第20話 前哨戦

 先の試合が終了し、興奮覚めやらずざわつく観客たちをよそに、入場口の扉裏で静かに待機するユカ。乳白色の廊下の床へ視線を落とし、場内へ飛び出すタイミングを図っていた。だが、今日入場するのはひとりだけではない。

 隣で待機している、本日の相棒パートナーMADOKAが、軽く柔軟運動をしてユカと同じく来るべき時を待っていた。

 今宵のメインイベントは、一足先にリングインしている、翌日の最終戦での対戦相手同士のタッグチームと激突する、最初で最後の前哨戦である。

 所属する団体の異なるふたりが、チームとして上手く機能するのだろうか?だがユカもMADOKAも全く不安がなかった。所属する団体は違えども、新人時代からの顔見知りで友人であるので、即席タッグでも何の心配もなく、パートナーに身を預ける事に躊躇はない。


 ユカの入場曲が館内中に大音響で響き渡る。途端に彼女は顔を上げちらりとMADOKAの方を向いた。

 準備はOKとばかりに、親愛なるパートナーはこくりと首を縦に振る。

 さぁ、行こうか!

 ユカは両手をぐっと握り身体中に気合いを巡らせると、観客たちの期待が最高潮まで高まった場内へと足を踏み入れた。


 ふたりが扉から登場すると、観客たちは拍手や歓声をあげ一気にヒートアップする。現在の女子プロレスの潮流トレンドを追う事の無い、年配者の多いこの土地で全く無名だったユカは、その類い稀なプロレスの才能と惜しみないファンサービスで、悠一強だったプロレスリングこまちで、着実に支持率を上げていったのだ。

 同期コンビは通路から対戦チームを睨み付けた。リングの上ではふてぶてしく腕を組んで仁王立ちする《荒ぶる南風》潮舞海、そしてトップロープに腰かけ、小悪魔ちっくに不敵な笑みを浮かべる、成長著しい生え抜きの姫井沙耶。こちらも即席チームとはいえ、かなりの強敵である事は間違いない。


 リングに上がったユカとMADOKAは、レフェリーからボディチェックを受けている際も、決して相手から視線を逸す事がない。それは相手も同様で、頭から爪先まで隈無く見定め今後の戦略を練っているのだ。

 突然何か気に障ったのか、沙耶が前に踏み出し突っ掛からんばかりにMADOKAへ急接近する。彼女もすぐさま臨戦態勢をとりジャブを打つ振りをしてこれを牽制した。只ならぬ危険な空気に反応したレフェリーは、強引に間へ割り込みふたりを分けた。

 自分のすぐ近くで小さなトラブルが勃発するも、ユカと舞海は視線を合わせたままピクリとも動かない。肌を合わせてからが本当の勝負だ、と云わんばかりに。


握手シェイクハンド、OK?」


 レフェリーが両チームに試合前の握手を促す。だが四人ともそれを拒否し、それぞれのコーナーへと移動する。赤コーナーにはユカとMADOKA、青コーナーには舞海と沙耶だ。

 彼女らの熱い闘争心を抑えきれない、と判断したレフェリーは、本部席に向かって試合開始のゴングを至急要請する。

 響き渡る甲高い鐘の音。遂におんなたちの闘いの火蓋が切られたのだった。


 先に出てきたのは沙耶とMADOKA。共に自ら先発を買っての登場だ。翌日の最終戦ではシングルマッチが決定している両者、この前哨戦で勝利して勢いをつけたい模様。

 右手を前方に出し、早く相手へ組付きたい沙耶であるが、MADOKAはこれを嫌がり太腿狙いのローキックで牽制し、彼女を自分の間合いには入らせない。六分ほどの力加減で鋭い蹴りを放つが、巧みにブロックしてMADOKAの蹴りを上手く。蹴り技を主な武器としていた師匠・悠と、日々行ってきた道場での練習の成果だ。

 一度ならず二度三度と、蹴りを完封されたMADOKAはほぉ、と感心したような表情をみせた。まだ新人ぺーぺーだと思っていた沙耶が思いの外ので、これは認識を改めなければ、とMADOKAは気を引き閉めた。

 蹴りを防御しながら徐々に間合いへ侵入する沙耶に、MADOKAはハイキックを敢行する。意図的に下半身ばかり攻撃してきたので、彼女の注意が下方へ向いたままだと睨んだのだ。

 だが渾身の蹴りは空を切った。

 沙耶はハイキックが来るのを、前もって予測していたのだ。体勢を低く屈め彼女はMADOKAの軸足へ目掛けてタックル。テイクダウンを奪いすぐさま自分の脚を絡ませ、基本技である 爪先固めトゥホールドで足首を螺切らんばかりに目一杯捻った。

