第8話 ホームタウン・ヒロイン

 この場にいる観客たちは皆、鬼のような所業に恐れおののいていた。


 選手へ近付かないよう注意を喚起する、アナウンスに促されるように、奇麗に並べられていたパイプ椅子を次々となぎ倒し、極悪ヒール集団《ゴースト》のリーダー格・クラッシュ仁科は周りに睨みを利かせながら、鈍く光る凶器のチェーンで首を縛られ、身動きの取れない結城悠を引き摺って試合会場を練り歩く。


 オールドファンはテレビ、現在のファンならばパソコンのモニターや携帯端末の中の出来事だと思っていた場外乱闘が今まさに、目の前で起きているという事実に平穏な日常に慣れてしまった思考が混乱パニックを起こす。

 液晶画面を一枚通せば他人事だが、全力フルスイングで凶器のパイプ椅子を相手の頭部や背中に叩きつける鈍い音や、痛みで溢れ出るうめき声など地獄のような光景が自分の目の前で繰り広げられれば、作り事フェイクだとしても観た者には紛れもないであり、己の常識を超える行為は恐怖でしかない。

 悪者ヒールの蛮行に悲鳴をあげる者や罵声を浴びせる者、そして彼女らへ反撃してほしいと願い善玉レスラーたちを応援する者――観客の反応は様々だ。だが共通していえるのは皆が、この場外乱闘という興奮エキサイトしているという事だ。


 今宵のタッグパートナーであるユカや沙耶が悠の救出へ向かえないよう、《ゴースト》の仲間である里田麗とマイティ久住は、殴る蹴るといったラフ殺法や凶器攻撃で足止めさせる。自分の団体では滅多に場外戦にまでもつれ込むほどの試合はあまりなく、慣れない状況に戸惑ったユカは悪役たちから総攻撃を喰らった。

 爪先蹴りやナックルパンチ、それにパイプ椅子などあらゆる反則技が彼女の小さな身体に降り掛かり、怒りと抵抗する力を奪っていく。


 ユカの頭頂部へ里田の持っていた椅子が激突した。

 あまりの衝撃にふわりと意識が遠のき、その場に両膝を折って前のめりに倒れる。

 観客たちによる悲鳴や自分の名を叫ぶ声が耳に入って来るが、どうもしばらくは立ち上がれそうにもない

 薄らと目を開け、ユカはもうひとりのパートナーである沙耶の方を見た。久住が椅子の脚部分を床へ寝転がっている、彼女の喉元へ押し付けて動けなくしていた。気道を圧迫された沙耶は両足を上下にばたつかせて、苦悶の表情を浮かべるのが精一杯だった。

 「プロレス一年生」でありながらも師匠・悠のネームバリューのおかげで、仁科たち元太平洋女子のベテラン勢や各団体の逸材たちとの対戦によって、余所の新人とは比べ物にならないほど密度の濃い時間を過ごしてきた沙耶だったが、反則攻撃や場外乱闘といったレスリング以外の暴力的バイオレンスな展開にはまだまだ対応しきれない。こればかりは本人の素質と実戦経験の積み重ねなので仕方ない。


 何やら悲鳴とブーイングの間に、怒鳴り声のようなものが聞こえて来る。

 ユカは声の方へ視線を移すとご高齢の観客が顔を真っ赤にして、観客の誘導を行っているMADOKAに食って掛かっているのが見えた。孫くらいの年頃の女の子が散々な目に逢っているにもかかわらず、誰ひとり助けに入らない苛立ちともどかしさで、今にも救出へ飛び込んで行きそうな勢いだ。

 訳知りの客たちが集う都市部の興行ではごく普通だが、テレビ放映などなく情報も何十年とアップデートされていない田舎町では、会場を目一杯使用して暴れる場外乱闘など、お爺ちゃんにはあまりにも刺激が強すぎだ。そのうちMADOKAの制止を振り切り選手へ手を出しかねないと判断したユカは気合を入れ立ち上がると、目の前の敵に向かって大きく吠える。

 小っこい奴が起き上がったのを確認した里田は、二度と自分たちに歯向かえないよう凶器である椅子を大きく振り上げた。これを喰らってしまえば今後試合の流れを変えるチャンスはもうない。


 そうはいくか!

