしていられなかった。これはふたりの選手と闘うタッグマッチなのだ。悔しがる沙耶を見て、得意満面なユカの背後から、対角線上のコーナーの外で待機していた舞海が、レフェリーの制止を無視してリングの中に入り、重量級とは思えない速さで駆けて来て、がら空きだったユカの背中にハンマーパンチを振り落とし、彼女の小さな身体はキャンバスの上に這いつくばった。


「沙耶っ、焦るな!落ち着いて!」


 レフェリーに注意され自軍コーナーへ戻っていく舞海からの激に、沙耶の恥ずかしさと憎たらしさで熱くなった頭はクールダウンし、周りの様子も冷静に見れるようになった。きっと自身にも過去にそういった経験があったのだろう。先輩からの経験に基づくアドバイスは時としてどんなよりも勉強になる。

 沙耶はMADOKAからの援護射撃に気を配りながらリングインし、相棒が待つ自軍コーナーに向かう。一度闘いから外れたほうがいいな、と思ったからだ。だがその前に、あいつに一発ブチかましてやらないと気が済まない――彼女は立ち上がらんとする無防備なユカの姿を見るや、背中へ仕返しのストンピングを二発喰らわせて、もう一度マットへ強引に

 あー、スッキリとした――晴れ晴れとした表情で沙耶は陣地へと帰っていった。


 レフェリーが舞海へのタッチを確認、正式に試合権利が彼女へと移る。


 リングインするや否や突如、勢いよく反対側のロープへと走り出す舞海。

 巨体に似つかわしくない素早さで、硬いロープに身を預け跳ね返ってくると、俯せに倒れているユカの手前で勢いよく踏み切りジャンプし、背中から彼女の身体へめがけて落下した。自身の体重ウエイトを最大限に生かした得意技・背面落としセントーンだ。

 背中に肉塊が落ちてきた瞬間、「ぐぅ!」と変な声をあげてしまうユカ。舞海は悶絶する彼女を裏返し、己の身体を被せてフォールする。

 だがカウントが2を過ぎた頃、突如激痛におそわれた舞海は、とっさにフォールの体勢を解いてしまった。

 ユカのパートナーであるMADOKAがカウントを阻止するために、リングに飛び込み舞海の後頭部に鋭いキックを叩き込んだのだ。


 勝利を目前にしながら自ら放棄してしまった悔しさと、それをさせたMADOKAへの憎しみで、標的をユカから彼女へと変更し、お返しとばかりに下顎付近へめがけ、重量感のあるひじ打ちを一発、二発と放った。

 顎へヒットする度に意識が朦朧となるMADOKAだったが、負けじと大腿部や横腹へ向けて、鞭の如くしなやかで鋭利な蹴りをびしびしと打ち込んだ。

 互いに一歩も引かない乱打戦に、観客たちの感情は徐々にヒートアップしていき――ついには、各自が贔屓の選手の名を叫び応援するまでに至った。ユカの上手さばかりが注目されがちだが、両選手とも観客の感情を揺さぶるポテンシャルは十分にあるのだ。

 当初は互角だったふたりの打撃戦だが、次第に重さのある打撃を放つ舞海が、スピードのMADOKAを圧倒していく。スタミナも奪われ、蹴り足に力が入らなくなった彼女の身体がふらふらと左右に揺れだした。


 突如、舞海の上半身が前方に傾いた。

 ダメージから回復したユカが、救出するために背中へドロップキックを放ったのだ。この掩護射撃を無駄にしてなるものか、とMADOKAは腕を取るや舞海の身体に密着し、己の身を回転させ彼女をマットへ寝かせるや腕十字固めの体勢に移行した――格闘技スタイルのMADOKAが得意とする、飛び付き腕十字固めだ。

 だが、まだ完全に腕は伸びきっていない。倒れる直前に腕をグリップし、体勢を巧みにずらして防御ディフェンスしたのだ。


 MADOKAは、舞海の命綱ともいえるしっかり握られた両手を外すため、懸命に引っ張ったり手刀で叩いてみたりと、あらゆる手段で開錠を試みた。手が離れてしまえばこちらのもの。彼女は舞海の太い腕を相手に格闘する。ユカの救助、という本来の目的を忘れ、戦闘状態となった彼女の視界には相手しか見えず、他の事に気を配る余裕はなかった。


 そんな時、沙耶が険しい顔をしてリングの中へ入ってきた。そして何の躊躇もなく、危機的状況の舞海を救うべくMADOKAの頭や、胸をめちゃめちゃに蹴る、蹴る、ひたすらに蹴る。このなりふり構わない行動が功を奏し、無事に舞海からMADOKAを引っぺがす事に成功した。

 試合開始直後はさほど沙耶の事を格下だと、半ば舐めていたところがあったMADOKAだったが、あまりのしつこさにとうとう意識を向けざるを得なくなった。彼女は「わたしに闘わせろ」と言葉と身振りでアピールすると、ユカは己の事よりもチームの勝利を最優先し、MADOKAに闘いの続きを託した。


 舞海を自軍のコーナーへと逃し、再び交代した沙耶は、緊張と怒りが入り交じった表情で彼女と対峙した。明日のシングルマッチの前哨戦とはいえ、ここでを残さなければ何の意味もない。


 いきなりMADOKAの放つミドルキックが沙耶の胸をえぐる。ずっしり重い衝撃と痛みで小さく喘ぐ彼女であったが、ここであっけなく転倒してしまうわけにはいかない。全身に力を入れて何とか踏み止まった。しかし蹴撃は単発では終わらない。休む間もなく続けて一発、もう一発といろんな場所にキックが叩き込まれていく。


 全身を駆け巡る鈍重な痛みに、何度も意識が飛びそうになる沙耶は、ふとコーナーへ視線を向けてみる。エプロンではパートナーの舞海がロープを強く握りしめ、何も言わず自分へ熱視線を送っている。

 反対のコーナーも見てみた。舞海と同じように険しい表情のユカがMADOKAを無言で見ていた。

 どちらもぴくりとも動かないが、身を低くして緊急事態に備えている。その光景はまるで自分たちに対し「決着あとはお前に託した」と言わんばかりだ。

 

 ――やってやろうじゃないの。


 勝利への執着心が、全身に走る痛みを上回った。

 

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