第7話  深まる絆

 プロレスリングこまちのラストツアー初日は、大盛況で幕を下ろす事ができた。


 他団体のスター選手であるユカと新人選手の沙耶が、お互いの意地をぶつけ合った激しく熱い、第一試合でのファイトによって火を付けられた観客たちは、その後も高揚感が一時も冷める事は無く、エース・結城悠が出場したメインのタッグマッチが終了するまで、終始声援や拍手が送られ続けたのだった。

 全ての試合が無事に終わり、体育館を後にする観客たちの顔は、誰もが冷めやらぬ興奮と充実感で紅潮していた――今宵の大会が成功した証だ。


 だが選手たちは一夜の成功に酔いしれている暇はない。次の日もまた次の日も試合はあり、一旦自己満足してしまえば緊張感は途切れてしまい、モチベーションや試合のクオリティーが下がってしまう可能性がある。だから彼女らは今日よりもっといい試合をに見せられるべく、キャリアの長短を問わず絶えず努力を続けていかなければならないのだ。



 ツアー二日目、早朝――

夕方から開催される次の大会に備え、巡業に参加する選手たちがプロレスリングこまちの道場へ集合し、各々のメニューで練習に励んでいた。多くの団体のように都市部中心に転戦する巡業ツアーならば、街にあるトレーニングジムなどを使用してウォーミングアップが出来るが、こまちが主な活動地域エリアとする田舎町だとなかなかそうはいかない。幸いここは道場を起点として各開催地へ移動する方式を取っているので、参戦選手たちはここで練習しその晩または昼間に行われる大会に備えるのだ。


 クラッシュ仁科ら年配揃いの《ゴースト》勢が、器具を使用してウエイトトレーニングに励むなか、リングの上ではユカを筆頭にMADOKAや舞海らが、たったひとりの若手選手である沙耶に稽古を付けていた。それぞれの団体の人気選手であるユカやMADOKAから直接指導を受けられるめったにない機会チャンスに、前夜のダメージが完全に癒えていないにもかかわらず沙耶は、歯を食いしばり彼女らに喰らいついていく。


 

「ほらどんどん攻めて! でないと下から舞海ちゃんに極められちゃうよ」


 実践練習スパーリングを行っている沙耶へMADOKAの激が飛ぶ。

 キャンバスへ背を付け仰向けになった、自分の倍以上ある舞海の上半身へ跨ったまでは良かったが、そこから先は相手の防御ガードが固くなかなか侵攻できないでいた。果敢に何度も腕や首へと手を伸ばす沙耶だが、実戦経験の差は歴然で全て舞海にブロックされてしまう。

 優位な体勢にいながらもそれを有効活用できない苛立ちで焦る沙耶に、ついに舞海が動き出す。細い沙耶の胴を自分の両腿で挟み動けなくすると、強靭な下半身の力で体勢ポジションを天地逆転させた。今度は沙耶の胸骨にずしりと重量が圧し掛かる。

 腕や背筋を駆使して、必死に抵抗する彼女だったがもう遅かった。防御のため迂闊に出した腕を簡単に掴まれると、素早くLの字に捻じ曲げられ肘関節を極められてしまった。

 沙耶の悲鳴が道場中に響き渡る。

 だがすぐ側にいるMADOKAやユカはもちろん、外でウエイトトレーニングに励む仁科たちも彼女を助ける事はしない。ベテラン勢はむしろその光景に笑みさえ浮かべていた。


 リングの上では強さこそが全てなのだ。


 リングコスチュームや動きの派手さと可愛らしさを求められる、昨今のプロレス界では蔑ろにされがちなだが、身に付けているのといないのでは全く異なる。仮に隠し持った殺しの技術シュートを使う機会はなくとも、それが本人の絶対的な自信や支えとなる。

 一番小さなユカだってマットレスリングの技術は習得している。練習生時代に師匠コーチだった冨美加に各種受身と共に、見た目で舐めて掛かる相手に対しリングの上で、に報復する手段として徹底的に叩き込まれたのだ。