 激痛に顔を歪めるMADOKAであったが、初歩的な技でギブアップを奪われるほどヤワじゃない。必死になって足首を捻りあげる沙耶の顎を、両手で掴み駱駝固めキャメルクラッチの要領で首を反らせた。今度は沙耶が苦悶の表情を浮かべる番だ。

 このまま攻め続けるべきか、あるいは一旦退くべきか――ふたりの頭のなかで思考が高速回転する。ここで無理して我慢比べをしても仕方がない、そう判断した両者はどちらからともなく手を離し距離をとった。

 仕切り直したふたりは、今度は派手な投げ技対決となった。アームホイップや腰投げヒップトス、体を持ち上げてからのボディスラムや少々荒っぽい首投げなど、何度も何度も身体が宙を舞い、キャンバスへ叩き付けられる両選手。

 再び組み合わんと距離を詰めた沙耶へ、投げられるのを嫌ったMADOKAが、切れ味鋭い膝蹴りを腹へ差し込んでこれを回避した。

 患部を押えよろよろと自軍のコーナーへと後退する沙耶。それを待ち構えていたように、エプロンで待機しているパートナーの舞海がぽんと彼女の肩を叩きロープを潜る。レフェリーはそれを選手交替と認識し、お互い闘うよう指示をする。

 年齢に似合わぬふてぶてしい態度。これがフリーランスという、厳しい環境で生きてきた潮舞海でしか持ち得ぬ威圧感だ。先日の出来事もあってか、観客たちはごく自然に彼女を悪役ヒールと見なしブーイングを飛ばした。

 ブーイングや罵声など気にする様子もない舞海は.、その大柄な体格からは想像できない程の素早さで軽量のMADOKAを捕らえると、動作の速い背負い投げで彼女を一気に投げ飛ばした。キャンバスへ激しく叩き付けられた《格闘フェアリー》の身体に激痛が走る。

 幸い受身は取れたものの、打ち付けられた身体の痛みが、脂肪や筋肉を通り越し骨まで染みて、さすがのMADOKAも一時撤退をせざるえなかった。


 タッチし交代したユカがリングに入ると、今度は逆に歓声と大声援が館内に飛び交った。こちらは彼女の事を正統派ベビーフェイスだと、観客たちはごく自然に認識していた。


 150センチに満たない彼女を、見下ろすように舞海が睨み付ける。

 ユカも負けじと、背伸びをして胸を付き合わせ相手を睨み返した。

 至近距離でバチバチと、火花が散るような視殺戦が繰り広げられる。当然双方とも退く気配がない。

 最初に動いたのは舞海だった。

 膠着状態を打破すべく、ユカの胸を舞海は激しく突き飛ばし距離を取った。

 これに反応したユカは、腹へキックを入れ彼女の身を屈ませると、ジャンプして首の頸椎付近へ肘を叩き込んだ。

 差し込むような鋭い痛みが舞海を襲うが、意地でも屈してなるものかと、足を踏ん張りお前の攻撃など効いていない、とばかりにこれを堪える。

 それならばこれはどうだ?と至近距離からドロップキックを、先ほどの攻撃で下がっていた舞海の顔に目掛けユカは放った。これには耐えられず彼女はゴロゴロとキャンバスの上を横転、顔にはしっかりとシューズの跡が赤く刻印されていた。小野坂ユカは小さいだけじゃない――失態を晒した舞海の、闘志の炎が目の奥で灯る。

 

 これを境に試合の展開はスピーディーに、そして激しさを加速させていった。


 重量のある舞海を、MADOKAとユカがふたりでブレーンバスターで投げたり、逆に舞海の指示で沙耶が、コーナー上段からのドロップキックでユカの胸板を撃ち抜いたりと、攻撃したらやり返されるシーソーゲームな試合展開が延々と続く。


 ロープに振り戻ってきた舞海を、ユカとMADOKAは手を握り腕を水平に伸ばして、ダブルのクローズラインを狙ったが、ガードを固めた彼女の猛進で失敗。再び反対側のロープに飛んで戻ってきた舞海は、丸太のような太い腕ふたつで逆にユカたちをラリアットでマットに沈めていった。馬力の差を見せつけられた観客たちは、ただ驚嘆の声をあげる他なかった。

 これが前哨戦である事を忘れてしまうほどの、互いの意地と意地とがぶつかり合う熱き闘い模様に、観る者の興奮は更にヒートアップしていく―― 

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