第三話 鍛冶職人


 それからというもの、姉はレオンとポーレット夫婦の家に通いつめた。貴族のお嬢さんが場違いな綺麗なドレスを着て立派な馬車でやって来られても困る、とレオンに追い帰されていたようだった。それからは姉も悪目立ちしないように質素なドレスに身を包み、果物や焼き菓子など手土産を持って訪れている。


 ポーレットは最初は妊娠の自覚もなかったが、しばらくすると悪阻の症状が出てきて、さらにしばらくすると医師によって妊娠が確認された。夫婦にとっては三人目の子供である。


 ひどい悪阻でも、姉が近くに来るだけで少し気分が良くなり、さらにお腹に手を当てられるとますます元気が出てくることにポーレットはそのうち気付く。


 しかし姉は夫のレオンに出くわすと相変わらず追い帰されている。当たり前だ。僕には彼の気持ちの方が良く分かる。


 そんな時には必ず姉は我がテネーブル家の裏にある小高い丘に行っていた。上ると王都の街が見渡せるその丘は高祖父クロードが覚醒した場所で、高祖父母の墓があるのだ。仲良く寄り添う墓石二つの周りには天使像が三体置かれている。姉はそこにたたずんで、まるで亡き高祖父母に教えを乞っているようだった。




 ポーレットが安定期に入ったある日、王宮魔術院総裁ポール・タンゲイと魔術師ベノワ・ルソーはレオン夫婦の家を訪れた。片割れが生まれたらルソー侯爵家がその子を養子としてもらい受けたいという話をするためである。


 大黒魔術師として覚醒した姉がここまでお腹の子に惹かれるのだからこの赤ん坊は片割れの白魔術師に違いないのだ。そうなると魔術師としての教育を受けさせるには貴族の屋敷で育てるのが一番だということをゆっくりと夫婦に説明した。


 サンレオナール王国は遥か昔に魔術師達が建国した国で、その当時の魔術師達が貴族の位を王国から受けたのである。だから魔力持ちは貴族の家にしか、それも高位の貴族の家にしか生まれない。この王国で正式に魔術師と名乗るためには、魔力持ちとして生まれた子供が貴族学院の魔術科を卒業するしか道がないのである。


 しかし片割れだけは例外で、大黒魔術師が突如覚醒したときの空間のひずみで突然変異として誕生するというのが昔のフォルタン総裁が残した仮定だった。




 鍛冶職人のレオンはボソッとつぶやいた。


「貴方達は私らが一生遊んで暮らしても有り余る金と引き換えにこの子を売れと言うのか? 私が二つ返事で実の子供を渡すとでも? 断ったら不敬罪だか何だかで死刑か終身刑になるのか?」


 彼は実に堅実で一本気な職人だ。大貴族様に向かってこの発言である。僕は彼に惚れてしまいそうだ。


「三人目だろうが四人目だろうが、我が子は我が子だ。犬や猫の子じゃあるめえし、人様にホイホイと渡せるもんか!」


 そしてレオンの説得は長期戦にもつれ込んだ。


 生まれてくる子供は数百年に一度現れるかどうかという珍しい存在で、特殊な魔術を使える。それ故その力は一個人が簡単に扱えるものではなく、その大いなる能力は公の財産、公人として然るべき教育を受けさせなければならない。そして将来は王国の発展に大いに貢献し、多くの人々を助ける大魔術師に成長することだろう。などというのが魔術院側の主張である。


 それに対してレオンは、市民のささやかな幸せを犠牲にしてまで何が魔術だ、王国だ、と決して譲らなかった。


「俺が了承しようがしまいが、貴方達にはうちの子を取り上げる権力があるだろう。何で俺をしょっぴかない?」


 レオンは最後にいつもそう締めくくった。姉に対してもレオンはぴしゃりと言ってのけた。


「貴族のお嬢さんよ、俺らは細々と貧しいながらも幸せに暮らしているんだ。アンタの道楽に付き合う暇はねえんだよ。もうここには来ないでくれ!」


 昔の姉ならここで黙って引き下がっていた。しかし、覚醒後の姉はもう以前の大人しいぽっちゃりガブリエルではなくなっていたのである。片割れに関してだけは絶対に譲れない頑固者になっていたのだった。


