第十八話 黒雷


 一世一代の求婚に対して姉から微妙な返事をされたザカリーは大荒れに荒れた。今回ばかりは僕もその気持ちが良く分かる。ザカリーがそんなに感情を爆発させたのは実に久しぶりだった。


「ガブ、どうしてだよ! 俺は分からないよ。どうしてこのままでいいとか言うのさ! 俺じゃあ貴女の夫になるのにそんなに頼りない? 今更何で子供扱いするんだよ!」


「貴方のこと、子ども扱いしたことなんてないわよ。貴方は生まれた時から、いいえ生まれる前から私にとっては生涯ただ一人の男性なのですから」


「だったら結婚しようよ! 俺はガブじゃないと嫌だ!」


 そこでザカリーは姉をきつく抱きしめたかと思うと、いきなり彼女を担ぎ上げて丘をずんずんと下り始めた。


「ザック、何をするのよ! 下ろしてったら!」


「嫌だ、下ろさない。体に言い聞かせてやる!」




 その頃には屋敷に居た僕達の耳にもその騒ぎが聞こえてきていた。何故だか分からないが、プロポーズ大作戦が上手くいかず、言い争いに発展しているようだった。


「乱暴はやめて!」


「俺達どうせお互いが居ないと生きていけない体だろ!」


「ザック、お願いよ……」


 そのままねやで一戦交えて仲直り、というちょっとした痴話喧嘩の雰囲気には程遠かった。というのも、彼らの頭上にあの黒雲がもくもくと湧き上がっていたからである。


「ああ、だめだこりゃ……姉上が黒雲を出し始めると……それにしても久しぶりに見たなぁ」


「フランソワ、何そんな呑気なことを……ザカリーを止めないと!」


 クロエにそうハッパをかけられるが、ただの文官がどうやって暴走魔術師を止められるというのだ。


 姉の黒雲の脅威を知っている両親はオロオロし始めている。庭先に出ていた僕達だったが、怖がらせてはいけないので子供達は侍女に屋敷の中へ連れて行かせた。


 黒魔術師の黒雲と黒雷を止められる人間などまず居ない。魔術院総裁でも他の幹部でも無理だろう。ただ一人、止められるとしたら今それを湧き上がらせている原因であろうザカリー・ルソー白魔術師だけである。無駄を承知で叫んでみた。


「ザカリー、落ち着いて頭の上を見ろ! 姉を怒らせるな、黒雷が落ちるぞ!」


 僕の声が彼に届いたのか、ザカリーは空を見上げて、姉を抱えていない方の腕をその黒雲にかざした。なんだか白い光を出したかと思うと、おどろおどろしい黒雲はその光のなかに吸い込まれるようにして消滅した。


 ザカリーはそして姉を担いだまま離れに向かって歩き続けている。姉はザカリーの背中を叩きながら抵抗しており、再び黒雲が湧き出てきた。


「二人とも冷静になれ……ぼ、暴力はんたーい!」


「暴力ではなくて魔力ですけれども……私たちって無力ですわね」


 僕は黒焦げになることを覚悟してその二人に近付いた。


「ザカリー、とにかく姉を離せぇ!」


 そうしたら再びザカリーが腕を空に向けてかざし、僕は後ろに弾き飛ばされた。どうやら僕達の目には見えない魔法の防御壁を築いたようだった。


 盛大に尻餅をついた僕はクロエに助け起こされた。頭を打たなかったのは幸いだったが、かなり痛かった。


 とにかく、僕のことはどうでもいい。二人は未だに黒雲と白い光の応酬をしながら、それでもザカリーの方が筋力は勝っているから、姉は担がれたままで二人は離れに入っていったのである。


 荒々しく扉を閉める前にザカリーは僕達に向かって叫んだ。


「誰も邪魔すんなよ!」


 そして改めて腕を空にかざしていた。


「フランソワ、しっかりして下さい。それにしてもあの二人は何なのでしょう! 痴話喧嘩に魔法を濫用するなんて。魔術院の総裁さまや幹部の皆さまに早馬を送って通報しましょうか!」


