第2話 夜宴

 巡業を翌日に控えたその晩――


 駅前の繁華街にあるフランチャイズ系の居酒屋の座敷席には、プロレスリングこまち代表の大澤をはじめ、今回の巡業に参加する選手たち全員が顔を揃えていた。巡業前に参加するメンバーがこうして一堂に会し、決起集会というか親睦会を開くのはこの団体の恒例行事だという。

 初参戦であるユカに対し、酔いが廻り興に乗った大澤自らひとりずつ選手を紹介していく。


 定位置なのであろう一番奥の席を陣取っているのは、いわゆる《対抗戦時代》に頭角を現し、どんな相手でも一歩も引かない熱いファイトで一躍女子プロレスのスターとなった往年の選手で、現在もここを拠点に様々な団体へ上がり続けているエース格の結城ゆうきはるか。営業に専念する大澤に代わってマッチメーカーも兼任し、彼と共に団体を支えている最重要人物だ。


 悠のすぐ隣に座る女子高生風の女の子――彼女は悠や参戦してきた選手たちのコーチを受け、今年晴れてデビューとなった地元出身の新人レスラー・姫井沙耶ひめいさや。まだまだ未熟だが貪欲に学ぶ態度と、負けん気の強さで皆から可愛がられている。


 グラマラスな浅黒い肌が印象的なラテン系美女のエレクトラに、岩のような大きな身体をしたチェルシー・ガーネット。こまちには外国人レスラーも来日参戦しているのか――と思ったが、実はふたりとも日本人の夫を持つ地元在住の兼業レスラー。田舎どさ廻りのプロレスには外国人選手が不可欠と、伝手を頼って大澤が引退状態だった彼女らを探し出したのだという。持ち前の明るさと旺盛なサービス精神で会場人気は断トツである。


 西関東にある団体【女子プロレス・ダイナ】からやって来た、格闘技興行の参戦経験を持ち《フェアリーファイター》のニックネームで人気のあるMADOKAまどかと、関西や近畿方面を活動拠点としているフリー選手・うしお舞海まみ。こだまには何回か参戦経験のある、キャリア・技能ともに最も脂の乗った旬の選手たちだ。


 キャリア二十年越えのベテランレスラーであるクラッシュ仁科にしな里田さとだうらら、マイティ久住くすみの三人が悠たちとは離れた席に座っていた。彼女らは幾度となく休業・復帰を繰り返し尚この世界にしがみ付いている、プロレス中毒者ジャンキーとでもいうべき存在。業界内をふらふらと彷徨う自分たちを卑下して《ゴースト》という名のヒールユニットを組み、ここや他のローカル団体で悪名を轟かせていた。


 善玉に悪玉、そして外国人――必要最低限な駒は全て揃っている。


 さすがはプロレス興行に、長い間携わっている大澤だけの事はある。初めてプロレスという《非日常の世界》を体感しようとする観客には大変わかりやすい入口だ。逆にいえば悠をとする大衆演劇的な空間で、自分という個性キャラクターを最新のプロレス事情に無頓着な一般客へアピールするのは容易な事ではない。下手をすれば「その他大勢」の中に埋没してしまう可能性もあるからだ。


 ユカはよく冷えたビール瓶を手に持つと、周囲に気を使いながら場所を移動する。


 「今回の巡業ツアーをご一緒させていただきます小野坂です。若輩者ゆえ至らぬ点もあろうと思いますが、一週間どうぞよろしくお願いします」


 彼女が最初に挨拶をしたのは、ベテラン悪役ユニット《ゴースト》のだった。

 リング上で自分の存在を生かすも殺すも対戦する相手――つまり技を受けセールしてくれる悪役レスラー、という事はこれまでの経験で重々承知している。あまりにも強情を張るような輩だとを講じなければならないが、偉ぶることなくフレンドリーに接すれば自分も相手も気を悪くする事はない。


 早速リーダー格の仁科が、ユカの酌を受けてくれた。

 他の選手は恐縮してなかなか近寄らないのか、自ら進んで挨拶に来た彼女に、機嫌を良くした仁科は自分の隣へ座らせた。


「あんた、まだ若いのに偉いねぇ――どこから来たの?」

「東都女子プロレスです」


 参戦経験はないが、すべての団体名は頭の中にインプットしている仁科はへぇ、そうなんだと軽く返事をする。他のふたりもユカに興味が湧いたのか、彼女へ矢継ぎ早に質問を投げかけた。

 

