第10話 秋菜の憂慮
なのに……帰ってきた椋はそんな過去などなかったかのようだ。
「ふーん、そう。みんな元気でやってるんだあ」
リビングでコーヒーを飲みながら、取りとめもない会話をした。
俺の学校での話、クラスのみんながこの1年間どうしているのか? 話したことは全然たいしたことないのだが、椋は興味津々に聞いていた。
ただこれまで過ごしてきたとおり4月から始まって中間試験、夏休み、体育祭、学園祭。正月、修学旅行。
そんなありふれた毎日を語った。
「良かった、ずっと心配だったんだ。ひょっとしていない間に、こっちの世界も修一たちも大変なことになってやしないかって」
嬉しいのか、耳がさっきからピョコピョコ動いている。
「全然変わってないぞ」
恨み言の一つでも言ってくれたほうが良かった。椋たちが行った後の地球、そして俺達の暮らしは恐ろしいほどに平和だった。異世界の怪物が侵略してくることも無く、戦いも起こらなかった。
「へえー、知らないゲーム増えたなあ、あ、このシリーズ、最新作が5筴目まで、でてるんだ」
俺の部屋に置いてあるゲームや漫画をものめずらしそうに、物色する。
やはり完全に地球の情報から離れていたためか、浦島太郎状態みたいだ。
「椋はこのシューティング好きだったろ、やるか?」
そのうちの1本を取り出して、椋を誘った。
これまでどおりの暮らしを送った。学校、遊び。ゲームだってやれるほどの平穏な時が過ぎた。それもこれもみんな椋たちのおかげだった。
椋にもその一部を分けてやりたい。
「ごめん、これからちょっと母さんのとこに行きたいんだ。だから、後でお願い」
だが思い出したようにカレンダーをみつめていた。
「そうか……じゃあまただな」
すぐに納得して、ソフトをひっこめた。
椋はそっちに行くべきだと俺は思ったからだ。
そこで椋を待っている人がいる。ずっと同じ場所で待ち続けている人……。何年もそこで、椋を静かに見守り続けている。
「でも、すぐ帰って来るから」
尻尾と耳を隠すためだろうか、大きな上着を羽織り、帽子を被った椋は、サンダルを履き、ドアを開けて出て行った。
遠ざかる足音を聞きながら、俺は椋の後を着いて行くべきかどうか迷った。行かないことにした。
これから先は椋一人の時間だ。
椋が出て行き、ふたたび俺は一人に戻った。
リビングのソファに腰を下ろし、テレビのリモコンのスイッチを入れた。
テレビの画面には、男と女のキャスターが一人ずつ並んでニュースを読み上げている。
流れるニュース番組には『帰還者支援の具体策固まる』というキャッチが流れている。
具体的な映像が流れてこないのは報道管制がしかれているからだろう。
もっとも、あのネコ耳と尻尾、椋が変わったあの姿を思えば、無理もないことだと思った。
『政府は帰還者に対して当面の生活を支えるため経済的援助を毎月行うと……』
ニュースに聞き入っていると、突然玄関のチャイムが鳴った。
ピンポン、ピンポン、ピンポン何度も鳴らしやがる。おまけにドンドン!とドアを派手に叩いている。
「うるせえな、誰だ? 今出るよ」
愚痴りながら、ソファから立ち上がる。インターフォンにとりあえず出ようかと思ったが、その前に玄関のドア越しに声が聞こえた。
「修一! 修一! いるの?」
必死に俺の名を呼ぶのは甲高い声だった。ついさっきも聞いたばかりの、10代の女の子の声だ。
秋菜だ。
さっき部活帰りのところをすれ違った女子生徒だ。
(なんでうちに来たんだ!?)
「お、何だ秋菜。うちまで来るなんてどうした?」
ドアを開けてひょっこり顔をだした。そこにいた声の主は、果たして秋菜だった。まだあの青いジャージ姿をみると、家に帰らず、別れてから、すぐに俺を追いかけてきたのだろう。
「あ、修一。今中に誰かいる?」
「いや、今誰もいない」
その言葉を聴いて、秋菜は、なんかホッとしたような息をついた。
「そう、もう帰ったのね。さっきの子……」
確かに、さっき椋は出て行った。だが、またすぐ戻ってくるのだが。
「なんだよ、お前、気になったのか?」
どうやら、秋菜は椋のことにある程度気が付いたようだった。
「あ、いやそういうわけじゃ……」
しまったっと秋菜は罰の悪そうな顔をする。
なんか今日の秋菜は様子が変だ。いきなり家まで押しかけて来たのも変だし。
「あの子、例の子じゃないよね? あの子は確か……」
ポツリと秋菜はそういった。
いきなり正解を言い当てられ回答に戸惑った。
「なんでそう思うんだ?」
「だって、修一の嬉しそうな顔……久しぶりに見た。そんな風にしてあげられる子ってあの子以外ありえない」
「あのな……お前は俺の顔を24時間見てんのか? 笑ったことぐらいあるだろう」
「そうじゃ、そうじゃないけど……ここ5年、修一ずっと塞ぎこんでたし……それもあの出来事がきっかけでしょ?」
それは否定しようも無い。
俺は町を巻き込んで一騒動起こしてしまったし、俺自身も深いショックを受けた。あの時の傷はまだ、俺の胸に残っている。
あれから五年が過ぎ、今はまた気力を取り戻したが、その間塞ぎこんでいた時期があったのも事実だ。
「あたし、さっきニュースで見たよ。例の子たちが、帰ってきたって。あの子、もし帰って来た時は絶対に修一のとこに来ると思ってた……」
帰還者のニュースは既に流れている。秋菜も見ていたらしい。
だが、椋たちは地球から遠い異世界への旅の際に環境変化の適応のために、形質が変化し、体がネコ化してしまったことはまだよく知らないようだ。
「別に構わないが……」
「帰ってくるのはいいの。でも……あの子が帰ってきたら、きっと修一に無茶をさせる……」
玄関に佇んだまま秋菜は言葉を詰まらせた。かなり混乱している。
秋菜自身にとって、俺とあの椋を目撃した事は、何故か衝撃があったようだ
俺のことを心配しているのだろう。
そう思われる理由がある。
「秋菜、心配しすぎだ」
「……昔から修一は平気で無茶するんだもの、今度だって……」
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