「クロエ、とりあえず通報はやめておこうよ。大体、魔術院の魔術師全員一団となってかかってもあの二人を止めるのは無理だろうし」


「ですけれど……ただの喧嘩にしてはあまりにも……」


「確かにね。なし崩し的に強引に押し倒して仲直りって定番だけど、そう上手くいきそうにないような気がする」


「何ですか、そのなし崩し的にというのは? 性的同意なしの行為は犯罪と考えられるともちろんご存知ですよね、フランソワ。そもそも男性は……」


 ヤバい、クロエ・ジルベール女史のスイッチを入れてしまった。


「はい、重々承知しております、思わず口が滑っただけです、ごめんなさい。と、とにかく二人を何とかして止めないと……」


 こういう時にはすぐに謝って話題を戻すに限る。


「ザカリーがお義姉さまに危害を与えることはないでしょうけれども……」


「まあね、ザカリーは攻撃魔法は使えないからなぁ」


 クロエと僕は恐る恐る離れに近付いたが、見えない壁に阻まれて玄関の扉まで進めない。離れに入る前に空に腕をかざしていた時に魔法の防御壁を築いたのだろう。


 中からは何だか大きな音が響いている。爆発音だか落雷の音のような気もしないでもない。仲直りのエッチにしては……激しすぎるだろ。


 趣味が悪いと言われようが、離れの前に陣取っているのは弟として、テネーブル公爵家の当主としての責任からである。


 どのくらいたっただろうか。階段をドタドタと降りる音がして、ザカリーが一人で飛び出してきた。泣きそうな顔をして、僕達には見向きもしない。シャツもズボンも乱れているだけでなく、ところどころ破れて焦げているような……そして彼の見事な白銀の長髪が何だか短くなっている……黒雷が直撃して燃えたのだろうか……


 先程彼は『体に言い聞かせてやるー』なんて叫んでいたが、大魔術師相手だとそれも命懸けのようだ。何と言っても姉は王国一の攻撃魔法使いである。力ずくで押し倒しても、コトに及ぶ前に黒雷の直撃を受けるということは片割れのザカリーが一番良く分かっているのではないか。


 ザカリーはそのまま敷地の裏口の方へ駆けて行った。


「フランソワ、ザカリー坊やを追いかけて!」


「あ、うん、分かった」


「私はお義姉さまの様子を見てきます!」


「クロエ、気を付けて」


「ええ、貴方も」




 恐る恐る離れに入ったクロエはあまりの惨状を目にして、呆れかえっていた。特に姉の寝室は台風と火事が一度に訪れたような状態だったらしい。カーテン、シーツに布団など布類は破れ、家具や絨毯は姉が落とした雷により焦げてくすぶっていたそうだ。


 姉自身はというと、衣服は乱れ、まとめ髪もバラバラ、放心状態で長椅子に腰かけていた。クロエが遠慮がちに声を掛けるとやっと我に返ったという感じだった。


「あ、クロエさん……ごめんなさい、わ、私たちお騒がせしてしまって……」


 そう言って姉は真っ赤になって俯いてしまった。


「お義姉さま……」


 まあ、その、僕達も詳しいことは聞いていないのだ。逆上したザカリーは案の定、無理矢理行為に及んだのだろう。それに抵抗した姉は感情的になって魔力を暴走させてしまい、離れの寝室が半壊状態になったと推察された。


 最初は抵抗したものの、結局姉はザカリーを受け入れてしまったのではないかとクロエは後で言っていた。


 クロエはひざ掛けだか毛布だかを見つけて姉にかけ、結局その時は何も言わず、姉の背中をたださすってやっていた。しばらくして彼女が落ち着いた頃にグレタを呼び、着替えなどを手伝わせたのだった。




***ひとこと***

求婚を断られ、さらにこじらせているザカリー君でした。


そして久々に現れた黒雲に黒雷、事態は益々悪化です。

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