第四話 誕生

― 王国歴1108年-1114年


― サンレオナール王都




 レオン父さんが養子の件を了承してから、姉は大手を振ってまでとはいかないが、ポーレットを訪ねて彼らの家に入り浸っている。


 いつの間にか瞬間移動の魔法が出来るようになった姉は治安の良くない地区を一人で歩かなくなり、うちの両親の心配も少しは減った。瞬間移動という魔法はとても高度な技術であり、王国でも高級魔術師数名が使えるだけである。


 姉はフォルジェ家で夫婦の上の子供たちと遊び、家事も見様見真似で勤めていたようだった。掃除や洗濯はともかく、料理はからっきし駄目だったが、腐っても公爵令嬢だからそれは許してやって欲しい。


 十四の青春真っ盛りの公爵令嬢がみすぼらしい綿のドレスで、毎日のように庶民の家を訪れ、妊婦の話し相手に子供の世話、家事労働をしているのだ。何かが間違っている。




 年が明け、1109年早春ポーレットは難産の末に男の子を出産した。姉がお産に駆け付けても足手まといになるだけで何が出来るわけでもなかったが、もちろん彼女は居ても立っても居られずにフォルジェ家に押し掛けた。


 それでもポーレットの手をただ握っているだけで、長引くお産で体力の弱っていた母子に元気を与えられたようだった。


 生まれてきたのは姉や魔術師たちの予想通り、真っ白な肌にプラチナブロンドの髪を持つ男子だった。フォルタン師の記録にある高祖母ビアンカの外見も同じなのである。その子の誕生に一番感動して家族よりも涙を流していたのは姉だった。そんな姉の姿に石頭のレオン父さんも少しはほだされたに違いない。


 ルソー家に養子に入る予定のその赤子はレオンによりザカリーと名付けられた。


「俺が父親として最初で最後にこの子に与えられるのは名前くらいだな……」


「とても良い名前だと思いますわ。ザカリー……ザック、元気に生まれてきてありがとう……」


 レオン父さんは柄にもなくしんみりとしてしまい、姉も感無量だった。それぞれの思いが交錯したザカリー・フォルジェの誕生だった。


 ザカリーは僅か生後一か月でポーレットと共にルソー侯爵家にやって来た。ポーレットはしばらくの間住み込みでザカリーを育て、生後六カ月頃には通いで乳を飲ませるようになり、同時にルソー家の下女として雇われた。そしてザカリーが乳離れした後もずっと勤めている。


 姉にとっては平民の住む地区よりも、距離的に近いルソー侯爵家の方が訪ねやすかったのはもちろんである。そして学院に行く以外、ほとんどザカリーの居るルソー家へ入り浸って彼の面倒を見ていた。


 我が家へは食事と睡眠のために帰ってくるだけである。十五の貴族令嬢が折角の人生初のモテ期も謳歌せず、他所のお宅の乳児を溺愛し、その世話に明け暮れている。どう考えても普通ではない。


 ルソー家には姉の訪問を拒む人間は居ないわけで、僕はそのうち住み込むのではないかと思っている。毎晩帰宅が遅くなる姉の身を心配していた両親だが、彼女は夜道を一人で帰ってくることはない。もちろん必殺、瞬間移動のお陰だ。それが出来なかったら姉はルソー家に泊まり込んでいたに違いない。


 ザカリーの誕生以来、姉は少し明るくなった。彼が自分を見て微笑んだだの、寝返りをうっただの、と嬉しそうに聞かせてくれる。


 生後数か月でザカリーが姉の手を握って彼女の名前を呼んだと興奮冷めやらなかった時には、両親も僕も本気で心配したものだ。よくよく聞いてみると『ブ、ブッブー』と言っただけだったらしい。親バカにも度が過ぎる。と言うか本人にとっては恋バナなのがイタい。


 姉はまるで恋する乙女のようだった。実際恋をしているのだもの、とはにかむ姉だった。しかしそのノロケ話の内容が、おむつ替えや離乳食ってのはどうなんだ、と言いたい。他人が見ると若い母親か、年の離れた姉である。




