第22話 大金星
もう何発、あいつの身体に叩き込んだのだろう?
蹴っても蹴っても闘志が消える事がない沙耶に、さすがのMADOKAも辟易する。格闘技出身なので短期決戦には強いが、持久戦に持ち込まれるとスタミナの無さが露見されてしまう。その点沙耶は最初からみっちりと、プロレス流のトレーニングを受けているので耐久・持久力には自信がある。いかに相手を早く仕留めるかを突き詰めた攻撃重視の身体と、しっかり相手の技を受け止められる身体との違いだ。
身体のどの部分からも悲鳴があがる。蹴りが当たるたびに痛みが走り、沙耶の脳へSOSを発信するが、絶対にここで倒れてしまうわけにはいかない。彼女は奥歯を噛みやせ我慢をして好機を待った。
業を煮やしたMADOKAは、少し息を吐き気持ちを整えると高角度の蹴りを放った。着弾点は沙耶の側頭部――危険ではあるが、試合を早く終わらせ勝利を掴むにはやむを得ない。
風を切り、唸りをあげて迫ってくるMADOKAの右脚。
着弾までの時間はあとわずかだ。彼女自身も、そして詰め掛けた観客たちも最後の瞬間を脳裏に描いていた。これでおしまいだ――と、誰もがそう思った。
だが沙耶の姿は、突如彼女の視界から消えた。
MADOKAの行き場を失った右脚は、宙で半円を描き空振った。沙耶はいったいどこへ――?
彼女は蹴りの軌道を読み、被弾するぎりぎりの所で体を後方へ反らせたのだ。そして重力に身を任せ背中をマットに付けた後、腹筋・背筋を使いビデオの逆再生のように跳ね起きると間を入れずにMADOKAの胸へ、矢のようなドロップキックを放った。中学時代に全身全霊をかけて打ち込み、途中で挫折を味わい苦い思い出しかない体操競技の経験が、この反撃のチャンスを生み出したのだ。
——うおぉぉぉぉっ!
観客のどよめきが体育館の天井で反響し・増幅され、大きな波となって沙耶の身体を包み込んだ。巡業初日の彼女であったならば、彼らから放たれる
変則的なムーブに一瞬たじろいだが、我に返り怒りの湧いてきたMADOKAは軌道修正すべく、彼女の腹に爪先蹴りを入れて動きを止めると、向正面のロープへ投げ飛ばした。弾かれて戻ってくる沙耶には報復が待ちかまえている。
しかし、そうはならなかった。
ロープに背中が接触した後、またもや変則的な動き――
この沙耶の新技をロープ越しで目撃していたユカは、敵である事を忘れ思わず「うひゃあ、凄いな!」と唸ってしまった。
けれども好機は長く続かない。調子に乗った沙耶が再び変形スタナーをMADOKAへ仕掛けようと、自らロープへ飛んだが同じ手は二度も通じる訳はなく、逆に彼女の切れ味鋭いハイキックを後頭部に喰らってしまう。強烈な蹴りの衝撃で、沙耶の膝から力が抜けキャンバスの上に伏せてしまう。
沙耶を仰向けに転がし上半身へ覆い被さり、フォールの体勢に入るMADOKA。レフェリーは無慈悲にも、マットを掌で叩きフォールカウントを始めた。
——こんな所で寝てる場合じゃねぇ!