「私と生まれてくるお子さまとは運命で惹かれ合っているのです。もう片時も離れて居られません。どうか私が時々訪ねることをお許しください。でないと私……」


「惹かれ合ってるなんてどうして分かるんだ、お嬢さんよ。気持ち悪いことおっしゃるのは止めてくれ! はい、帰った帰った!」




 覚醒以降の姉は、自分の双肩にのしかかる重圧のせいであろうか顔つきまで変わってきていた。常に表情は厳しく、思いつめた様子になった。


 食べ物の嗜好が変わったのか、覚醒以来悩まされている原因不明の頭痛で食欲が湧かないのか、食も細くなった。まあ以前の食が太すぎたと言えないこともない。ぽっちゃり体型がみるみるうちにほっそりとしてきた。僕はもうダイエットしろと姉を揶揄からかうことが出来なくなってしまった。


 手に入れた魔力のお陰なのか、いつの間にか裸眼でも良く見えるようになったと言い、眼鏡もかけなくなっていた。


 そして学院では普通科から魔術科に転科し、魔術師としての勉強を始めた。外見が見違えるように美しくなった姉は、いわゆる魔術科デビューをしたのである。


 姉自身は人生初のモテ期到来に大いに戸惑っていた。今の彼女だったらいい縁談も選り取り見取りだろうが、当の本人はまだ生まれてもいない赤ん坊に夢中である。


 超音波検査などもちろんこの世には存在しない。僕的にはその子は男の子だと切に願いたかった。いつも思いつめたような表情をしている姉に、片割れの性別はどっちだと思う?なんて質問はとても出来なかった。


 姉はレオンに隠れてポーレットの所へまだ行っているらしい。ある日両親はしみじみと言った。


「私たちのガブは覚醒してから前よりもずっと美しくなったけど……今は何だかいつも……悲壮な表情をしていて、以前の方がずっと可愛らしく笑っていたわ……」


「それでもガブはいつまでも私達の大事な娘には変わりない」


 僕たち家族は姉の人生が急に苦渋に満ちたものに変わってしまったことに気付く。強い魔力を持っていようが、いくら高名な魔術師になろうが、それがすなわち幸せに繋がるとは言えない。


 ただの鍛冶職人レオンの言葉は全くもって正しい。僕は文官になれなかったら彼に弟子入りして一生ついて行きたいくらいだ。




 ポーレットの経過は順調で、お腹もだいぶ大きくなってきた。お腹の子がちゃんと育っているのは、姉が度々訪れては不思議な力で胎児をなだめ、あやしてくれているからだということが母親のポーレットには分かっていた。


 姉の方も定期的にポーレットのお腹を触りに行かないと動けなくなるくらいの頭痛に見舞われることもあるらしい。


 ポーレットの説得の甲斐もあってか、遂に数か月後レオンが折れた。金は要らない、生まれた子供にはちゃんと実の親と名乗らせろ、時々会わせろというのが条件だった。育てられず捨てたのではなく、魔術師としての教育の為に養子に出したということを分かって欲しいという事だった。


 そしてポーレットはせめて乳離れまでは子供の側に居たい、その後は下働きでも何でもいいからルソーの屋敷に勤めさせてもらって子供の成長を見守りたいと言った。


 実は堅実な鍛冶職人レオンは先日仕事中に怪我を負い、一週間ほど仕事を休まないといけなかったのである。彼はそれで少し弱気になっていたのだった。まだ体が動くうちはいいが、いつ何が起こるか分からない。それに在宅時間が多くなったレオンは、姉が側に居るとポーレットの気分も体調も良くなることも流石に認めないわけにはいかなかった。




***ひとこと***

フランソワ君と同様、私も一本気なレオン父さんに惚れています。片割れの子は手放すことになってしまったレオン父さんですが、物語の中でこれからも要所要所で活躍させたいところです。

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