第十六話 交際


 ザカリーが早めに訪れて来ていることは彼の魔力を感じて分かっていた姉だったが、母屋の居間で何が起こっていたかまでは知らなかった。


 彼女自身は戦々恐々としながら食事会に臨んでいたのだった。僕達の子供二人も加え、表面上は和やかに夕食会が始まり、終始差し障りのない世間話で我々は食事を楽しんだ。


 楽しんでいたのは姉以外で、姉だけはいつ誰が何を言い出すかビクビクしていたらしい。幼い子供達の前では流石に本題に入ることはないと分かっていたようだが、姉は食欲など湧くはずもなくほとんど食事に手を付けていなかった。


 子供達が食べ終わり、お休みなさいを言い、侍女に連れられ下がったので、僕達大人四人は居間に移動した。


 僕はザカリーに蒸留酒を勧めたが、彼は飲まなかった。普段は友人達と付き合いのために飲むことはあっても、姉の前でも一人でも飲まないらしい。食事中に勧められた葡萄酒を一杯飲んだだけである。


 僕は改めてザカリーを観察していた。しばらく見ないうちにずっと落ち着いて大人っぽくなっていた彼は、もう少年とは呼べない、いつの間にかすっかり青年だ。長椅子に姉と二人腰かけて並んでいても……もう親子でも姉弟でもなく、有閑マダムと年下のヒモ男にまでは見えるようになっていた。いや失礼、結構な姉さん女房と若い夫とでも言い直しておこう。


 その夜のザカリーの姉に対する態度は今までにないような穏やかで微笑ましいものだった。まだまだ若い遊びたい盛りのザカリーも背負うものの重さをやっと自覚したのか、顔つきまで変わってしまっていた。


 そして、ザカリーは隣に座っていた姉の手をおもむろにしっかりと握ると口を開いた。


「フランソワ、クロエ・テネーブル公爵夫妻、ガブリエル・テネーブル様との交際をお許し下さってありがとうございます。今まで彼女を待たせた分まで、誠実にお付き合いさせていただきます」


