第25話 The Last Day Part3
リングへと続く長い通路の周辺に、こまち最後の若手・姫井沙耶を応援しようとチビッ子はもちろん、女子プロレスファンの大きなおともだちたちが集まっていた。幼いファンは単純に沙耶の格好良さに対し、女子プロレスファンは彼女の可愛らしさと同時にこの試合が意味するものを十分理解したうえで、力いっぱいの声援を明るい未来しかない女子高生プロレスラーへ贈るのだった。
リングインした沙耶は、ロープに片脚を掛け丹念に
スピーカーから送り出される入場曲が切り替わる――安っぽいハードロック調の曲とともに「よっしゃぁ!」と叫ぶ声が入場口の方角から聞こえた。
《格闘フェアリー》
コアな女子プロレスファンからの支持も高い彼女も、最初にこまちに上がった時はファイトが異端すぎて声援のひとつも飛ばなかったという。だが参戦する度に格闘スタイルという己の核となる部分を変える事なく、それ以外の要素を団体のカラーに擦り合わせていった結果、現在ではすっかりこまちの観客たちに認められ、MADOKAは外敵ではなくこまちの一員、という感覚でみられているのだ。
MADOKAがリングに登壇すると、沙耶の時に負けない程の声援が周辺から投げかけられた――どうやら会場での人気は互角のようである。
レフェリーがふたりの間に入り注意事項を説明している際、MADOKAの方から沙耶に声を掛けてきた。
前日の試合では不覚にも、キャリアのまだ浅い彼女にフォールを奪われてしまったMADOKA。タッグパートナーになだめられ、一旦は気持ちを落ち着けたが時間が経つにつれ、肚の奥から悔しさがふつふつと湧き上がってきたという。
相手が自分より勝っていたなんて思いたくない。
プロレスはそれほど上手くはないけれど、強さだけは絶対の自信はある。
一晩中自問自答を繰り返し、ようやく導き出した答えを合わせる時がついに来た――
「このわたしに喧嘩を売ろうなんて大したもんじゃない?ま、こまちの未来を考えたら、避けては通れない道だったのかもしれないけど」
「……」
「だから十年早い、なんて野暮な事は言わないよ。わたしを
「……覚悟の上です!」
今まで見せた事のない、険しい表情の沙耶にMADOKAはぞくっとした。
それは気持ちに余裕がなく切羽詰まったものではない、明らかに勝つ気まんまんでいるのが表情から伝わってくるのだ。怖いもの知らずの馬鹿――と簡単に切り捨てられない、妙な雰囲気が彼女から漂っていた。
「上等っ!」
生半可でない沙耶の覚悟を感じ取ったMADOKAは、そう言うと右手を差し出した。これに対し沙耶も握手で返答をする。
自分のコーナーへ下がる際も、絶対に背後を向ける事はせず視線は常に獲物の方を向いて逸らす事はない。そしてコーナーマットへ僅かに背中が触れたその瞬間――冷たいゴングの音が体育館の中に響き渡り、ふたりの闘いの火蓋は切って落とされた。
うおぉぉぉぉっ!
リングサイドの観客たちが、思わず仰け反ってしまうほど大きな叫び声と共に、沙耶が先制攻撃に出た。対角線上から猛ダッシュでMADOKAに向かっていき、打点の高い矢のようなドロップキックが反応の遅れた彼女の顔を射抜いた。あまりの衝撃の強さに首が反り返り、マットの上を勢いよく真後ろへ転倒する。ドロップキックの勢いは、転倒した先にあったロープによって吸収されたが、沙耶の猛攻は留まることはなかった。立ち上がって戦闘態勢を取りたいMADOKAに対しそうはさせないと彼女は、容赦ない
攻撃は最大の防御なり――と昔からよく言われているが、相手から攻撃されない為に自らが先に攻めその隙を与えない、自己防衛の為の攻撃なのだ。沙耶のあまりのストンピング攻撃のしつこさに、最初彼女を応援していた観客たちもいい加減うんざりして、「もうやめろ」と言わんばかりにブーイングを飛ばし出した。だがそんな事で怯む沙耶ではない。足をMADOKAの喉元に置き身体をロープへ押し込みながら、黙っていろと中指を立て、逆に観客たちを挑発するような態度を取った。
これまでの姫井沙耶からは、絶対に考えられない行動だった。
師匠・結城悠の後を黙って付いていく、よく言えば優等生、悪く言えば自己主張のない従順なイメージのあった彼女であったが、悠がいない今、この団体を支えるのは自分しかいないと純情なお嬢様的イメージをかなぐり捨て、ひとりの
だがこんな攻撃に屈するMADOKAではなかった。
何度も沙耶から容赦ない足蹴りを喰らいながら、攻撃の切れ目を、動体視力をフル稼働させ探りだす。
――ここだっ!
