第十四話 逢瀬


 それからというもの、毎夜のように通ってくるザカリーに溺れながらも、姉はいずれ彼も来なくなるだろうと心の奥底では思っていた。彼が自分の側に居ることが当たり前と考えることがどうしても出来なかったのだった。


 学院卒業前の研修を終えたザカリーは王宮魔術院に就職するが、騎士の資格も取っていた本人のたっての希望で同時に騎士団にも所属することになった。姉は一日中王宮の魔術塔で研究室にこもっているか、貴族学院で教鞭を執っている。


 ザカリーは王宮の北に位置する魔術塔と騎士団のある東宮を行ったり来たりしているので、二人は仕事中はまず顔を合わせることはなかったようだった。会うとしても廊下ですれ違う時や魔術院全体の会議くらいで、姉はザカリーには軽く会釈をするだけで二人の間には何もないかのように振る舞っていた。


 しかし、姉と親しくしているロラン様には何もかもお見通しだった。


「ガブリエル、最近益々綺麗になったね」


「まあロラン、何か仕事で失敗でもしたの?」


「どうしてそうなる?」


「私の助けが必要なのね」


「いや、だから違うって。純粋に君が美しくなったって言っているだけだよ」


「三十過ぎの女をつかまえて何なの? でも本当にそうね。美しくなったかはともかく、最近体調も元に戻ったから顔色も良くなったでしょう」


「白魔術師の少年が王都に帰って来たからでしょ?」


「……あ、いいえ。別にそういうことでは……でも、そうなの。実は彼が王都に居るだけで、その、頭痛もしないし……」


 そう言って真っ赤になってしまう姉だった。ロラン様にはバレバレである。


「君のそんな顔が見られるようになるとはね。俺としても感慨深いよ。少年も少しは懲りて君のありがたさが分かったみたいだね」


「そんな、ありがたさだなんて……いやだわ、ロランったら」


 ロラン様もそれ以上特には何も言わず、その後はそっと見守るだけだった。


 彼も純粋に姉の幸せを願ってやまない人だったが、直接ザカリーにどうこう言うのは控えていたようだった。ロラン様の目にも西部から帰還してからのザカリーが一回り成長したのが見てとれていたからである。




 姉自身は他の男との経験が無いので比べようもなかったが、正反対の魔力を持つ者同士だから男女のまぐわいも他の人間とよりもよほど相性がいいのだということを姉は分かっていた。高祖母ビアンカの手記にもそんなことが少しだけ書かれていたようである。


 今まで男性と付き合ったことのない姉はザカリーがぶっちゃけ体目当てで会いに来るのだとばかり信じていた。


 実の弟ながらあまりに姉が不憫で泣けてくる。大体、体だけが目的の男が土下座までするものか。


 そうして毎晩ザカリーは通ってきて夜遅くもしくは朝方帰って行くのが習慣になっていた。姉とグレタはもちろん他言しないが、最初に気付いたのはクロエだった。彼女はなんと例の初めての朝にはもう姉の雰囲気の変化を察していたのだ。


「お義姉さま、今朝は調子が良さそうですね」


「え、ええ。今日は頭痛もしなくって」


 そう答えた姉が少し頬を染めたのを見て、これはただ頭痛が消えただけではないとクロエは思ったが口には出さず、僕にも何も言ってくれなかった。その後、ザカリーが研修を終え王都に帰って来た日を知ったクロエは確信したらしい。


「ねえフランソワ、お義姉さまですけれど最近益々綺麗になったと思いませんか?」


「えっ、そうかな?」


 姉は姉で、綺麗も不細工もない、いつもの彼女だ。確かにザカリーが二か月間西端の町まで行ってしまった時は元気が無くて沈んでいたが、先日彼が王都に帰ってきただけで随分と顔色は良くなったような……とにかく僕はまだ何も知らなかったのだ。


「はぁ……これだから男は……」


 クロエは盛大にため息をつく。いや、そう言われてもね、男だからしょうがないじゃない。僕はこうしていつもクロエに呆れられる運命にあるのだ。




 それは秋も深まり涼しい日が続いていたある夜のことだった。


「フランソワ、今から離れに行ってきてもよろしいでしょうか?」


 クロエが珍しくそんなことを言いだした。


「うん、いいけど、どうしたの?」


「お義姉さまと少し話をしたいのです」


「じゃあ、今晩は僕が子供達を寝かしつけるよ」


「よろしいのですか? 私、侍女に頼んでもいいのですよ」


 クロエは育った環境からか、子供達の世話はなるべく自分でしている。そして僕が育児に参加することを申し訳なく思っている節がある。けれど僕だってイクメンぶりを発揮して妻にもっと頼られたいのだ。


