第五話 弟の恋

― 王国歴1116年-1117年


― サンレオナール王都




 そんな僕もある日、盲目的な恋に落ちた。


 僕が就職して三年目の年に、侍臣養成学院から一年飛び級をして入ってきた新人女性がいた。クロエ・ジルベールは気の強そうな顔立ちで背は高く、ほっそりした女の子だった。


 彼女の父親は男爵で貴族だったが、クロエは貴族学院に通っていなかった。領地の経営が成り立たず、土地も屋敷も全て売り払ってしまっており、ジルベール家は経済的に苦労していたのである。


 平民が通う侍臣養成学院から、鳴り物入りで高級文官として就職したクロエに関する噂は嫌でも耳に入ってきたのだった。その顔立ちにたがわず、きつい性格なのだろうなと思っていた僕だったが、彼女は腰が低く、良く気が利く働き者だった。


 しばらくして同僚として色々と話すようになってから、就職したばかりの頃は正直不安が大きかったのです、と彼女は教えてくれた。未だ貴族の男性が大半を占める職場に、貴族と言っても平民の学院出身の女性、しかも飛び級で配属された彼女は絶対いじめられると覚悟を決めていたそうだった。


 賢くて細やかな気配りの出来るクロエとは仕事もし易かった。彼女と日々親しくなっていった、と思っていたのは実は僕だけだった。




 ある日、残業で少し遅くなった時、徒歩出勤のクロエを馬車で送ろうと僕は申し出た。彼女はやんわりと、しかしきっぱりと断りの言葉を返してきた。


「お気遣いありがとうございます。けれど、ご心配は無用です」


「若い女性が夜道を一人で歩くのは危険だから」


「辻馬車を拾って帰りますので大丈夫ですわ」


 廊下を歩きながら僕たちは押し問答をしていた。


「それなら尚更だ。遠慮しなくても、うちの馬車だとすぐだよ、わざわざ辻馬車を待たなくてもいいのだし……」


 彼女は少しためらいながらも、しっかりと僕の目を見つめて拒絶した。


「……お恥ずかしいことなのですが、私が住む地区はおよそ公爵家の馬車が入ってこられるような場所ではございません。強盗に遭うのがおちです。それに、こんな夜中に私と二人で馬車に乗り込むところを誰かに見られるのはテネーブルさまも避けたいですよね。失礼いたします」


 そして本宮を出たところで彼女は王宮の正門方向へすたすたと歩いて行ってしまった。


 彼女のあからさまな拒否に打ちのめされたというよりも最初僕は腹を立てていた。この僕の誘いを断るなんて、と怒りを覚えた。彼女の立場を全然考えず、言いにくいことを言わせてしまったことを僕は理解していなかった。


 その後自分は何様のつもりだったのだと反省しきりだった。そしてクロエのことがますます気になってしょうがない僕は、職場では同僚に不審がられない程度に何やかんやと彼女の世話を焼いた。


 しつこく付きまとうのは止めたつもりだったが、時々食事や観劇やら歌劇やらにさりげなく誘ってみた。決まって断られ、逆に意地になっていた。別に一緒に出掛ける女性に不自由していたわけでもない。次期公爵で高級文官という肩書のお陰で言い寄ってくる女はいくらでも居た。


「テネーブルさまは私がいつもお誘いを断るから、もの珍しいだけなのですよ」


 クロエはある日僕にそう言った。


「いや、断じて違うってば。確かに僕は女性に断られることはまずないけど」


「貴方のお時間の無駄です。私が目新しいのは最初だけで、すぐに飽きてしまわれますよ」


「だと思うならさ、僕の時間を無駄にしないためにもね、何回か僕の誘いに乗ってさっさと飽きさせてよ」


「そうですね……その方が貴方のためでしょうか……」


 クロエは困ったような寂しそうな顔を見せて去って行った。僕はあともう一押しだ、と手応えを感じた。そして作戦を練った。




 ある日、出勤に公爵家の紋入り馬車でなく使用人の馬車を借り、姉までだしに使う手に出た。クロエには今日は姉も一緒に帰宅するから、二人きりじゃないし、質素な使用人の馬車だから送る、と僕は粘った。そして彼女を無理やりついてこさせた。クロエは姉に会えて純粋に嬉しそうにしていた。