「デビューして今何年目なの?」

「七年です」

「何かタイトル獲った事あるのか?」

「団体認定ですけど、少し前までシングルの王者でしたよ」

「じゃあユカちゃんは、東都女子では一番エライんだ」

「どうなんでしょうかね、その辺は」


 休みなく投げ掛けられる大先輩からの質問に、照れ笑いを浮かべ謙遜するユカ。

 だが仁科はちゃんと見抜いていた。怖気付く事なく振る舞う姿や、迷いのない返事の声調トーンに幼い外見とは真逆な強者つわもの感を発していたからだ。


「そんなに謙遜するなって、もっと胸張っていいんだよ? ベルトを持たせて貰えるって事は、それだけユカちゃんが会社から信頼されてるって証なんだから」

「そうそう。実力や人気もない奴にベルト持たせても、ただ嘘臭いだけだもんな」


 しゃがれ気味な声をした、久住のひとことに皆が一斉に笑った。

 服の上からでも隠し切れない分厚い肉体、簡単に他人を寄せ付けない威圧感――さすがは往年の最強女子プロ団体・太平洋女子プロレスの、厚い選手層の中で揉まれた選手は一味違う。ユカは試合を全て任せられる安心感と共に、身震いするような緊張感も同時に感じるのだった。



 続いて自分とは同世代の、MADOKAと舞海の席に顔を出した。

 近寄り難い大先輩ばかりなので、身の置き場がなく小さくなって飲んでいたふたりだったが、歳の近いユカが自らやって来たのでほっと安堵の表情をみせた。


「ユカっち……会いたかったよぉ」

「マドちゃん久しぶりぃ。どお、ダイナの方は?」

「上の方に恭子さんが居座っちゃって中々大変だけど、やり甲斐は凄く感じてるよ。でもユカっち、ベルト落として残念だったね」


 東都女子とダイナは両方とも関東圏に拠点を構えている事もあってか、対戦こそないが選手間での交流は盛んで、同じ会場で両団体による昼夜興行があるときには、若手選手たちが勉強のために興行を観戦しあったりしている程だ。

 ダイナのエース兼代表である、太平洋女子プロレス出身の往年のスター選手・喜屋武きゃん恭子が現在、団体認定の《ダイナ・クィーン王座》に君臨していて、MADOKAをはじめ若くて魅力ある選手たちが新陳代謝を図るべく、王座からの引き擦り下ろしに躍起になっている最中であった。


「まぁね。でもだからこそこうして遠征に来れるわけだし、ポジティブに考えなきゃね」

「やっぱユカっち元気だわ。あ、そうそう。舞海に会うのは初めてでしょ? ねぇマミ、刺身ばかり食べてないでこっち来なよ」


 MADOKAはそういうと、隣にいる少しぽっちゃりとしたショートヘアの黒髪が印象的な女の子を紹介する。


「東都のユカさんですかぁ。うわぁ本当に感激です!初めまして潮と申します。以後お見知りおきを」


 彼女の陽に焼けた小麦色の肌が大海原をイメージさせ、まさに「名は体を表す」のだとユカは思った。


「舞海さんは、どういったファイトのするの?」

「自分はこの恵まれた体格を生かした、激しいパワー殺法を売りにしてるっス。人気者のユカさんだからって当たれば容赦しませんよ」

「望むところよ。巡業中に何度か対戦すると思うから、その時はよろしくね」


 指にもたっぷり肉の付いた、まるで力士のような舞海の手と握手をし、MADOKAに手を振って別れると今度は外国人レスラーたちに挨拶をすべく席を離れた。



「オー、初めまして。遠い所からお越しいただきヨウコソ」


 開口一番に発せられた日本語にユカは驚いた。みるからにヒスパニック系のエレクトラと北欧系のチェルシーを前に、どう会話していいか迷っていたからだ。これならば試合中ならびに日常でのコミュニケーションには問題ないだろう。


「に、日本語がお上手ですね」

「アリガト。わたしもチェルシーも日本に来てから随分と経つからね」

「でもこんな場所であなたたちみたいな、外国人レスラーに会えるなんて思いませんでしたよ」

「そう? 意外に多いわよぉ、農家へ嫁いできたガイコクジンってその辺にいるもの」

「まぁワタシたちは《農家の嫁》じゃなくて平凡サラリーマンと電気屋の嫁なんだけどね」


 グラマラスな肉体ボディを揺らし豪快に笑う外国人コンビに、団体一明るいと評判なはずのユカもその輝きが陰ってしまう。やっぱり本場の根アカは全然輝きのルクスが違うようだ。


 来日までの経緯や今の旦那との馴れ初めなど、仕事の話からプライベートな事まで時折冗談を織り交ぜながら語ってくれる彼女たちとのお喋りは、まだ人生経験が浅いユカにとっては実りある、とても有意義な時間であった。

 自分をいただきとする東都女子では、まず聞かない内容だったからだ。

 恋愛がとはいえ道場や選手寮、それに控室でも異性との恋バナはとんと耳にした事がない。周りが気遣ってユカの前ではNGにしているのかもしれないが、話題に入れないユカが逆に不憫に思える。大人の世界を垣間見たユカは一気に視野が開けたような気がした。


「じゃあねユカ、次はリングの上で会おうネ」


 グラスを掲げるチェルシーに頭を下げたユカは、いよいよ奥座敷――プロレスリングこまちの象徴アイコンである結城悠の元へと向かう。


 周囲で盛り上がる宴の輪に入る事なく、それを眺めながら淡々と自分のペースで飲食する悠。緊張で身体が硬直しそうになるのを制し、ユカはグラスが空になったのをみるや彼女へお酌を申し出た。

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