第11話 格闘妖精 (フェアリー)

 熱戦を演じた三人の選手へ送る、称賛の拍手が小さな体育館の中にこだまする。

 近隣部の住民を中心とした本日の観客たちを、エレクトラ&チェルシー・ガーネットの在日外国人レスラーと潮舞海による国際色豊かな三つ巴スリーウェイマッチで、腹がよじれるほど笑わせつつも、難易度や危険度の高い技の連続であっと驚かせ、会場を温めた後いよいよである、小野坂ユカ対MADOKAの一戦が開始されようとしていた。

 誰がこまちのエース・結城悠の元まで辿り着く事ができるか? プロレスをあまりよく知らない多くの観客たちは三試合ある本日の対戦カードのひとつ、としかみていないようだが、こんな所にもいる数少ない女子プロレスマニアはちゃんとカードのを汲み取っている。他の人気団体より参戦している看板レスラーふたりによる一騎打ちを前に、彼らマニア連中は高ぶる興奮を隠せない。


 長方形の黒い拡声器スピーカーから、女性歌手によるアニメの主題歌のような入場曲が流れ出すと。まず最初に《フェアリーファイター》MADOKAが姿を現した。様々なパステルカラーの生地をパッチワークのように仕立てた、細身の身体にフィットしたリングコスチュームや、青く染めた髪色はアニメキャラを彷彿とさせるがただ一か所、鈍く光る両手のオープンフィンガーグローブだけが観る者に違和感を感じさせる。

 リングに上がったMADOKAは対戦相手が入場するまでの僅かな間、コーナーマットを相手に左へ右へと素早いパンチを繰り出し徐々に闘志を高めていく。コミカルチックな普段とはまるで違う、格闘家然とした彼女の姿に観客たちは驚愕しどよめき立った。

 負けたら終わりな真剣勝負リアルファイトの世界から、虚と実が入り交じるプロレスの世界へ転身してから早四年。総合格闘技時代の戦績は五戦三敗二引き分け――決して人に褒められるような成果ではないかもしれないが、ここで彼女がハードな試合を通して、生きるか死ぬかの境界線ボーダーラインを垣間見れた事は、格闘家人生を送るうえでひとつの財産となっている。知人の伝手で太平洋女子が生んだ《レジェンド》のひとり、喜屋武きゃん恭子が創設した【女子プロレス・ダイナ】へ入団するや、総合格闘技からプロレスへの変換コンバートに苦心しながらも次第に頭角を現し、今やダイナのみならず他団体からの参戦依頼オファーが絶えない程の人気選手となった。

 系列は異なれど太平洋女子の遺伝子を受け継いだ者として、やはり小野坂ユカの存在は無視できない。どれだけプライベートで仲が良くても、ことリングに上がってしまえばトップ獲りへの覇道を邪魔する「目の上のたんこぶ」でしかない。この【プロレスリングこまち】ラストツアーで、結城悠と一対一さしで勝負する為には絶対に相手だ。

 急にMADOKAが振り返る。会場の空気が一変したのを感じ取ったのだ。

 視界に飛び込んだのは今日の対戦相手・小野坂ユカ――どんな状況下でも絶えず眩いばかりのオーラを全身から放ち、常に観客たちの注目を集める彼女にMADOKAは嫉妬する。強烈な身体的特徴もなく、飽きっぽい観客たちの目を引くためにど派手な衣装や、特異なキャラクターで完全装備する彼女にとって、大袈裟な加工をせずとも自分以上の注目を集めるユカの存在は羨ましくて仕方がない。羨望と憎悪――ふたつの相反する感情がいま、MADOKAの胸の中で渦巻いていた。


 殺気立つMADOKAとは対照的に、普段と変わらぬ態度でレフェリーからボディチェックを受け、時折耳に入る自分への声援に手を降って応えるユカ。「人気者の余裕」だと相手は腹を立てるかもしれないが、どんな緊迫した場面でも平静を装う事により、向こうへプレッシャーを掛けているのだ。

 余裕綽々な面の皮の裏側では、レスラー生命を賭けるようなまたとない大勝負に緊張する一方で、未知の技術体系を持つ強敵と闘える喜びで震えが止まらない。


 試合の開始を告げるゴングの甲高い音色が、両人の試合に賭ける想いを一瞬で掻き消し、頭の中を真っ白にする。あとは厳しい練習で虐めぬいた、己の身体の動きと反射神経に任せるだけだ――


 ユカの視界に、黒い塊が猛スピードで迫って来るのが映る。

 早期決着を狙うMADOKAが試合開始早々、空気を切り裂く右ストレートを放ったのだ。

 プロレスは、五カウント以内ならばいかなる反則攻撃も認められるが、流石にこれを喰らってしまえば瞬時に決着がついてしまう。総合格闘技のスキルを全開放したMADOKAならではの攻撃だ。

