第4話 ボディ・コミュニケーション

 開演十分前には用意していた客席の八割方が埋まり、古の公民館は久しぶりに人で溢れかえっていた。

 この会場にいる者の殆どは地域住民、もしくは近隣から来た人たちで、ホールの至る所では顔見知りたちによる輪が形成され、近況報告や世間話に花を咲かせていた。プロレス会場は知り合い同士が一定周期で、顔を合わせる事の出来るちょっとした社交場なのである。


 カァン……カァン……カァン……


 それまでホール内を満たしていた、耳馴染みのJポップ等で構成されたBGMがフェードアウトし、頭の中を突き抜けるようなゴングの音が、観客たちに試合開始を告げる――喋り声で騒がしかった会場も一瞬で水を打ったように静まり返った。


「――会場にお集りの皆様。本日はプロレスリングこまちにお越しくださいまして、実にありがとうございます」


 客席から離れた場所に設置された本部席から、男性リングアナウンサーが粛々と感謝の意を述べた後、待ちに待った本日の対戦カードが読み上げられる。


第一試合 シングルマッチ十分一本勝負 小野坂ユカ(東都女子) 対 姫井沙耶

第二試合 タッグマッチ二十分一本勝負 潮舞海、MADOKA(ダイナ) 対 里田麗、マイティ久住

メインエベント タッグマッチ二十分一本勝負 結城悠、エレクトラ 対 クラッシュ仁科、チェルシー・ガーネット


 ひとつひとつカードが発表される度に、観客たちから「おおっ!」とどよめきが起こる。感嘆の声の大小はそのまま選手の知名度ポピュラリティに直結していて、メインへ向かうに従ってその声は大きくなっていく。都市部のプロレスファンや、熱烈なマニアには抜群の知名度を誇るユカではあるが、やはり年配の方や家族連れが多い、この会場ではその名を知る者は少ないようだ。


 最初にこまちの秘蔵っ子である沙耶が入場する。


 入場曲に乗せて手拍子が送られる中、雑念を払うかのように一目散にリングへ駆けていく姿は初々しくあり、会場にいるこまちの常連客おとこたちは自分の孫や娘、そして妹へ彼女を置き換えて、愛でるような視線で彼女を見つめていた。


 リングアナウンサーがリングに上がった沙耶をコールすると、な若いファン数名が一斉に紙テープを投げ入れ、地味だったリング上をカラフルなエンターティメント空間へと様変わりさせる。来場するこまちのファンは多種多様、実にバラエティーに富んでいる。それぞれ応援する形は違えども皆に共通しているのは、「我が郷土のプロレス」であるこの団体を愛しているという事だ。


 続いて新参者であるユカが、周りの観客たちへ手を振り握手を求めながら、入場通路をゆっくりと進む。

 沙耶と同じようにリングまで全力疾走してしまっては、初めて見る人たちに自分を印象付けられないと考えたユカは、彼女とは真逆になるべく入場に時間を掛けて、まるでメインエベンターかのように振舞う事にした。それに早く試合を始めたい沙耶をじわじわと苛立たせ、闘志をかき乱す効果もある。


 単に相手と接触コンタクトするだけが闘いではない。直接手が触れる事のない、第三者は見る事ができない水面下で行われる心理戦――これもまた自分の方へ勝機を導くための術なのだ。

 その甲斐あってか、反応の薄かった客席から自分の名を叫ぶ声が、ちらほらと聞こえるようになった。どうやらは上手くいったようだ。


 待ちくたびれて明らかに不機嫌そうな沙耶の顔をみて、自分の出番まで時間があるのでセコンド業務に付いている仁科が、リングイン直前のユカの元へ駆け寄り、小さな声で彼女のパフォーマンスを褒めた。


(若いのにやるじゃん、さすが冨美加の弟子はする事が違うね!)