「大丈夫だよ。歯磨きもちゃんとさせるし」


「ではよろしくお願いいたします」


 今までクロエは一人で姉のところに夜行くなんてことはなかったが、僕はまあいわゆる女子会みたいなものだろう、と気に留めなかった。




 離れに姉を訪ねたクロエが呼び鈴を鳴らすと扉はすぐに開いた。まだ早い時間なのに扉を開けたのはグレタではなく姉自身だった。彼女はクロエの襲撃に驚いたようで、顔が青ざめていた。


 ザカリーがそろそろ来る時間だったが彼ではないことは姉にはもちろん分かっていた。彼なら魔力で分かるからだ。姉はクロエの顔に浮かぶ複雑な表情を見て、諦めたようにそっと溜息をついた。


「こんばんは、お義姉さま。ちょっとよろしいでしょうか?」


「え、ええ。もちろんよ。どうぞお入りください」


「ねえ、お義姉さま、最近何かいいことあったでしょう?」


 居間に通されたクロエはいきなり姉に聞く。


「え? どうしてそう思うの?」


「顔色が夏の頃に比べるとずっと良くなりました。頭痛もこのところは収まっているのでしょう? それに何となく……目が輝いています」


「そ、そう?」


 クロエには何もかもお見通しのようだったが、姉はどうしてもザカリーが毎晩のように通ってきていると自分から打ち明けられるはずがない。


「私に教えてくださいませんか?」


 姉に言い含められていた門番はザカリー・ルソーをいつも通していたし、ザカリーは浮遊魔法で屋敷の塀を飛び越えて来ることもあったらしい。夜遅くか早朝帰る時は同じく塀を越えるか、使用人が出入りする裏口から抜け出ていたのだ。全く、警備が手薄だった。


 クロエは門番を問い詰めても良かったのだが、姉に直接話をすることにしたのだった。


 ザカリーはいつも隠れてコソコソするのは嫌だ、ちゃんと二人の関係を僕達に告げようと姉には言っていたようなのだが、姉の方が二の足を踏んでいたらしい。


 姉はザカリーの体調が良くなれば毎晩のように通って来るようなこともなくなるだろうし、彼にはまたすぐに同年代の恋人ができるだろうと思っていたのだ。いい年した自分一人が浮かれているのも恥ずかしかったのだ。その時、ザカリーが近付いてくる魔力を感じた姉は観念した。


「ごめんなさい、クロエさん」


「何に対してですか?」


「あの、これから人が来るのよ……」


「お義姉さま、それは私には会わせられない人ですか?」


 クロエだって意地悪で言っているのではない。姉は唇を噛んだ。


「いいえ、ザカリーよ」


「やはりそうでしたのね。私は別に責めているわけではないのです」


「でも、フランソワと貴女に隠れてこの離れで男性と逢っていた私が悪いの……我が家の面目に関わることですからね。私が毎晩のように、その、男の方を招き入れているなんて……」


「お義姉さま、私には公爵家の体面よりも貴女のことが心配なのです」


「何がそんなに心配なの? 私が年甲斐もなく、みっともなくザカリーに溺れてしまうこと?」


「そうではありません……」


 姉は時々僕やクロエが腫れ物に触るかの如く接するのに嫌気がさしていたのだろう。


「昔からずっとこれ以上どうしようもないくらい彼に溺れているのよ。今更何もそんな心配だなんて。ザックの方から私を訪ねて来るなんて今までになかったから……嬉しくて……来るなとは言えなかったのよ。それに、彼も体調が元に戻れば来ることはなくなるだろうと思っていたし……もうそろそろ潮時なのかしらね……」


 姉の切ない気持ちがひしひしと伝わってクロエは何とも言えない気持ちになった。その時玄関の扉を叩く音がした。




***ひとこと***

さあ次回は夜這い男ザカリーと小姑クロエの対決となるか? ガブリエルはそんな二人をオロオロしながら見守り、まだ何も知らないフランソワ君は母屋で子守中。

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