第18話 GO BEYOND

 「沙耶、ギブアーップ?」


 悶絶する美少女レスラーに対し、容赦なく降参か否かを尋ねるレフェリー。

 痛みに顔を歪めながら、首を横に振ってこれを断固拒否する沙耶。

 関節を極められているならまだいい。寝転がされているのではなく、宙に浮いた状態で技を掛けられているので、自分で体勢をコントロールする事が難しく、どんな恥ずかしい恰好をさせられても抵抗できないというのが一番厳しい。

 この特異な環境下で年頃の若い女の子であれば、オヤジたちの好奇な目が一斉に注がれるだけで、嫌悪感と羞恥心で泣き出してしまいたくなるが、沙耶は人に見られる事を生業とするプロレスラー。どんな酷い恰好をさせられようと必死になってこれに耐える

 沙耶は歯を食いしばり羞恥を誘うような体勢から逃れんと、腹筋や背筋などを駆使し全身を震わせて抵抗を試みる。海老が跳ねるように身体を波打たせ、技を仕掛けているエレクトラに負荷を与え続けた結果、体勢を維持するのが難しくなった彼女は遂に技を解いてしまう。

 沙耶を天高く持ち上げていた手が、放されると同時に身体が自然落下する。彼女は咄嗟に空中で身を捩りうつ伏せの状態になると、体潰しボディプレスのような格好となりそのままフォールの体勢に入った。まさかのフォールカウントに気が動転したベテラン女戦士ルチャドーラであったが、すぐに冷静になり沙耶の身体を撥ね退けてこれを阻止する。 

 平然を装うも大きくため息を吐き、冷や汗を拭うエレクトラ。頬をぴしゃりと叩いて気合いを入れ直す沙耶。対照的なふたりの行動は、そのままキャリアの差を現していた。

 



「それで――体操に懸けた情熱も気力も消え果て、悶々とした学生生活を一変させてくれたのが、この町に巡業でやって来た女子プロレスだったんです」


 プロレスの話を始めると、陰っていた沙耶の表情が途端にきらきらと輝きだした。

 きっとこの子はプロレスと出会って、消極的になっていた自分を立ち直らせ将来を夢想する勇気をもらったのだろう。幸福そうな彼女の顔をみてユカは、自分のこれまでしてきた事が決してと確信し感動した。


「響いたんだね、プロレスの持つ力が沙耶ちゃんの心に」

「自分が傷付く事も厭わず、相手を倒すために必死で闘う女子レスラーたちの姿を見た途端、目が覚めたというか心に光が差したような感じになって――それで試合が終わった後、早速コンビニでプロレス雑誌を買って夜遅くまで何度も読み返しました」


 プロレス観戦がきっかけとなり、澱んでいた沙耶の日常に活気が生まれた。確かに体操部での挫折は消し難い過去であるが、それを忘れさせるほど夢中になれる物が見つかった事で、中学校生活はより実りあるものへと変貌していった。


「最初はただ観て喜んでいるだけでしたが、理解が深まるにつれいつしか気持ちが喜ぶ側から喜ばせる側――つまりプロレスラーになりたいと考えるように変わっていったんです。でもまだ中学生ですし、なかなか地元ここを離れてまでレスラーになろう、なんて気も起こらず悶々とする日々が続いたんですが三年生の夏、この町にプロレス団体があるという情報を雑誌で知りまして、早速履歴書を持って事務所へ押しかけました」


 後日開催された【プロレスリングこまち】入団テストには、柔道や空手など女性や、芸能界への入口だと考えているミーハー気分な女性など約二十人が、試験会場である公営体育館に集まった。

 テストでは腕立て伏せや腹筋、それにスクワットなど基礎体力を重点的にチェックされた。試験官の掛け声と共に行われるそれらの運動に、甘っちょろい考えをもって挑んできた半数以上が脱落し、面談にまで辿り着いたのは沙耶を含め三名だけであった。


「受験生の中でわたしが一番若かったんです。他の方は格闘技経験のある大人でしたしこれは駄目かも?と思いましたけど、何故かわたしひとりだけが受かったんです――すごく嬉しかったですね」

「悠さんから合格理由とか聞いたの?」

「ずいぶん後に練習後の雑談の時に聞きましたよ、どうしてわたしを選んだのですか?って。悠さんが言うには「あなたが一番言う事を聞きそうだったから」だって」


 悠の変な選考理由に、ふたりは顔を見合わせて大笑いした。

 確かに教える側からすれば変に理屈っぽくなく、黙ってこちらが提示する練習メニューをこなしてもらった方が教えやすい。それに格闘技の経験がないという事は動きに変な癖が付いておらず、これからプロレスというものを一から身体に叩き込ませるのにはもってこいだ。

 更に沙耶のビジュアルの良さも、合格の決め手のひとつになったという。


「あとこんな事も言ってました、「お人形みたいな女の子と鬼瓦みたいな女の子、どっちがお客を呼べると思う?」って」


 プロレスラーになるための過酷な練習に耐え得る根性と体力を見極めたうえで、容姿の良し悪しで最年少だった沙耶を選択したのは実に正しかったといえよう。悠の見る目に間違いはなかったのだ。


「だから是非とも――悠さんの期待に応えたいんです。そのためにはひとつでも勝利が欲しい、次のステップへと移るための助走が欲しいんです。あいつをプロレスラーによかったな、って思わせたいじゃないですか」