MADOKAの瞳が鋭く光る。
ストンピング攻撃の継ぎ目を見つけた彼女は、タイミングを見計らって落ちてくる沙耶の足を掴むと、足首の可動域とは反対の方向へ捻り、相手のバランスを崩す事に成功させた。文字通り足元をすくわれた沙耶は、身体を回転させてマットへ転んだ。――膝の筋に鈍い痛みが走る。
尻をマットに付け痛む膝頭を押さえながら沙耶は前を見れば、そこには鬼の形相でMADOKAが仁王立ちをしていた。彼女の身体は怒りで紅潮し小刻みに震えている。
人間の身体から、発しているとは思えない音が体育館に響く。
沙耶の顔面に目掛け、フルスイングでMADOKAが右足を振りぬいたのだ。体勢の整っていない彼女は防護用のレガースで覆われているとはいえ、十分に破壊力のある相手の脛をまともに喰らい、咄嗟に掌で顔を覆ったがその衝撃はもの凄く、鼻血を吹き出してもう一度マットに倒れた。
寝そべる沙耶の頭をこつんと二度、爪先で蹴って挑発をするMADOKA。
「……どうした、もう終わりか?」
しかし全く応答がないので彼女の髪を掴み、上半身を無理矢理起こすとMADOKAは抑揚のない冷酷なトーンで言い放ち、そのまま彼女の後頭部をマットに叩きつけた。これはMADOKAへのチャレンジマッチ――と軽く見ていた観客たちも、この只ならぬ雰囲気にようやく互いのプライドを賭けた死闘である事に気が付いたのだった。
強くかぶりを振って、朦朧としていた意識を戻した沙耶は、上体を起こし最大限の注意を払いながらMADOKAの方を見る。意外にも彼女は深追いをせず、沙耶が立ち上がってくるのをじっと待っていた、当然臨戦態勢も解かずに威圧感を与えたまま。
「舐めんなっ!」
必死になって不安定な下半身に力を込めて、沙耶がゆっくり立ち上がる。そして大きく叫ぶと
再び大きな破裂音が響いた。
張り手はこうやるんだ!と言わんばかりに、全力の平手打ちを左右から二発沙耶の頬に打ち込むMADOKA。衝撃の強さに頭の中がぐらりと揺れ、女子高生ファイターはマットへ膝から崩れ落ちた。これで再びキャンバスの上に這いつくばり――しかしMADOKAは簡単には楽をさせなかった。沙耶の手首を掴み彼女が倒れるのを寸前で止めると起立させ、胸へ強烈なミドルキックを連続で撃ち込んでいく。
どすっ、という重低音と共に、一定のリズムで跳ね上がる沙耶の身体。手首を掴まれたままなので別の方向へ逃げようがない。
以降、MADOKAによる
周囲に観客がいるのを忘れているかのように、ピンクの髪色をした格闘フェアリーは一心不乱に沙耶を蹴り、そして殴る。技と技が交差するプロレス的な攻防は一切なく、リアルな暴力だけがこの場を支配する。
さっきまで彼女の非道にブーイングを飛ばしていた者たちも、この悲惨な状況に対し野次の矛先を一転させてMADOKAへ変えてしまうほどに
はぁ……はぁ……はぁ……
打つ手もなく全く抵抗のできない沙耶の姿に、苛立ったMADOKAはますます激高し、一発、また一発と攻撃する手にも力が入る。
誰かが沙耶の名を叫ぶ。
それは応援というよりも懇願に近い声調だった。
この声援がきっかけとなり、次々と「沙耶コール」が客席から湧き上がってきた。自分たちのこのひと声が、彼女を奮い立たせる事を信じて。
――さ・あ・やっ!さ・あ・やっ!さ・あ・やっ!