「大魔術師のガブリエルさまにお会いできるなんて光栄ですわ」


「そんな、私魔術以外何の取り柄も無いのですよ……」


 姉は謙遜して照れていた。僕は心の中でガッツポーズを取っていた。


『大黒魔術師アレクサンドラ・テネーブル様万歳、テネーブル家に永劫の未来在れ!』


「瞬間移動もお出来になるのですよね。移動されるのに馬車を使う必要がおありですか?」


 いえ、それは僕がだしに使いたかったからなのです。姉もそこは心得ている。


「強い魔力を持っているからと言って、濫用は避けているのです」


 ザカリーの子守の為に瞬間移動をするのを濫用と言わないのは暗黙の了解だ。姉にとっては子守ではなく彼との逢瀬なのだが。


 クロエの目はきらきらと輝き、口下手な姉からも上手く話題を引き出している。彼女は財務管理よりも司法院に進むのが向いているのじゃないか、と思わずにはいられない。


 はっきり言って馬車の中で女性二人が会話していて僕はのけ者のようだったが、クロエの可愛らしい笑顔が見られるだけで僕まで幸せだった。そもそもクロエは愛想が良い方ではないので彼女の笑顔はレアなのだ。


 さて、公爵家の使用人の馬車は僕たちを乗せて庶民の住む地区にさしかかっていた。


「ああこの辺りはザックのご両親が……」


 姉が窓から外を見てそんなことを言い出すので少々焦った。頼む、姉よ、クロエの前で親バカ話というかノロケ話を炸裂されると……絶対ヒかれる! 勝手にだしとして連れて来ておいて僕も自分勝手だが……


「え?」


「あ、いえ、ごめんなさいね。何でもありませんわ」


 僕はほっとした。いくら何でも初対面の人に愛しのザカリー坊やの話をするのはまずいと姉は分かっている。当時ザカリーは弱冠七つか八つだった。やっと第四形態のショタ君に変身したばかりである。


 とにかく、姉は馬車の中で窓から見える貧困街を思い入れのある様子で眺め、口を閉ざしてしまった。ザカリーの話をされるのもイタいが、黙り込まれるのも困る。


 先程までは女二人楽しそうに世間話をしていたというのに、もうクロエは僕が話しかけても何となく会話が続かない。でも、彼女の向かいに座って彼女の顔を見ているだけでも良かった。


 もう少し一緒に居たいというのに、あっという間にクロエの家まで着いてしまった。我が家の優秀な御者はこの付近などまず来ることは無かったろうが、迷わずすぐに着いた。王都中心部のこんなごみごみした、道路もろくに整備されていない地区なのに、少しは迷って時間稼ぎしてくれよ!と言いたい。


 クロエは丁寧にお礼を言うと、馬車からさっと降り、家に入ってしまった。同僚たちの目があることを考えると、毎日のように送って行くこともできない。姉も使用人の馬車も毎回引っ張り出されても困るだろう。馬車は向きを変え、家路についた。僕は大きくため息をつかずにはいられなかった。


 後日クロエは、自分がいかにみすぼらしい所に住んでいるか僕に一度見せるために送ってもらうことにしたのだ、と白状した。次期公爵の僕が気に留めるような人物ではないと確認できたらすぐに興味が失せるだろうからだそうだ。僕自身と少しでも仲良くなりたいわけではないとは分かっていたが、僕はかなり凹んだものだった。




「フランソワも恋を知ったのね」


 姉が僕に言ったその言葉は心に染みた。ああ、これが恋というものなのか、と。しかし僕の恋の行く先は前途多難に見えた。


 逆に姉の方はクロエとその後急速に仲良くなった。クロエさんが読みたがっていた本を貸すから仕事帰りに屋敷に寄ってね、是非夕食もご一緒しませんか、私今日はザックの所に行くのだったわ、じゃあフランソワと二人で食事をどうぞ、そう言えば夕食の後フランソワは友人達と飲みに出掛けるらしいの、ついでに彼がクロエさんもお家まで送りましょう……などと姉は実にいい仕事をしてくれたのである。


 そして僕はクロエを長いことかけて苦心して口説き落とし、やっと僕の想いは彼女に通じたのだ。




***ひとこと***

この話の終了時点でザカリー君は八歳です。好き勝手なことを言っているフランソワ君によると第四形態ショタ君!? ちなみに第一形態胎芽胎児、第二形態乳児、第三形態幼児と変身しているそうです。


さて、フランソワ君自身の恋の行方は?

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