 舞海の背中をタップし技を解いてもらった沙耶は、マットに尻を下ろし患部を押さえ悔しそうな表情を浮かべる



「――みんなから教わってるの沙耶? いいじゃない。練習の積み重ねこそがプロレスが上手くなる一番の近道よ」


 こまちのエース・結城悠が道場へ現れた。真打の登場に、ここに居るどの選手もが彼女に対し挨拶をする。

 トレーニングを終えた仁科が悠の元へ寄っていった。


「やっぱり……身体、良くないですか?」

「まぁね、やる気はあってもこう身体が固くちゃ危ないよね。起き掛け一時間の風呂も効果が薄くなってきてるし……もう潮時かな」

「そんな事言わないでくださいよ、先輩。が現役でいてくれるだけで悪役ワルのウチらは満足なんですから」


 実際に悠の身体は限界を超えていた。

 女の子ファンたちのアイドルだった十代、今もファンの語り草となっている大勝負や名勝負を繰り広げた二十代で酷使した彼女の肉体は、人気のピークを過ぎた三十代後半以降高まるカリスマ性とは反して悲鳴を上げだした。膝や腰などプロレスに於いて一番大切な部位が彼女の意思を。幾度となく手術による欠場や復帰を繰り返した結果、既に太平洋女子を退団し以降、こまち入団までの間フリーの道を歩む事になってしまった。


 もうかつてのように万人を魅了できる動きはできない、と悠は自嘲する。

 しかし長年肉体を酷使して築き上げた信用は大きく、今でも彼女をスターとしてファンたちは扱ってくれる。

 理想と現実とのギャップに歯痒さを感じる悠が、引退を考えるのは至極自然な流れといえよう。所属団体であるプロレスリングこまちも、今回のツアーをもってするので辞めるタイミングとしてはこれ以上ない。


 ――だけど沙耶はどうなるのよ?


 今一番気掛かりなのは姫井沙耶の今後だ。


 団体がクローズするのを代表の大澤から事前に聞かされて以降、悠は彼に今一番勢いのある選手を各団体から招聘してくれるようお願いをした。誰かひとりでも沙耶の存在を気に入ってくれて、ここではない何処かの団体へ移籍ジャンプできる事を願って。

 そして最後の最後で、自分とは姉妹のような関係だった冨美加のである小野坂ユカが参戦してくれる――これを運命と言わずして何と言おう。


 悠はプロレスの女神に感謝した。



 遥の声を聞いた途端に沙耶はばっと飛び起き、痛みを笑顔の奥に隠し「平気です」アピールをしてみるが、師匠には全てお見通しだった。


「隠してもダメよ。我慢し過ぎてもう腕が上がらないでしょ? 今日も試合があるんだから程々にしておかないと」


 師匠・悠を除いて自分の弱みを絶対に見られたくない沙耶は黙っていた。先輩三人を相手に、一時間近くスパーリングをし続けた根性は素晴らしいが怪我をしてしまえば元も子もない。悠自身が身をもって経験しているのでその辺に関しては誰よりも厳しい。

 

「すいません悠さん、私たちも気付かなくて調子に乗ってしまって」


 ユカが代表して悠に謝罪をする。だが彼女の肉体の限界を日々の練習で知っている彼女は特に怒った様子もなく、沙耶はもちろんユカら三人にもこれ以上言及する事は無かった。

 沙耶の極められていた方の腕に、MADOKAから冷却スプレーが噴きかけられた。

 薬品臭が鼻孔に充満し、痛みで熱を持っていた患部が一瞬で凍るように冷たくなる。


「どう、少しは痛みが引いた?」


 冷たさで顔をしかめながらも、こくりと返事をする沙耶にスパーの相手であった舞海もひと安心する。


 自分の現役時代には見られなかった、和気あいあいとしたリング上での練習風景に満足する悠は仁科をパートナーに柔軟運動を開始し、いう事を聞かなくなった身体に鞭を入れつつも、頭の中で今夜の対戦カードを練るのだった。

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