第二十六話 養子
― 王国歴1134年-1135年
― サンレオナール王都
ある日のことだった。市場で買い物をしていた夫婦はドミニクとジョゼフに会い、彼らを連れて食堂に入り、一緒に昼食をとることにした。
「俺のおごりだからお前達の分は俺が注文する」
「えー、普通おごりって言ったら『何でも好きな物頼め』でしょ?」
「それは大人同士の場合だ」
「ちぇっ、食なき者は職を選ばず、か。俺たちは好きなもを頼めないわけね」
「まあ、ドミニクは難しい言葉を知っているのね」
「お前本当に八歳かよ?」
「早く学校も施設も出たいから勉強頑張っているもん」
「その勤勉さに免じて食事を全部食べたらデザートを頼んでやってもいい」
「ザカリーおじさん、僕好き嫌い言わないから、後でクッキーが食べたいです!」
「ああ、ジョー、野菜を全部食べたらな」
そこで給仕の女将がやって来て注文を取った。
「俺は鶏むね肉と野菜の煮込み。子供達には野菜のスープ、それから皆に全粒粉のパンね」
「はいよ」
「お母さんは何にしますか?」
「えっ?」
姉は一瞬自分のことだと分からなかったらしいが、この四人は誰の目にも仲の良さそうな親子連れである。最近の姉は変幻魔法を使わず本来の姿でザカリーと並んでいても、姉弟や有閑マダムと年下のジゴロに見えることも段々となくなってきていたらしい。
「あ、えっと、そうですね……私は焼いた白身魚と温野菜をお願いします」
姉は自分が子供を産めないのなら、養子を取ることも考えるようになっていたが、中々ザカリーには言い出せなかった。ザカリーはまだまだ若く、マリー=アンジュを失ってからは姉の前で子供を欲しがる言動は見せなかったからである。
その日食堂で家族連れと間違われた時から、姉の中ではドミニクとジョゼフを養子にしたいという気持ちが益々強くなっていった。しかし、若い夫にいきなり八つの子供の親になれと提案できなかった。それに里親や養親に養われたいと思っているかどうか、子供達の意見もある。
ザカリーはもちろんそんな姉の
「ガブ、何か悩みがあるでしょう?」
「え、ザック、そんな……」
「貴女は俺に隠し事なんて出来ませんよ。話して下さい」
姉は全くもって悪いことなど出来やしない。始終考えを読む夫がいるのだ。しかも彼は粘着質でやきもち焼きの上、束縛したがりである。僕ならそんな夫は全力でご免こうむりたいところだ。
しかもこいつは姉の心の中なんてお見通しなのに、姉に自分から話させようとするのだ。言葉攻めプレイを好むタイプに違いない。ま、僕も嫌いではない……大いに萌える。
とにかくだ、この夫婦は十五も歳の差があるのに、ザカリーが主導権を握っているのは明らかだ。
「私、以前から漠然と思っていたのよ。私はきっと貴方に子供を授けることはできないだろうから……だから養子を取ることをね、最近は特に考えるようになったの」
「貴女がそんなに気をもむ必要はありません。マリー=アンジュは俺達の唯一の血が繋がった子供になるのだろうなって……俺もなんとなくね。ずっと夫婦二人で静かに暮らすのもいいなと思うようにもなっています。けれど、貴女が養子を迎えたいと言うならもちろん俺は大賛成ですよ」
「ええ、私は今日食堂で女将さんに『お母さん』と呼ばれてから、ドミニクとジョセフの新しいお母さんになりたいという考えが頭から離れなくなってしまったのよ」
「じゃあ善は急げ、ですよ。明日フロレンスの家を訪問して養子縁組の申し込みをしましょうか」
「ザック、貴方は本当にそれでいいの?」
「もちろんですよ。あ、でもドムの奴ならあっちから断ってきそうですよねぇ……」
断られる場合、原因は絶対に姉ではなく、将来の養父ザカリーと上手くやっていけそうにないとかそんな理由だろう。
「まあザックったら。その時は彼らの成長を陰ながら見守るしかできないわね。私、色々養子縁組について調べてみたのよ。私たちの場合は養子に爵位も貴族としての社会的地位も継がせないなら、庶民と同じように面接も審査も簡単なもので済むようよ。子供を育てられるだけの収入も十分だし」