リングに降り注ぐ、自分への声援を聞いた沙耶の瞳に魂の炎が灯る。
だがそんな沙耶への応援を断ち切らんと、MADOKAのミドルキックがすぐそこまで迫っていた。
「……ファンの声援に応えられなくて」
コスチュームから露出する部分、酷く赤く腫れた胸元に猛スピードで襲ってくるミドルキックを、沙耶は固定されていない方の腕を使い自分の腋に挟んだ。まさか!と驚きの表情を見せるMADOKA。
「何がプロレスラーだよっ!」
手首を掴まれている方の腕も強引に振りほどき自由となった沙耶は、己を鼓舞させるか如く絶叫すると、その腕を相手の膝裏に潜らせると自分の身体ごと回転させた。MADOKAの脚は彼女の腋に挟まれて、固定されてしまっているので力を逃がす場所が無い状態だ。その結果、膝に大きな負荷が加わり靭帯を痛めてしまった――起死回生の
痛めた膝を抱えマットの上を左右に転げまわるMADOKA。ここで一気に攻め込みたい沙耶だったが、身体に負ったダメージが大きすぎて、すぐには次の行動に移る事ができない。
先に立ち上がったのはMADOKAだった。
痛めた方の脚を引きずって沙耶の方へ近づくと彼女は、蓄積するダメージで中腰以上、立つ事のできない沙耶の髪の毛を掴み、強引に自分の腋の下に小さな頭を入れた。更に頬骨に自分の前腕をしっかり食い込ませ、簡単には逃げ出せないようにする。プロレスの最も
彼女の痛みに喘ぐ声を聞いたMADOKAは、更に腕を搾りこのままギブアップを奪えそうなほど、頭部をきつく締め上げた。こんな初歩的な技で降参してしまうようでは、プロレスラーとしての資質が問われかねない。単に勝敗を決めるだけではなく徹底的に評価まで貶めてしまおうという残忍さだ。だが沙耶にもプライドはある――こんな技で負けてしまっては、これまで面倒を見てくれた師匠・結城悠に合わす顔がない。それに一発やり返さなければ自分の気も済まない。
沙耶はがら空きとなっているMADOKAの腹へ、何度も何度も肘打ちを叩き入れる。
最初は我慢していた彼女だったが、徐々に蓄積する腹部へのダメージについ、頭を覆っている腕の締めつけが緩んでくる。刃物を腹へ突き刺されたような痛みに、顔をゆがめるMADOKA。そして十回目の肘打ちでついに腕が頭から外れ、沙耶はヘッドロックから脱出することに成功する。
自らロープへと飛んで、戻ってきたところへショルダータックルをMADOKAへぶちかますと、軽量な身体はその衝撃で真後ろへ倒れた。しかしすぐに背筋を使いバネのように跳ね起きるとすぐに、沙耶の腹へ一発爪先蹴りをして彼女の動きを止めた。
腕を掴み、今度はMADOKAが沙耶をロープへ振った。跳ね返って戻ってきた時彼女に待っているのは一撃必殺のキックか骨を砕かんばかりの
だか、そのどちらでもなかった。
攻撃が待ち構えていたのはMADOKAの方だったのだ。
戻ってくるタイミングを見計らって、彼女が回し蹴りの体勢に入らんとした時、突然沙耶が側転を始めたのだ。自分のプロレスの
先の試合に出場していた、在日メキシコ人レスラーのエレクトラから教わった、ルチャリブレの技である回転式の
「選手の周りから離れてっ!」
痛めた顎を掌で押さえ、リングの外で呼吸を整えているMADOKAの側にいた久住が、ざわめき立つ周囲の観客たちに大声で注意喚起した。彼らの視線は目の前にいるMADOKAと彼女に向って一直線にリングの上を走る沙耶の姿に注がれていた。
一瞬MADOKAの眼前が遮られた。
ロープを階段の如く駆け昇り最頂点に達したと同時に、右足で踏み切って高く飛翔した沙耶は眼下の敵に目掛け、身体を前方に回転させて急降下する。そして――MADOKAの目に彼女の背中が見えたと同時に、強い衝撃が自分の身体に加わり床に叩きつけられたのだった。スワンダイブ式の
沙耶はMADOKAの首に自分の腕を締め付け、その場から移動すると何とリングの中へ強引に押し入れた。先ほどの場外への空中弾でリングアウト勝ちも狙えたはずだが、敢えて困難な方へ自分の身を置こうとする沙耶。彼女が求めるもの――それは相手からピンフォール、もしくはギブアップによる、文句のつけようのない完全たる勝利だった。
「……いいのかい、後悔するよ?」
キャンバスに片膝をつき、大きく肩を弾ませ息を整えるMAADOKAはリングインする沙耶に忠告をする。だがそんな事で気持ちが揺らぐ女子高生ファイターではなかった。
「わたしの気持ち、わかっているはずですよね?先輩」
絶対にお前を倒してやる――そう訴えかけてくる沙耶の圧力に、やれやれと言わんばかりに力なく苦笑いすると、ゆっくりと起立し再びファイティングポーズを構えるMADOKA。
うおぉぉぉぉっ!
残りの体力などまるで考慮しない、狡猾な駆け引きなしの鍛え抜かれた鋼の肉体と魂が、リングの上で
【女子プロレス小説】小さいだけじゃダメかしら? ~ROAD TRIP~ ミッチー @kazu1972
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