第15話 涙の跡
この5年間俺を苦しめてきたことは、あの日、秘密基地に逃げ込んで椋を守ることができなかったことじゃない。
そんなことは最初から無理だった。
洞穴に隠れて未成年の子供が、追求のやり過ごすなんて到底不可能。
無謀な企みだった。
自分はエゴむき出しで自分の家族大事と軽蔑したあの町長とか町の偉い人間たちとは違う。
そう思っていた。
でもそいつらと俺は椋から見れば同じだった。
逃げることばかり考えている自己中な人間。安全な立場を手放したくない卑怯な男。
何故なら、椋を最も簡単に助けられる言葉が出てこなかった。
あの時椋を助けるのは、連れ去って大騒動を起こさなくともそれほど難しいことではなかった。
たったの一言だ。
『俺が椋の代わりに異世界の生け贄になる』
こんな簡単な言葉が5年前には俺から発せられることは無かった。
やったことは目の前の事実からの逃避することだけ。
異世界に屈服した当時のこの世界とこの国。そして子供達の誰かが選ばれて遠くへ連れ去られる。
そんな状況を俺は見ていなかった。
浅はかさを椋に見透かされていたと気付いたのは既に、去った後だった。
そして今。
「約束してくれ。俺以外は絶対に食い殺さないと、そして誰も恨まないで欲しい」
やっと言えた。
言った後気分が晴れていく気がした。
もう言い残したことはないと思った。
「……修一の馬鹿」
「何かっこつけてるのさ。そんなことしても誰も知らないよ? 感謝しないよ?」
「いいんだ。これで俺、椋と同じ場所に立ったんだ」
「!!」
あの時の椋と同じ位置。
5年の時を経てようやく、俺は椋と同じ場所に立った。
だけどみんなのため。みんなが助かる。そして椋も―ー。
そして今、初めて気付いた。同じ場所に立ったからこそわかる椋の心にーー。
椋は誰も……誰も恨んでなどいなかった。
そうでなきゃ、あんなことできるわけないじゃないか。
俺はなんてことを言ってしまったのだろうか。
「修一の馬鹿……ボクは自分から進んで行ったんだ。みんなの為に」
肩には、牙が突き刺さる変わりに温かい涙が一滴また一滴垂れた。
「馬鹿、馬鹿! 」
そして鋭い爪が生えた指が肩を握る。
イテテ……。
ふと気づくと椋の体からあの刺々しい殺気が消えていた。
牙は消えうせ、目も動物のようなギョロっと光る金の瞳孔から、あの黒いつぶらな少女の瞳に戻っていた。
「本当は、本当はみんなが変わらずにこの町で暮らしているのを見たら、そのままここから去るつもりだった……。でもどうしても修一に会いたかった」
そうだ。こいつは俺に会いに来たんだ。
変わり果てた自分の姿。戻る場所などもう無い。
でも変わらない町を見てこみ上げる懐かしさ。
もう一度会いたいと思った人間。それが俺。
「ボクのことを、『化け物』って言って逃げてくれれば良かった。そしたらこの町から去ることができた」
どうやら俺がさっきの禍々しい椋を見て、驚いてこの家から飛び出すかと思ったらしい。
それが本当の目的だったのかもしれない。
獣のような眼、殺気、鋭い牙と爪。
そしてそのまま消えるつもりだったのだ。この町からも、俺の前からも。
俺から獣のように嫌われれば、この町から去ることができたというわけだ。
「できるか、そんなこと」
そうしたら今度こそ椋を本当に失うことになってた。もう永遠に椋は俺の前に姿を現さなかっただろう。
「それは椋の本心じゃないだろ」
「うう……」
それは椋自身が言ったことだ。それもついさっき。
ここに居たいといったんだ。
「椋、もう一度一緒にやろう、俺とみんなと一緒にこの町でさ」
「修一……」
「お前はここにいてもいい」
今は細く柔らかくなったその体をそっと抱いてやった。
甘い、女の子っぽい匂いがした。その中にほんのり獣っぽい毛の臭い。
そしてもう一度言った。
「おかえり、椋」
今度こそ、椋は帰ってきたんだ。椋の戻るべき場所に。
「うう、修一、修一……」
椋は泣き続けていた。
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