第24話 椋の痛み
「普通の男の子だった椋君が、そんなふうに変化した体に引きずられるのよ。ネコの、雌の本能と戦っているの。獲物を捕獲し、雄を本能にしたがって求める――」
「くっ」
静香さんの話すのは、椋の過酷な状況だ。できれば否定したい。でも、否定できるだけの材料を持っていない――
「今、椋君は、耐え難い衝動に襲われているのよ。体からわき上がる本能に――。あなたを滅茶苦茶に犯したい。喰い殺したい――」
「そんな! 俺を・・・・・・」
「そんな欲求を一度でもみせていない? 冗談だと誤魔化しているかも――」
だが、これも否定はできなかった。
両方とも一度椋が俺に見せている。冗談――出来心――
「だったら、どうするんだよ、それにあんたの言っていることが正しいとは限らないだろう?」
精一杯の抗弁だった。
「私たち支援局はね、椋君と同じ状況の子たちを何人も保護と監視しているのよ。その中には、衝動が抑えきれなくなった子たちを見ている。そして……」
「症状が悪化した子の中には、本当に人ではなく雌猫のようになってしまう子もいる。人を襲ったり、雌猫と同じように……そう発情期の雌猫のように……」
「彼、いえ彼女たちを私たちは保護する責任がある。それが異世界との間で取り決められた義務だから、そこで保護するの」
「あの子がもし理性を失って、人に危害を加えるようだったら、私たちはあの子を保護しなければいけない」
内ポケットに手を伸ばした。
「でも……」
手帳か何かを取り出すかと思った。だが出てきたのはもっと重厚な者だった。
黒光りする筒とグリップの突いたもの。
そのシルエットで、取り出した物が何かすぐにわかった。
「一筋縄ではいかないわ」
拳銃!?
「まさか、そんな!」
映画のワンシーンでも見ているような、そんな非現実的な感覚だった。
おもちゃか? とも思えた。
「今は、安全装置が着いているから大丈夫よ」
「ま、気休めみたいなものね。あの子たちにはこれも太刀打ちするにはまだ不足だけれども」
再び彼女は銃を懐へしまった。
「だいたいあんたは警察じゃないだろ」
「支援局はこの世界と彼女たちの世界、アースランドとの間の条約でできた機関なの」
帰還者の保護、彼女たちの意志の尊重。
その意志は他の警察を始め国家組織の意向より優先されるのよ。
「条約といっても、私たちがそう呼んでいるだけで、彼らが地球の国際法みたいな概念を持っているかどうかはわからないわ」
ともかく、約束みたいなものだ、という。
ニュースでさかんに流れていた帰還者支援法だかなんだかも、そこでできた法律。
いやがおうにも、これからのこの世界は椋たちのような帰還者を中心に回っているということか……。
一年前にこのことがわかっていたら、どうだっただろう――。
「ともかく第一、彼女たちを意味もなく射殺などしたら、たちまちつけ込まれる口実を与えられることになりかねない。あくまでも保護が目的よ」
装填されているのは強力な麻酔銃だという。
自制が効かなくなった帰還者を抑えるため保護を目的に銃器を使用する。
だが、場合によっては実弾も……。
それは最終手段だという。それが起きたとき何が起こるかは、誰にもわからないという。
「じゃあ、秋菜の父ちゃんをやったのは……あいつを、イツキを捕まえられるだろ」
町長である秋菜父ちゃんを傷つけた。
簡単に捕まえられないとはいえ、理由はある。
「イツキ……あいつが俺たちの前に現れて椋に絡んできたんです。ひょっとして明菜の父ちゃんもあいつが……」
「秋菜ちゃんの件は――」
静香さんは、口を濁した。
「支援局の調査員が調べているけれども、確証は得られてないわ。発砲にしろ拘束にしろ条件を満たさないとできないの。あるいは、その場を取り押さえない限り……」
自制を失い保護が必要と判断され、取り押さえる場合。もしくは危害が他に及ぼそうとしたとき、緊急に要するとき。
ともかく現場を抑えないと駄目らしい。
「私たちは抑えることができない――隣の市の子ね。隣の市では町中が恐怖と不安の渦に陥ってるわ」
強引な決め方をしたのは、どこの町も同じ。椋のように皆のために、自ら進んで行った子供なら良いが、必ずしもそうではない。
「隣の市にも担当が派遣されていて情報収集と統制をしているけれど……」
顔をしかめた。
「下手したら暴動だって起きかねないわ。それがあの子たちの目的なのかも……ともかく、情報をいつまでも押さえ込むことはできないわ。それに……」
「それに彼女たちの身辺を守るのも目的よ。いらないトラブルが起こらないように火の粉を払うのも」
「守る? トラブル?」
「あなたが思っている以上に状況はさらに複雑なの」
静香さんは今度はポケットから何かをとりだした。
よく見るとそれは折り畳まれた、一枚の紙きれだった。
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