第十五話 義妹


「ああ、ザックが来たようだわ……彼を驚かせたくないから私が出るわね」


 姉は居間から玄関に向かい、扉を開けた。


「ガブ、会いたかったぁ……ねえ聞いてよ、今日さ……」


 ザカリーはすぐさま姉に熱烈な口付けをした後、きつく抱きしめて甘えているのにはクロエも呆れた。姉の後ろに居た彼女など目にも入っていない。


 そんなザカリーの姿を見て、クロエは彼が姉を熱烈に愛しているのが分かった。一時の情熱だけでないことを切に願っていた。


「ねぇザック、実は今クロエさんがいらしていて……」


 そこで初めてザカリーは仁王立ちで腰に手を当て、彼らのイチャイチャをジロジロ遠慮なく見ている小姑クロエの存在に気付く。


「えっ? あ、公爵夫人、これは失礼いたしました」


 そして姉の体を放し、深く頭を下げたザカリーだった。けれど姉の手はしっかり握ったままだったという。流石小姑だ、クロエはそんな細かい所まで念入りにチェックしていたのだった。


「ご無沙汰しております、お変わりありませんか? 公爵にお子様達も……」


「ザカリーさん、きっと主人も久しぶりに貴方にお会いしたいことでしょう。今度夕食にご招待してもよろしいかしら? ご都合の良い日はありますか?」


「はい、私はいつでも構いません」


「では明後日ならフランソワも大丈夫だと思うわ。お義姉さまのご都合はどうですか?」


「私も大丈夫ですけれど……」


「決まりですね。私はこれで失礼しますわ。お邪魔しました。お休みなさいませ」


 クロエはさっさと離れを後にした。残された姉とザカリーはしばらくぽかんとしていた。


「ザック……フランソワにはまだ知られていないと思っていたのだけど、クロエさんには何もかもお見通しだったみたいなの……ごめんなさいね」


「いつまでも隠しておけるわけはないと思っていたし、俺も。貴女が謝る必要はないよ」


「明後日の食事、貴方が嫌なら辞退してもいいのよ。弟夫婦には私が適当に断っておくわ」


「嫌なわけがないだろ。いい機会だ、もうコソコソしたくないし。テネーブル公爵にも正式に挨拶しないとね」


「ザック、ありがとう……」


「公爵夫人にここに乗り込まれる前に本当は俺の方から挨拶に伺うべきだったよ……ねえそれよりさ、早く寝室に行こうよ」


 ザカリーはそう微笑んで軽く姉の額にキスをし、彼女の手を引いて二階に行こうとする。姉は実は小姑様の乱入により、ザカリーがその気も失せたとその夜はすぐに帰ってしまうのだろうと思っていたらしい。




 三十半ばの超き遅れの姉は、戦々恐々と二日後の夕食会が来ることを恐れていた。自分の純潔を奪ったことについて僕とクロエがザカリーに責任取れと責め、ザカリーがぶちギレするという、いわゆる修羅場を想像していたようなのだ。


 姉にしてみれば三十過ぎていつまでも独身で、処女かどうかなど、これから修道院に入るにしたって別に重要ではなかった。たった一人の男性ザカリーに奪ってもらえて女としては本望だったのだ。


 彼との関係もそれっきりになるのだろうと半ば諦めていた。ザカリーだって自分から挨拶にと言っていたというのに。全く不憫な姉は人生の半分以上、諦めてきたことばかりだ。


 僕達だって姉のことをザカリーに押し付けたかったわけでもない。僕など、その晩離れから帰って来たクロエに夕食会のことを告げられただけで、まだその時点では何も知らなかったのだ。


「フランソワ、明後日ザカリー・ルソーさんを夕食に招きました。貴方もご都合よろしいですよね」


「都合は良いけれど、ザカリーを食事に? それはまたどうして?」


「当日になったらお分かりになるわ。もちろんお義姉さまもご一緒よ」


 僕の頭の中は疑問符で一杯だった。今までのザカリーだったらこの面子で食事に招待しても絶対に来るはずがなかった。




 問題の食事会の夕方、約束の時間より少し早めにザカリーは我が家の門をくぐった。姉はもう帰宅していたが、やたら張り切っているグレタの手により身支度中だったようだ。


 さて、初めて恋人の親に会うが如く緊張しているザカリー少年は母屋の居間に通され、まだ事情を全く知らない僕とザカリーの本音を聞き出そうとやる気満々の小姑クロエに対峙することとなった。