 話を続けるにつれ恩師への想いが込み上げ、言葉を詰まらせた美少女の両肩にユカはそっと掌を置き、気持ちの昂りが治まるのを優しく見守った。沙耶を絶望の淵から救ってくれたプロレスへの力、そしてその夢の舞台への一歩を踏み出させてくれた悠への愛を、表情や言葉の端から感じ取ったユカは何て素敵なんだろう、と正直羨ましく思った。


 日も次第に西へと傾きはじめ、窓から差し込む夕暮れ時の眩い光が、部屋の中を美しいオレンジ色へと染めていく――




 熟女ルチャドーラと天才女子高生レスラーとの闘いは、一進一退の攻防を続けていた。

 最初は技術の高さを嫌味なほど見せつけていたエレクトラであったが、何度突き放そうとしてもその度に喰らいつく沙耶の根性に、逆に追い込まれてしまう格好となっていった。幾多の関節技ジャーベも場外への空中弾も全て耐え抜き、沙耶はいまだにこの百戦錬磨の業師の前に立ちはだかっている。


 が残り少なくなったエレクトラは、勝利のために温存していた最後のカードを切る決断をした。


 沙耶の腹に爪先で蹴りを入れて、一旦動きを止め正面のロープへと思い切り振り投げる。そして戻ってきた彼女の身体をキャッチした瞬間、間を置かずに風車の羽根のように大きく回転させ、自分の膝に相手の腰骨を激しく叩き付けた。

 ルチャリブレ独特の技である、風車式背骨折りケブラドーラ・コン・ヒーロだ!――腰から発信される激痛で沙耶はマットの上を、陸に打ち上げられた魚の如くのたうち回る。

 寝転がって痛がる沙耶を引き摺って、コーナーポスト付近にセッティングしたエレクトラはするするとロープを駆け上がり最上段に立つ。そして眼下に映る標的に照準を合わせると、獲物を狙う猛禽類のように急降下していった。

 伝説のルチャドール、《聖者》エル・サントが好んで使用した空中技である原爆式空中頭突きトペ・アトミコを改良した、セントーン・アトミコである。これが決まってしまえば確実に、沙耶の勝機は断たれてしまうだろう。

 だが彼女はちゃんと状況を見ていた。自分の胸部へ約七十キロの肉塊が落ちてくる前に、己の身体を横転させて窮地から脱出し、必殺技を無効化させる事に成功した。

 咄嗟の判断で身を屈めて首を守ったエレクトラであったが、幾多の敵を葬ってきたフェイバレットホールドをかわされた精神的ショックと、落下時にしこたまマットに打ち付けた背中の痛みで立ち上がる事ができない。


「行けっ、飛べっ!沙耶ちゃん!!」


 リング下でセコンドに付いているユカが、エプロンマットを両手で叩いて指示を出す。沙耶はトップロープを両手で掴み軽々と飛び乗り、推進力をつけるべく二、三度ロープをバネのように弾ませた後、二回転半宙返りをして空中そらを飛び、リング中央でダウンするエレクトラへ向かいボディプレスを敢行した。

 高速で前方回転する沙耶の身体は、寸分の狂いもなく見事に敵へ落下すると、観客たちは何事か理解できず一瞬沈黙した後、ようやく理解した途端に会場は割れんばかりの大歓声が沸き起こった。

 今年デビューしたばかりの若手である沙耶が、次の段階ステップへ格上げされるその時まで温存していたフィニッシュホールド、スワンダイブ式の火の鳥式体潰しファイヤーバード・スプラッシュが決まった瞬間だ。

 観客らと同様で、沙耶の凄技に見とれ固まっていたレフェリーだったが、我に返り急いでカウントを開始した。トップロープからの落下プラス回転が加わり、ボディプレスの威力が増した彼女の一撃に、さすがのエレクトラも為す術がなかった。


 デビューして以来、今まで勝ち星のなかった姫井沙耶の、念願の初勝利であった。


 レフェリーから右腕を高々と掲げられ、勝ち名乗りを受ける沙耶は、リングの周りを囲む観客たちの顔を見る。

 いつもはよくやった、頑張ったと親御のような暖かい眼差しで見つめる彼らであったが、今日はまるで違う。初勝利に歓喜し、更なる勝利への期待に満ちた眼差しを、この十七歳の女子プロレスラーへ送るのであった。


 沙耶はリング下にいる、ユカの方へ視線を向けた。親身になって経験不足な自分の相談を受けてくれた、この業界の先輩の反応が知りたかったのだ。

 ユカは観客たちと一緒になって、拍手で彼女の初勝利を祝っていた。そして自分の方へ視線が向いているのに気付くと、とびっきりの笑顔で指で丸形を作りOKサインを出した。どうやら今夜の試合はユカの

 更に彼女は両手でVサインを作り、それをかち合わせる仕草を見せ沙耶を指差す。明日に控えるタッグマッチに向けての意思表示だ。

 無論沙耶に異論はない。ユカはもちろんパートナーのMADOKAにも遠慮なくぶつかっていくつもりだ。特にMADOKAとは、最終戦でシングルマッチがあるだけに尚更である


 既に両者共に明日、そして明後日の大一番に向けて走り出していた。目指すは勝利――それ以外に望むものは何もなかった。

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