 僕達が居る前で手を握られた瞬間に姉は驚いてザカリーの方を向いていた。彼の言葉に二重に驚きを隠せなかったようだった。


「えっ?」


 僕達に既に交際を認められたことを報告されたのだから無理もない。


「お義姉さま、おめでとうございます。応援していますわ」


「まあね、いい大人なのだから、許すも認めるもないのだけど。そういうことだよ、姉上」


 姉は感動で涙ぐむかと思っていたが、そうではなかった。姉は何だか戸惑っていただけだった。


「ザック……」


 嬉しそうに姉の額に軽く口付けるザカリーにも、動揺を隠せない様子である。ザカリーはそれから僕達が二人を母屋の玄関先で見送るまでずっと姉の手を離さなかった。


 僕が扉を閉めた直後にザカリーが姉を抱きしめて口付けていたのが分かった。


「ガブ、良かった……愛しているよ」


 扉に耳をつけて聞き耳を立てていた僕は、クロエに肘でつつかれて、扉から引きはがされてしまった。二階へ上がりながら、趣味が悪いとしきりに怒られてしまった。




 その夜、美しい茶色の髪を梳かしながら風呂上りのクロエは言っていた。


「お義姉さまはザカリーさんの覚悟がまだ信じられないようですね」


 長椅子でくつろいでいた僕は鏡越しに彼女を見た。


「僕はさ、潔いザカリーの態度を見て姉上は感動するかと思ったよ」


「でも、お義姉さまだってそんな初心うぶじゃありませんわ。ザカリー少年にすごく遠慮しているのが分かります」


 クロエには敵わない。姉との付き合いは僕の方が余程長いのに、彼女の方が姉のことを理解している。


「そんなものかな? 良く分かるね」


「だって女同士ですし、私も切ない恋を経験したから……」


「クロエ、それって相手は僕……だよね?」


 僕の方がクロエ相手により切ない恋をしていたという自信があるが、恐る恐る聞いてみた。


「フランソワ、貴方以外に誰だとおっしゃるのですか、もう!」


 鏡の中のクロエが少し赤く頬を染めて僕から目を逸らす。


「ねえ、クロエこっち向いてよぉ」


 彼女は目を逸らしたまま髪を梳かし続けている。嬉しくなった僕は長椅子から立ち上がり、彼女を後ろから抱きしめた。


「ねぇったらぁ」


 そして僕達は付き合う前のことや、それから結婚までのこと、色々思い出話をした。そしてねやではお互い普段以上に燃えて情熱的に愛し合った。ムフフ……そんなことはどうでもいいって? あんたら夫婦の話じゃないだろう、とのお叱りもごもっともだが……


 まあとにかく僕達は一戦交えた後、気だるい体を寄り添わせながら、改めて今の幸せを噛みしめながら眠りに就いたのだった。だからそんなことは聞いていない、とおっしゃりたい気持ちも分かるが、僕だってたまには幸せボケ話をしたいのだー。




 ザカリーと姉の交際は順調だった。それでも、特に世間に二人の交際を発表したわけでもなかった。大抵ザカリーがうちの離れに姉を訪ねて来るか、姉がルソー家のザカリーのところに行くかだった。ルソーの養父母も、ザカリーの実の両親も、彼らの息子と姉のことを温かく見守ってくれていたようである。


 貴族社会の集まりにはまず二人揃って顔を出すことはなかった。元々姉は社交的な方ではなかったからそれで良かったのだった。反対にザカリーは男女関係なく友人も多かったのだが、もうあまり男だけの飲み会にも、友人達の集まりにも段々顔を出さなくなっていたようだった。


 変幻魔法でそれぞれ姿を変えて庶民の市に買い物に出掛けるのが二人の楽しみだったらしい。貴族社会のしがらみも魔術院も歳の差も何もかも関係なく、庶民の中に紛れると人目も気にせずとも良く、気軽だからだそうだ。


 色素の薄いザカリーもそうだが、姉の黒い髪に濃い色の瞳も目立つので姉の方も外出時は変幻していた。姉が年下の恋人に合わせて若作りしていたかどうかは謎だが、その可能性も大いにあり得る。


 定期的に実の父親レオンの元に顔を見せに行っていたザカリーは、姉と付き合いだしてからは二人でフォルジェ家を訪れていた。ザカリーはもちろん覚えていないが、フォルジェ家は姉にとって二人が出会った思い出の場所でもあるのだ。


 ザカリーの実兄も鍛冶職人となり、その頃には父親の片腕となっていた。レオン父さんもまだまだ現役の鍛冶職人として働いていた。




 そして月日は流れ、姉とザカリーが交際を始めて一年弱経った。周りの人間には、歳の差を越えた二人の仲の良さが微笑ましく映っていた。どちらかと言えばザカリーの方が姉にべったりだった。魔術師でなくても、白魔術や片割れの知識がなくても、寄り添う二人が強い絆で結ばれているのは明白だった。


 ザカリーはすっかり落ち着いて、若い同年代の女にはもう見向きもしなくなっていた。彼は魔術塔と騎士団の東宮を行き来しながら仕事にも真面目に励んでいる。


 姉の方は公私混同を避けるためにも、貴族学院魔術科で教諭として常勤するようになっており、学院の方に研究室も移していた。ザカリーは姉と一緒に出勤帰宅が出来なくなるのが不満だったらしい。


 職場の魔術院でも交際を公にしたわけではなかったが、すぐに皆の知るところとなった。魔術師達は二人がラブラブな魔力でも発信していたのを察知したのだろう。タンゲイ総裁を始め、ロラン様や他の魔術師達も二人を温かく見守り、姉の幸せを我がことのように喜んでくれていた。




***ひとこと***

義弟夫婦をなんとか攻略したザカリー少年、ガブリエルとの交際は順調のようです。最終形態であろう、ガブ一筋青年も段々とさまになってきましたよね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る