 ユカが高く掲げられた椅子へ向かって飛び蹴りを敢行する。自分の背丈の倍もある標的へ見事に蹴り足がヒットし、がしゃんと音を立てて椅子が床へと落ちた。

 続いてユカは呆気に取られ棒立ちになっている里田の頭を、フロントヘッドロックの状態で取ると間髪入れずに、軽く跳んで倒れるように後方へ体重を掛け、彼女の顔を床に落ちた椅子の座席部分へ激しく叩き付ける――大技DDTが決まった!

 延々と悪行の限りを見せられ、閉塞していた試合会場の空気が一変する。

 期待や願望がこもった観客たちからの熱い声援を受け、ユカは久住のとなっている沙耶を救出すべく駆け出した。自分に向けられる熱い視線や声援を反撃の活力エネルギーと変化させ、溢れんばかりに滾るパワー全てを非道な久住へとぶつける。

 その体躯からはとても信じ難い威力を持つ、鋭角な肘打ちを二発三発と大柄な久住の顎付近へ叩き込むと、彼女が徐々に後退りしていく。ユカの打撃が効いている証拠だ。


「沙耶っ!」


 ダメージを負った喉を押え、呼吸を整えている沙耶をユカが呼ぶ。

 互いの視線が交差するや了解とばかりに頭を縦に振ると、ふたりはほぼ同時に床を蹴って飛び上がり、朦朧とする久住へダブルドロップキックを放った。

 バランスを失い大きな音をたて床に転倒する、無様な久住の姿を見た観客たちから大歓声が沸き起こる。


「嬢ちゃんたち、いいぞ!」


 先程まで禿げ上がった頭を真っ赤にしてMADOKAと揉めていたお爺ちゃんが、可愛い女の子たちの攻守逆転劇に機嫌を直し、自分の孫のような歳の彼女らへ声援を送った。それを耳にしたユカは爺ちゃんに向かい、笑顔でVサインを出して応じてみせた。

 厄介事はまだ残っている。《ゴースト》の大将・仁科に捕らえられた悠の救出だ。見れば悠は未だに鎖で首を絞められ、全く身動きが取れない状態であった。

 ユカは沙耶を呼び寄せて耳打ちをする。

 彼女からの提案に一瞬驚いた表情をする沙耶だが、作戦会議が無事に終わったふたりは距離を取りそれぞれ配置に付いた。

 腕を真っ直ぐに伸ばし、悠のいる方角へ指をさしたユカは頭の中でカウントダウンを開始し、仕掛けるタイミングを見計らう。セコンド業務を行っているMADOKAも彼女のを察し、観客たちを選手の周りから遠ざけて空間を確保した。


 沙耶が出したと共に、ユカは床を蹴って全速力で駆けだした。

 彼女は置くにいる仁科へ攻撃を加えたいらしい――だがすぐ目の前には沙耶が腰を低く落とし立っているのだ。一体何をしようというのだろうか?

 ユカが沙耶のすぐ手前まで近付くと彼女の肩に手を掛け、床板が抜けんばかりに踏み切り高くジャンプする。真下に控える沙耶は両手でユカの尻を持ち上げて更に勢いをつけた。

 天井へ届かんばかりに、小さなユカの身体が宙を舞う。

 想定外の跳びっぷりに観客たちから驚嘆の声が上がる。

 そしてユカが降下していく先には、悠への攻撃の手を止め彼女を見上げる仁科の姿。

  ユカの下肢部が鋏のように仁科の首を挟むと、遠心力を味方につけ振子の如く身を捻って、自分の倍以上ある彼女を軽々と投げ飛ばした――現代空中殺法の花形であるティヘラと呼ばれる技だ。古典的オールドファッションな技が多いこの団体には珍しい最先端なムーヴに、観客たちは「信じられない」といった表情を見せ歓声が大爆発する数秒の間は口を開けたままであった。


