【女子プロレス小説】小さいだけじゃダメかしら? ~ROAD TRIP~

ミッチー・ミツオカ

第1話 お・ん・な・ひとり旅

 旅館の部屋の窓から見える満月が、都会で生活している時と比べて輝き方が全然違って見えた。だいたい街にいるときは周りが騒がしすぎて、夜空など見上げる暇なんてありゃしない。

 ユカは近所のコンビニで買ってきた発泡酒をエコバッグから取り出し、勢いよくタブを開けてごくりと一口喉に流し入れると、小さなテーブルの上に缶とおつまみを置きデッキチェアへ深々と腰を下ろした。


 物音ひとつない、静寂のときがユカを包み込む。


 車の排気音にパトカーや救急車から鳴り響くサイレン音。聞こえて来て当然だと思っていたものがまるでない世界に、ふと自分が今何処にいるのか分からなくなる。

 静けさに耐え切れなくなった彼女は、リモコンを手に取るとおもむろに液晶テレビの電源を入れた。特別何が観たいという訳ではないが、テレビから流れる耳馴染みのある声や音がこの静寂が支配する世界から、雑音だらけの馴染みある空間へ戻してくれると思ったからだ。


 テレビの中から大爆笑が聞こえた――途端にいち地方にある旅館の部屋が、自分の生活空間へと様変わりする。


 デッキチェアの傾斜のある背もたれへ、疲労しきった己の身体を委ね呻き声と共に大きく背中の筋を伸ばす。凝り固まっていた筋肉は弛緩されると同時に、ユカに心地よい眠気を誘う。

 もう少しで閉じてしまいそうな瞼を無理矢理こじ開け、ユカはもう一口と発泡酒の缶に唇を付け、喉へ黄金色の液体を注ぎ入れる。弾ける炭酸の泡とほろ苦い味覚が、朦朧としていた意識を一瞬目覚めさせた。


 桃色のカバーで覆われたスマートフォンを、バッグから取り出し電話を掛ける。

 忙しいから出ないかな? 彼女は不安そうな顔をするが、そんな心配を余所に三回のコール音だけですぐに相手と繋がった。


 仕事の疲れからか、少々不機嫌気味な彼からの返事。

 馴染みある低めの声を聴いて、この世界がちゃんと繋がっている事を再確認する。

 ユカの童顔が酔いと相まって紅くなった。


「――お疲れ様です代表。わたしです、ユカですよぉ」


 夜空に浮かぶ月が大きく――そして明るく映る、いつもとは違うこの土地で聴くの声に、彼女はやっと安心できた。




 小野坂ユカが他団体へ参戦するのは、実に五年ぶりの事だった。


 彼女の所属団体である、東都女子プロレスが旗揚げした当初――すなわち自身が《プロレスラー》として誕生デビューした頃は、所属選手の人数や営業能力的に興行があまり打てなかったので、ひと試合でも多く経験を積ませるために団体は、当時交友関係のあった各団体に頼み込んで、ユカと他の東都女子の選手とのシングルマッチを、あるいはそこの団体の若手選手とタッグを組み、トップ選手らとの対戦を幾度とマッチメークしてもらっていた。だからユカ自身も僅かばかりだが《他団体出場》の経験はある。

 だが設立当初より、自前の選手だけでフルカードを組む《純血主義》をスローガンに掲げていた東都女子は、選手らのPR活動や営業陣の並々ならぬ努力の結果、ようやく旗揚げから二年目のアニバーサリー大会にてその目標は果たされた。特別に招聘した外国人選手を除き、全て東都女子が発掘・育成してきた選手たちで行われた全六試合は圧巻の一言だったと、古くから応援するファンはそう語る。

 その後も試合毎のスポット参戦や年間契約など、形態は様々だが外部選手による東都女子参戦はあっても、団体同士の対立や抗争といった《対抗戦アングル》を極力排除した事によって、「閉鎖的である」と離れていってしまったオールドファンもいたが、東都女子独特のアットホームなムードは個々の選手はもちろん、団体自体を応援する「箱推し」と呼ばれる新規のファンたちを生み出した。

 とはいっても、は完全に閉ざされた訳ではなく、ネームバリューの高い他団体の選手を借りた場合に、その返礼として選手を派遣する事もあるし、知り合いの団体経営者に突然頼まれて、損をしない程度に格安な値段で貸し出す事だって稀にある。

 ユカがトップの地位となって以降、これまで他団体出場の機会がなかったのは団体代表である元川が、頑として他団体からの出場オファーを断り続けた事、何よりもユカ自身がベルト争奪戦や世代間闘争など、常にストーリーの中心人物だったため別の世界を覗き見る余裕がなかったのがその理由であった。

 

 今回他団体への出場が許可されたのは、元川がこの業界に入った頃世話になった恩人が故郷で運営するローカルプロレス団体【プロレスリングこまち】が、今年末をもって解散するのを耳にしたからだ。


 所属選手は現在二名しかいない、「日本一貧乏な女子団体」と経営者自らが自虐的にキャッチフレーズとしているこの団体。数か月にいちど一週間程度の小さな巡業ツアーを組み、地元や隣県の小さな公民館や体育館を転々とする興行形態をかれこれ十年続けている。ツアーを組むめどが立つ度に顔見知りの団体経営者や、所属する団体を持たないフリーランスの選手らに声を掛け、興行に必要なだけの人数を集めるのだ。

 経営者の人望で集まってくるレスラーには、各団体を渡り歩くフリー選手や、かつて一世を風靡したレジェンド級のスター選手など実にバリエーションに富んでいる。そして毎大会ごとに必ずひとりはとして旬の人気選手が出場するので、「何が出るか分からない」闇鍋的な面白さにプロレスリングこまちは、マニア界隈ではちょっとしたカルト人気を誇っていた。


 プロレスという特殊な世界に飛び込んだ、右も左も分からない自分を面倒がらずに一から丁寧に指導してくれた、業界の大恩人が手掛ける最後の興行に是非とも花を添えたいと元川は、彼から届いたユカへの参戦オファーを快く受けたのだった。


 そんな元川の思惑とはまた別に、ユカ自身も《乙女たちの園》《鎖国主義》等と称される東都女子の空気に窮屈さを感じていた。

 団体内での闘いが自分を中心に廻っていた時は目の前の事をこなすのに精一杯で、余所事を考えている暇など無かった。しかし丸腰となり闘いの最前線から外れると、他団体のいま一番注目を集めている選手たちが視界に入り、自分の能力が彼女らと比べ優れているのか劣っているのか気になってしまう。ずっと外部の情報を遮断し、自分よりキャリアの短い選手しかいない中で闘ってきたので尚の事だ。


 だから元川より他団体への遠征プランを打診された時、ユカは一も二もなくこのに飛びついた。

 自分のいない東都女子の風景を他人目線で見たかったし、自分のプロレスがここ以外でも通用するのか試してみたかったのだ。当然自分を初めて見るお客を満足させる自信はある。だが小野坂ユカのプロレスを受け入れるか否かは彼ら次第なのだ。


 久しぶりに奥底から湧き上がる、緊張と興奮が入り交じった高揚感に胸が高まる。


 国内八か所を廻る東都女子・夏の全国縦断ツアーを、怪我もなく無事に終えた後ユカは、誰にも見送られる事なくたったひとりで、北へ向かう新幹線に乗り込むのだった。




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