「ガブ、そこまで考えていたのならもっと早く俺に相談してくれても良かったのに。俺ってそんなに頼りない?」
ザカリーは当時まだ二十代半ばだった。血の繋がった自分の子供を諦めるには早すぎる歳だ。彼が本当に子供を欲すれば外で作ることは可能で、姉にはそれを止めることはできないことは分かっていた。
「そうではなくて、何となく貴方は血の繋がらない子を引き取ることに抵抗があるのではないかと思ったのよ。貴方自身もルソー家に養子に入っていることだし……それに貴方はまだ若くて……」
姉が本当のことを言えるはずがなかった。ザカリーも姉のその考えが分かっていて、口に出して言わないのは暗黙の了解だった。
「俺自身はそりゃあ反抗期には養父母と色々あったよ。けれど、それとこれは別の話だよね」
「ええ。それに貴方は私のお願いは何でも聞いてくれようとするでしょう? だからあまり我儘を言うのはどうかな、と
「我儘じゃないよ、ガブ。愛する妻を甘やかすのは夫としての務めだもん」
やめろ、ザカリー。だもーん、だなんて言うんじゃない、鳥肌が立つ。
「ザカリー、好きよ」
うげっ、甘々でやってられないよ。
ともかく二人は早速、次の日にフロレンスの家に行き、孤児院の責任者に会った。養親になるための資格には問題なかった。書類等の手続きを済ませればすぐにでも養子としてドミニクとジョゼフを迎え入れられると聞かされた。そこで子供達が呼ばれた。
「何だか緊張するね」
「貴方から話す、それとも私?」
「ガブ、貴女からお願いするよ。俺が口を開くと何だかドミニクに余計なことを言ってしまいそうだから」
街中では子供達二人とよく会っていた姉とザカリーだが、孤児院までが来ることはもちろん初めてだった。
「ザカリーさんガブリエルさん、こんにちは!」
「……」
ただ単純に自分達を可愛がってくれている二人の顔が見られて嬉しそうにしているジョゼフに対し、兄のドミニクは不審そうな顔をしていた。
「ドミニク、ジョゼフ、今日は貴方たちに私たち夫婦から大事な話があって来ました」
ドミニクはそこで険しい表情を見せた。何か嫌な予感でもしたに違いない。
「ザカリーと私が貴方たちの新しいお父さんとお母さんになってもいい? 私たちと一緒に住んで、皆で家族になれないかしら?」
養子の話を聞かされるとは思ってもいなかったのだろう、ドミニクは驚きで目を丸くした。
「本当に? 僕、ずっとお父さんとお母さんが欲しかったの! それがザカリーさんとガブリエルさんだなんて、もーサイコー!」
実の父親はもちろんのこと、母親の記憶もほとんどないジョゼフは純粋に喜んで姉に抱きついていた。
「ええ、貴方たちが良ければ今ここで、養子縁組の申請書に署名するわ。要するに、この紙は貴方たちが私たちの家で家族として暮らせるようにお役所にお願いする手紙なの」
ドミニクは何とそこで涙をぼろぼろ流し始めてしまったのである。ザカリーは彼の頭を軽く撫でて肩をぽんぽんと叩いた。
「そういうことだ。これからは家族としてよろしくな、ドム」
たった八歳のドミニクの細い肩には今まで大きな重荷が載っていたことをザカリーはひしひしと感じていた。これからはそれを少しでも取り除いてやれるのである。泣きじゃくるドミニクは何かを言おうとしても言葉にならなかった。
この少年が今まで経験してきたことを思うと不憫でたまらない、と後日姉は僕に教えてくれた。
姉はしゃがんで血の繋がらない我が子となるドミニクとジョゼフをしっかりと抱きしめていた。
そしてルソー一家はいきなり子供が二人加わり、四人家族になったのである。
***ひとこと***
ザカリーもフランソワも実は言葉攻め好きだということが判明、ということはさておき……良かったね、ドミニク。ジョゼフも。最近は作者の私も書いていて涙が止まりません。
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