 痛む腰に手を当てて、よろめきながら立ち上がる仁科を待ち構えていたのは、凶器のチェーンを拳に巻き付け武装した悠の、鉄拳ナックルパートだった。ファンのあげる掛け声に合わせてひとつ、もうひとつと憎き相手へ怒りに燃えた己の拳をフルスイングで叩き込む悠。《こまちの女王》の復活に会場の空気は一変する。

 十回目の攻撃でついに額が縦に裂け、赤い鮮血がひと筋流れ出た。しかし仮にも仁科は極悪集団《ゴースト》の総大将。血が吹き出ようがお構いなしに、怯むどころか目をかっ開き逆に悠を睨み威嚇する。まだまだ軍門に降る気はないようだ。


 悠が仁科の髪を掴んだまま、強引にリングの中へ放り入れる。いよいよ決着けりをつける時が来た。


 会場にいる観客たち――特に長年応援し続けているファンは、身を少し前へ屈め構える彼女の雄姿を見て、試合終了フィニッシュがすぐそこまで来ている事を悟った。

 そうはさせんと、親分ボスの救出へ入らんとする里田や久住を、必死になって取り押さえるユカと沙耶。

 遥の瞳がきらりと光る――ついにフィニッシュへの前奏曲プレリュードが始まった。

 まずは腹部へ重いボディブローを二発叩き入れる。

 臓器に染み渡る痛みに耐え切れず上半身を折る仁科に、今度は頭を固定し下顎部へ膝を突き上げて最後には、首をへし折らんばかりの鋭いハイキックをヒットさせ、彼女をキャンバスへと這わせた。


 これが「身体が言う事を聞かない」とぼやくベテラン選手の動きなのか?


 長い事悠を応援し続けているファンによれば、今の彼女は全盛期の半分も動けていないと論じるが、初めて試合を観た人からすれば十分に、今日こんにちの試合形式に適応していて違和感は無いように思える。先頭に立って動けないぶん相手の技を可能な限り多く受けて、最後は昔から使い続ける自分の代名詞的な技でといった、試行錯誤を繰り返しコツコツと築き上げたファイトスタイルであった。

 確かにユカや他の選手たちと比べ繰り出す技は非常に少ないが、ひとつひとつの技に説得力が増し、同時に若い選手とのスタイルの差別化も生まれる。

 ディテールの良し悪しでなく、観るものに技の痛みが伝わるプロレス――これが悠が辿り着いた境地であった。


「はるかさんっ!」


 沙耶がリングの下で、久住を取り押さえながら彼女の名を叫ぶ。

 愛弟子の声に反応したかのように、悠は両腕を水平に広げ観客たちへ「終わりだ」とアピールすると、俯せに倒れている仁科の腰をホールドし身体を高々と持ち上げた。後ろを向き逆さ吊りの状態でリフトアップされた、彼女の表情筋は恐怖で引きつる。

 最頂点まで上がった身体は数秒停止した後突然、唸りをあげ真っ逆さまに頭から落下した――フリーフォール・ボムだ。経年による体重増加で全盛期のようなブリッジワークが困難となり、各種スープレックス系の技を使用するのが難しくなってきた結城悠の現在の必殺技で、見栄えも技の説得力も十分だ。

 彼女が尻で受身を取ると同時に、キャンバスへ激しく頭部を叩き付けた仁科は、肩をあげる事なくレフェリーの数えるスリーカウントを聞く他はなかった。


 鮮血も飛び散った大混戦の末、悠が率いる善玉チームの勝利が決まりに満足した地元の観客たちは、歓声と割れんばかりの拍手をコーナーに登り何度も頭を下げる悠へ送るのであった。

 そんな彼らの頭の中からは、逆転劇の起爆剤となったユカの存在などすっかり忘れ去られていた。熟練者マニアではない普通の観客にとっては勝利に至るまでの過程よりも、一番最後に勝ち名乗りを受けた者こそが英雄ヒロインなのだ。


 ユカの肩を誰かが軽く叩いた――である悠だった。

 ちゃんと彼女の好フォローを理解している悠は、機嫌を損ねないよう激励の意味を込めて叩いたのだった。当然を心得ているユカは腹を立てるつもりもなく、既に別の方角の観客へ感謝をする悠を見て、笑顔でこれに応じるのであった。

 

 

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