 僕が久しぶりに見たザカリーは精悍になり精神的に一回り成長したようだった。もうやんちゃな少年の面影はすっかりなりを潜めていた。僕は二か月間の遠征のお陰だろうなんて呑気なことを考えていたのである。握手を交わした手も流石に騎士科在籍だけあって、逞しいものだった。


「ご無沙汰しております、公爵夫妻」


「お待ちしておりました、ザカリーさん。義姉はまだ支度中ですわ」


「はい。ガブリエルさんがみえる前に公爵夫妻にお話があります」


「そこに座れよ、ザカリー」


 ザカリーは僕が勧めた向かいの椅子には座らず、いきなり床に膝をつき僕達に深く頭を下げた。


「フランソワ、クロエ・テネーブル公爵夫妻、ガブリエル・テネーブル様との交際をお許ししていただけないでしょうか? 若輩者ですがどうかよろしくお願い致します」


「はいぃ? 交際?」


 僕はあまりの驚きに素っ頓狂な声を上げたまま、開いた口が塞がらなかった。


「そういうことらしいのです。事後報告とは言え、こうして堂々と挨拶しに来たのですから許してあげませんか、フランソワ?」


「えっ、クロエ?」


 僕は妻の方に向き直った。彼女はザカリーに厳しそうな眼差しを向けている。まだ事態が全然把握出来ていなかった。


「はい、公爵。一か月前、遠征から帰ってきてから、その、時々ガブリエル様の離れを訪ねさせてもらっています」


 まだあまりの驚きに僕は思考がついて行っていなかった。


「時々訪ねるという程度ではなく、毎晩のように通って来て泊まっているでしょう?」


 全く容赦ない小姑様の突っ込みに、目の前のザカリーは額を床にこすりつけている。


 ここで鈍い僕もやっと理解できた。ザカリーと姉の関係に大進展があったなどとは夢にも思っていないその時の僕には、正に寝耳に水だった。


「おいザカリー、歯を食いしばってそこになおれ」


 僕は文官で騎士科を終えた十代の若者に腕力で勝てるとは到底思えないが、けじめはけじめだ。


「何をなさるのです、フランソワ?」


「いや、だってクロエ、これはテネーブル公爵家の当主として見逃せないでしょ」


「フランソワ、暴力は感心致しませんわ。ザカリーさん、義姉は貴方の不名誉になるような発言は絶対にしないし、侍女のグレタも口外しない。だから貴方は何もなかったことにして義姉に対する責任を回避することもできたわけです」


「い、いえ責任逃れだなんて……」


 僕はザカリーが気の毒になった。だいたい司法院に勤める高級文官クロエ・ジルベール女史に口で対抗なんて無理だ。僕なら痛いけど一発殴られて終わり、を選びたい。


「下世話な言葉で言うと夜這いの末にヤリ逃げといったところでしょうか?」


「ヤ、ヤリって……クロエ……」


 僕の方がタジタジである。ザカリーは頭を下げたままである。


「でも貴方はこうして私たちにきちんと交際の許可を求めにいらっしゃった。という事はそれ以上、ある程度の覚悟は出来ていると考えてよろしいのでしょうか?」


「はい、もちろんです。けれど今すぐというわけには。とりあえず就職したばかりですので、これから少しでも彼女に見合う人間になります。その間、時々ガブリエルさんに会いに来ることをお許し頂けますか?」


 コイツのいう事も一理ある。ところでクロエの言うある程度の覚悟というのはもしかして……ザカリーはそこまで真剣に姉のことを考えているというのだろうか……


「その潔さは認めます。良い表情をしているわ。遠征中に苦労して色々学んだのね。それにしても貴方の言う時々とはほぼ毎晩という意味なのでしょう?」


「いえ、えっと……はい……」


「まあ、おほほ。若いっていいですわね。私も昔を思い出しますわ……」


 やたら威厳のある笑みを浮かべた小姑クロエ様に僕達男性二人の顔は引きつり気味だった。


「フランソワ、他に何かおっしゃりたいことはありますか?」


「えっ、僕? そうだね……ザカリー、君の言葉に嘘偽りはないようだな。まあ今更とは思うけど、姉をどうかよろしく頼む」


 どうやらザカリーが早めに我が家を訪れたのは僕達に先に挨拶を済ませたかったかららしい。




***ひとこと***

今度はかしこまるザカリー少年、手加減なしのクロエ女史、語り手なのに出遅れ気味のフランソワ君という構図でありました。


その間にガブリエルは気合の入ったプロ侍女グレタの手によりおめかし中です。

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