沙耶は2カウントを過ぎ最後のカウントを、レフェリーがマットに叩き付けようとした瞬間、奥歯を食いしばり自力で押え込みをはねのけた。途中ユカと舞海が救出と援護にリングの中へ入ったが、コンタクトする事はなく互いに睨み合っただけで終わった。
試合時間も二十分を超え、ガス欠間近で青色吐息のMADOKAは、少しでも呼吸を整えようと、身体を曲げ俯き加減で立っていた。酸素が頭に回らないのか次の一手が浮かばない。
チャンスとみた沙耶は、素早く彼女の首を取るや否や、身体を回転させフォールを狙った。電光石火の小包固めにより、突如マットに肩を付けられたMADOKAは、状況が整理できずパニックに陥った。
フォールカウントがふたつ数えられた時、ユカと舞海は再びリングで対峙する。今度は本当に危ないと察したのだろう、リングインするスピードが尋常ではなかった。3つ目のカウントが入る寸前、ユカはMADOKAをしっかり固める沙耶の背中を蹴り、勝負を振り出しに戻した。これに怒った舞海はユカの髪の毛を鷲掴みし、乱暴に場外へと放り投げた。これでリングの中はまた一対一だ。
立ち上がって反撃しなければ、と頭の中では思っていても、身体が付いてこないもどかしさをMADOKAは感じていた。沙耶との闘いは短期決戦を見込んでいたが、これ程しつこく食らいついてくるなんて、予想だにしなかった自分の甘さを恥じた。乱れた呼吸を整え、疲労で重くなった太腿にぴしゃりと平手で活を入れてみるが、中々立ち上がれない。
MADOKAがもがき苦しんでいる最中、沙耶が再び動きだした。四つん這いの体勢で固まっていた彼女の腕を取ると、回転しMADOKAの身体を器用に丸め込む。ルチャリブレの奥義である
この沙耶の突飛な行動に、MADOKAは為す術もなく肩をマットに付け、フォールカウントを聞く事となった。何とかして技を外そうと抵抗するが、脚がしっかりロックされているうえに首が圧迫され、逆さまになっている体勢を返すのは不可能だった。
救出と援護に入るべきユカと舞海は、リング上の出来事など関係なしに、場外で激しくやり合っている。歓声と悲鳴がこだまする中、髪を掴んだりパイプ椅子で叩き合ったりとやりたい放題。セコンド業務についている選手たちは、観客たちが乱闘に巻き込まれないよう誘導するのに精一杯だ。
ガシャーン!
舞海が空っぽになった客席へ、ユカをゴミのように放り投げた。椅子が激突し音を立て散乱する様子は、観るもの全てを畏怖させまた興奮させた。
ユカだって、このままじゃ終われない。椅子の山から抜け出ると、舞海に向かって駆けていき体重の乗った肘打ちを胸へ叩きつけた。身体の大小に関係なくユカの打撃の威力は、彼女の表情が一瞬歪んだほどだ。もうリングの中は眼中になかった。ふたりは叩き潰すために激しく殴り合い、それを近くで観ていた観客たちの身体の中は熱く滾った。
カンカンカンカーン!
突如激しいゴングの金属音が、体育館中に響き渡った。それを合図に、攻撃の手がどちらからともなく止まると、ふたりはリングの方を見る。
沙耶が膝をついてのガッツポーズで、勝利の喜びを表しているではないか。
先輩であるMADOKAから単独でピンフォールを奪ったのだ。この大金星に観客の視線は、一斉にリング上の沙耶へ向けられた。リングの外のふたりは一瞬にらみ合うと、舞海は「よくやった」と笑顔で彼女の元へ駆け寄り、ユカの方は「しょうがないか」と言わんばかりの曇った表情で、腰に両手を当てゆっくりとリングへ歩いていった。
リングの中央でレフェリーに、腕を上げられ勝ち名乗りを受ける舞海と沙耶。沙耶は時折打撃による痛みに顔をしかめるが、それでも大熱狂する観客たちに対し、喜びいっぱいの笑顔をみせ彼らに応える一方で、敗者となったユカとMADOKAはコーナーにもたれ掛かり、悔しそうに勝者チームを眺める事しかできなかった。敗者は何もやるな――この世界の掟だ。
「やられたわぁ、完全に」
「強くなったなぁ、沙耶ちゃん」
うなだれるMADOKAの横で無意識にユカが呟いた。最初に闘った時は《よくできた新人》だった彼女が、今やプロレスリングこまちを背負って立つ存在にまで成長――いや、変貌した事に驚きを隠せない。立場が人を成長させる、とはよく言ったものだ。
「でも、まぁ明日が面白くなったのは確かだよな」
ひとしきり反省したのか、MADOKAの顔から陰りが消え、気持ちを翌日の最終戦へ切り替えたのか、いつもの明るい表情をユカにみせた。
「そう、全ては明日の試合で決まる――上出来すぎるよね、このシチュエーションって」
ユカがMADOKAの肩を叩き退出を促すと、ふたりはリングから降りバックステージへ帰っていった。今宵のヒロインである沙耶はというと、止まない声援に対しいつまでも両手を振って応え続けていた――
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