 だがユカは慌てる事なく低く身を屈めて攻撃をかい潜り、胴へのタックルで相手をマットへテイクダウンさせる。ユカ自身打撃技は不得手だがは心得ており、ましてやグラウンドの状態になれば腕に覚えのある彼女の事、何も恐れるものはなかった。ユカは胸を付けたまま横四方の体勢に入りMADOKAの腕を取ると、自分の腕を絡ませ相手の肩関節を外さんばかりに曲げた。

 搔き毟らんばかりの激痛に、MADOKAは思わず悲鳴を上げる。自分から仕掛けたなのに逆にやり返されるとは――必死に身を捩りロープへ逃れた彼女は戦法を修正し次の手に出た。

 何と図々しくもユカに握手を求め手を差し出したのだ、それも嘘丸出しな笑顔を浮かべて。反省の色を一つも感じさせないMADOKAの態度に客席から失笑が漏れる中、ユカは戸惑いつつも彼女の手を握ってしまう。

 きらりとMADOKAの瞳が鋭く輝いた。 

 腕を掴んだ彼女はユカを自分の元へ引き寄せ、器用に飛び付いて腕ひしぎ十字固めの体勢へと入る。同系統の技でお返しする所にMADOKAの意地がみられた。

 完全に肘が極ってしまう前に逃げなければ!

 苦痛に顔を歪めながらも痛点を巧みにずらし、全身の筋肉を総動員し仰向けの状態でロープ際までじりじりと移動する。やっとの思いでまで無事に逃げ切り、煩わしい関節技から解放され安堵するユカ。腕に違和感が残ったままだがじき元通りになるだろう。

 レフェリーの指示で、両者がリングの中央まで移動する。

 痛めつけられた腕や肩を回したり振ったりして、技のダメージの回復に努める一方ふたりは一秒たりとも相手から視線を外さない。少しでも隙を見せれば確実に追い打ちを掛けられるだろう。周りの観客たちは格闘技テイストの緊張感ある攻防を目の当たりにし、呆気に取られ声を上げるのを忘れ見入っていた。

 試合が再び始まった。今度はプロレスの基本であるロックアップでがっちり組み合う。己が思い描くへ繋げるべく、両者ともに絡み合う腕に力が入る。

 ユカの片眉がぴくりと上がった。次の動作へ移る目途がついたようだ。

 MADOKAの首根っこを腕に挟み自分の側へ近付けると、ユカは前腕で彼女の頬骨を押さえ力いっぱい締め上げた。基本技のひとつである頭蓋骨絞めヘッドロックは、至ってビジュアルは地味だが激痛が脳内を激しく駆け回る。

 尖った痛みに耐えつつも思考を整理するMADOKA。相手の腰に手を回し背後にある三本のロープに向かって寄り掛かる。ふたりの体重でリングを仕切るロープがたわみ、発生した反動を利して彼女は真向いのロープへめがけユカを振ると、押し出した瞬間に邪魔だったヘッドロックは外れ、手ぶらとなったユカは一直線に駆けていった。

 MADOKAが垂直に跳び上がる。そしてロープの反動で返ってきたユカへ一ミリの誤差もなく、両足を揃え正確に顎部を蹴った。鳥の如く宙を舞うかのような空中姿勢の美しさ、そしてユカをマットへ叩き付けた彼女のドロップキックの威力に観客たちは驚嘆し一斉に歓声を上げた。

 痛む顎に掌を置き立ち上がろうとするユカ。会心の一撃で味を占めたMADOKAはもう一発とばかりに再びロープへ振る。跳ね返り再び自分の所まで返ってきた彼女へ蹴りを放たんとするが、二度も同じ手は通用しない。ノーハンドの側転でドロップキックを回避したユカは、体勢を立て直すMADOKAへ間髪入れずに飛び付き、ヘッドシザース・ホイップで遠くへと投げ飛ばした。

 やられたらやり返す――女子プロレス界トップクラスの業師同士による、意地の張り合いに観客たちは瞬きをするのも惜しい程、ふたりから目を離す事ができなくなっていた。

 これまで旅回りの大衆演劇のようなゆるい感じの、単純明快・勧善懲悪なプロレスしか見てこなかった彼らには、どちらも華と技術があり、展開が二転三転と目まぐるしく入れ替わる現代的なファイトは、長年抱いてきた固定概念を一瞬で覆えし、女子プロレスの新たなる世界へ誘うのには充分だ。


 ユカたちの一挙手一投足が更に速さを増していく。

 闘いの目撃者たちはにならないよう、目を凝らし必死で彼女たちを追いかけた――

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