 姉は勉学にも励み、魔術科過程を修了し学院を卒業後、王宮に魔術師として勤めることとなった。就職してからも変わらず、仕事帰りに毎日のようにザカリーに会いに行き、我が家には彼を寝かしつけてから帰宅するのだった。


 芳紀まさに十八歳、もうそろそろ結婚してもおかしくない年であるが、両親も何も言わなかった。姉の居ない時、僕は彼らに一度聞いてみた。


「うちの姉上、もう適齢期ですけれども……結婚の意思なんて全くありそうにないですよねぇ」


「私達もな、一度それとなく縁談を勧めてみたのだよ。お前も十八だろう、ってな。そうしたらな……あの黒雲がガブの頭上にもくもくと湧き上がってきてしまってなあ」


「あちゃー、そりゃ駄目ですね……」


「でしょう? 『お父さま、お母さま、ごめんなさい。私は誰にも嫁ぐ気はありません』とあの思いつめた表情で言い切られたわ」


 一度僕が覚醒前の姉に同じことを聞いたら、誰ももらってくれるような人が居なかったら修道院に行くなんて言っていた。今は魔術院に勤めているから修道女になる必要はないのだが……


「フランソワ、お前が妻をめとった後もガブはこの屋敷に離れでいいから住まわせて欲しいらしいぞ」


 僕だっていずれは結婚することになるだろう。姉が修道院に行かず、離れに住むのはまあ構わない。


「大魔術師として覚醒してしまったからにはもう一生を王国に捧げたようなものね。私はもうあの子の好きなようにさせてやるしかないと思うわ……」


 僕たち三人はしんみりとしてしまった。ルソー家に寄った後、毎晩一応ちゃんと我が家に帰ってくる姉はそれなりに幸せそうだったから、家族としてはそんな彼女を見守ることしかできなかった。


 自分の娘時代をどう過ごすか、それは姉の勝手だが……同年代の女子はやれ舞踏会だ、婚約者とデートだ、と浮かれていると言うのに……ザカリーの話をする姉の顔だけはまるで恋に恋する少女のそれなのだが……折角のモテ期だというのに……しつこくて申し訳ない。


 話の内容がお絵描きが上手になったとか、字が読めるようになったとか、一緒にかくれんぼしたとか……イタすぎる。姉もそれは分かっているようだから家族とルソー家以外の人間には親バカ話はしていないようだった。姉にとっては立派なノロケ話なのだ。


 僕も十八で学院の課程を終えて卒業、文官として王宮に就職した。僕の成績は中の上くらいで、高級文官にギリギリなれた。今では王宮内の職は完全実力主義である。一般侍臣養成学院からも平民でも成績が良ければ昔だったら貴族しか就けなかったような高級職でも手が届くようになっていた。じゃあなんで未だに貴族制度が存在しているのか、と言われても僕にも分からない。


 僕は将来公爵位を継ぐ身だから十代前半くらいから縁談の話はいやと言う程持ちかけられていたが、両親も実に呑気でのらりくらりとかわしていた。


 身分も年も何も構わず、ただ一人の男を一途に愛し、誰にも嫁がないと宣言してしまっている姉を僕はずっと見てきている。いや男というか、胎芽、胎児状態から乳児を経て今はやっと幼児になったばかりで、男子と言うにもショタ君というにもまだまだ若すぎるだろう。


 そんな見返りのない無条件の愛に生きる人間が側に居ると、貴族社会での打算や政略だけの縁談が非常にむなしく見えた。だから両親が僕の縁談に乗り気ではないのはありがたかった。


 ということで僕は学院時代から適当に女の子達と軽い気持ちで遊んでいた。誰一人として僕自身という人間を本当に好いてくれる子は居なかったし、僕もこの人じゃないと駄目だと思えるような激しい恋をしたことはなかった。そういう意味では姉のことが羨ましかったとも言える。




***ひとこと***

相手役初登場! というか誕生です! シリーズ作最年少にして初登場最遅の記録を塗り替えました。そして記念すべき初台詞は『ブ、ブッブー』……

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