 ベテラン選手からの称賛を受けたユカは、照れ笑いをみせ素直に喜んでみせた。それは今まで自分のしてきた事が間違いではなかったのを確信し、大きな自信へと変化した瞬間だった。

 


 お願いします!と、虹色のワンピース型コスチュームを着けた沙耶が、試合開始前に握手を求めてきた。

 若手選手が格上の相手に対して行う恒例行事みたいなものだ。ただ握手してもらって終わるのか、先制攻撃など次の展開へ移るのかは己のセンス次第で、観客たちは沙耶の次の行動に要注目する。

 対するユカも、彼女が周りから期待されているのは十分心得ている。

 こだま唯一の生え抜き選手であり、未来を託された新人である事を考慮した結果――あえて握手には応じず無視する事に決めた。

 先輩に対する敬意と、若干の敵意をもって求めた握手を無下にされた沙耶は、ユカがコーナーへ向かうため背中を向けた瞬間、煮えくり返るような苛立ちを吐き出すかのように、身体を一直線に伸ばし矢のようなドロップキックを放った。沙耶の奇襲を受け背後からど突かれたユカは、バランスを崩し前のめりでキャンバスへ転倒する。

 こまちのアイドルである沙耶の奇襲攻撃に、地元民で埋め尽くされた客席からは、都会の団体がナンボのもんじゃい!と、云わんばかりにやんやの喝采が沸き起こる。民意は確実に沙耶の方に向いていた。


 ここに来てようやく本部席からゴングが打ち鳴らされ、遅ればせながらに試合が開始された。


 荒い表面のキャンバスに顔を擦り付け、顔が真っ赤になったユカに反撃の隙を与えまいと、沙耶は髪を掴んで乱暴に引き起こそうとする。だが髪の毛が引っ張られるのを嫌ったユカは、何事もなかったかのように瞬時に立ち上がると、沙耶の両腕を振り払い至近距離からのドロップキックでお返しをする。

 助走をつけない、垂直跳びから顎先へ放ったユカのキック――同じ技なれど変化を付け、相手と差別化を図るセンスの良さは流石である。


 初っ端から格の違いを見せつけるユカ。

 初めて生で彼女を見たであろう観客たちからは、地元のヒロイン・沙耶をいたずらに推すような声援は止み、実力者ユカの更なる行動または沙耶の、決して負けられない勝負に対する気概に注目し誰もが口をつぐんだ。


 リングの中を円を描くように、時計回りで移動する両者。不定期に飛んでくる声援に応える余裕もなく、片時もユカから目を離さない沙耶に対し、自ら手を叩き観客らの注目を惹いて、自分のに付けようとするユカ。

 相手にしているのは目の前の沙耶だけでない。

 ここにいる一期一会の観客たち全てが視野に入っているのだ。世に出て一年に満たない選手には、決して出来ない芸当である。


 火傷しそうなほど熱い視線が、リングの中で火花を散らし交差した。

 お互いの瞳の光に引き寄せられるように、両者は少しづつにじり寄り――がっちりとロックアップする。


 相手を屈せんと両腕に力を漲らせる。

 屈してなるものかと腰を重く落とし、無慈悲な圧力に歯向かってみせる。

 低い唸り声が口から漏れる中、組み合ったままの両者はぴくりとも動かない。力が拮抗して前にも後ろにも進まないのだ。


 先手を取ったのは沙耶の方だった。

 ユカを手元へ引き込む事に成功した彼女は、定石セオリー通りにヘッドロックで、その小さな頭蓋骨を精一杯絞め上げた。

 偏頭痛のように頭が軋んで痛い。だがまだまだ甘い。

 絞めている沙耶の腕を掴み、頭をゆっくりと抜き取り技から逃れた後ユカは、その腕をL字に曲げて背後へ回し、相手の肩と肘の関節を極める。プロレスの最も基本的ベーシックな技のひとつ、ハンマーロックである。


 今度は沙耶がその可愛い顔を、激痛で歪める番だ。

 

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