第十九話 弟夫婦


 さて、クロエが姉の様子を見に行っている間、結局僕は追いかけていたザカリーを見失ってしまった。先程の尻餅のお陰で腰も痛くなってきた。馬車で出直しルソー家に行ってみるも、彼はまだ帰宅していなかった。


 次に彼の生家フォルジェ家に向かってみた。こうなることは分かっていたので使用人用の馬車を出したのである。公爵家の馬車で庶民の住宅街にあるフォルジェ家に乗りつけるわけにはいかないからだ。


 案の定ザカリーは実家のフォルジェ家に転がり込んでいた。いつものことである。レオン父さんに事情も話さず、納屋に閉じこもっているらしい。


「これはこれはテネーブル様、お久しぶりです。またザカリーが何かやらかしたのでしょうか? 何も言わずにいきなり帰ってくる時は決まって問題を起こした時なのです。今日は特に衣服も破れてしまっていて……もしかして暴力沙汰でも起こしたとか?」


 暴力ではなくて魔力沙汰だが、当たらずとも遠からずだ。ザカリーの奴は養子に出ても何かある度に未だに実の父親に心配を掛けてばかりいる。


「まあ、ちょっとうちの姉と喧嘩してしまったみたいなのです。少し彼と話が出来ればと思って、突然お邪魔して申し訳ありません」


「とんでもないことです。あの馬鹿野郎はお嬢様相手に手を上げたのですか?」


 ここにも姉のことをいつまでもお嬢様と呼ぶ人間が居た。もうイタいからやめて欲しい。


「いえいえ、喧嘩と言っても……殴り合いの類ではなくてですね……大体うちの姉は王国一の攻撃魔法の使い手ですから、暴力を受けるといった、そっちの心配は要りません」


「なんにしても、公爵様にまでご迷惑をお掛けして、今ザックの奴を呼んで来ますんで」


「いえ、私の方から行ってみます」


 僕はフォルジェ家の納屋の前で大きく深呼吸をし、中に居るはずのザカリーに話し掛けた。


「ザカリー、フランソワだ。気持ちが落ち着いたならちょっと話さないか?」


「……嫌です」


「話し合いが嫌ならさ、この痛みだけでも何とかしてくれよ。さっきお前の魔法で跳ね返されて地面に尻餅をついた。痛くて歩くのも辛い。腰が使い物にならなくなったらどうしてくれるんだ?」


 こう腰が痛くては日常生活に差し障るし、ねやでクロエを思う存分よろこばせられなくなると大いに困る。


 流石に将来の義弟から傷害罪で訴えられたら結婚話もより遠のくだろうと思ったのか、彼は納屋の扉をそろそろと開けてくれた。


「狭くて座る場所もありませんが、どうぞ。家の中で親父と顔を合わせるのもちょっと……」


 だったらどうしてここまで家出してくるんだよ、と言いそうになったがこらえた。


「先ほどは動転してしまっていて申し訳ありませんでした」


 彼はそう言って僕の患部に手をかざした。そしてひんやりと気持ちいい感覚が僕の尻周りを覆い、怪我の痛みは全くなくなった。これが治癒魔法というものらしい。サンレオナール王国内で姉の片割れであるザカリーだけが唯一の使い手なのだ。


「これがお前の魔力か……大したもんだなぁ」


「こんな力を持っていても……何の意味もないのです……」


 ザカリーは泣きそうな顔になった。彼の顔はすすだらけ、それに銀髪も少し燃えてしまっているようだった。背中まであったのに肩辺りまでに短くなって毛先が縮れている。シャツもズボンもボロボロである。こんな姿で突然帰ってきた息子を出迎えたレオン父さんに同情する。


「確かにな、人の幸せっていうものは単純に能力や財力では測れないけれど、うちの姉だってそれは同じだよね」


「だからガブリエルさんと結婚してお互い幸せになろうって……彼女に受け入れてもらえないなら俺、生きていてもしょうがない……」


 彼はマジで泣きべそをかいている。先程より落ち着いているだけましか。


「求婚を断られた、のか?」


「いえ、何と言うか……ガブリエルさんは結婚しなくても今のままの関係でもいいじゃないかと」


 別れてもう会わない、ではなかったのである。


 姉が結婚に二の足を踏む気持ちも少しは分かる。姉は三十半ばまでずっと独身なのだ。ザカリーと結ばれて、ただそれだけで満足で、まだ若い彼を縛る気はないに違いない。ザカリーの幸せを一番に考えている姉は、まさかこんな騒ぎに発展するとは思ってもいなかったのだろう。


「じゃあ法的に守られなくても、世間に認められなくても、恋人同士でいいってことか……なるほど」


「なるほど、じゃありませんよ、テネーブル公爵。お互いもう離れては生きていけないのに、どうして結婚したら駄目なのですか?」


「まあね、男と女じゃ考え方も違うし、それは年代にもよるよな。姉には姉の思うところがあるのだろう」


「私が以前ガブリエルをお嫁さんにもらう!って彼女に宣言していた時は『まあザック、嬉しいわ。私、貴方以外の人には嫁ぎたくないもの』って優しく抱き締めてくれていたのに!」


「それっていつのことだよ! お前が初等科の頃までだろーが! それに姉は他の男に嫁ぐのではなくて、お前とは結婚という形を取らずに関係を続けようって言ったのだろう?」


「だったら結婚してもいいじゃないですか」


 これ以上恋愛相談をされても僕も困る。先程から堂々巡りだ。


「ザカリーしっかりしろよ、お前がそんなにいじけていたら姉はいつまでたっても結婚に踏み切ろうとは思わないぞ。もう少し大人になれ」


「……」


「僕だって姉が幸せな結婚をすることには大賛成だし、その相手はお前以外には居ないだろうとも思っているよ。姉の気が鎮まるまでとりあえず待ってそれから二人で冷静に話し合う事だな」


「ガブリエルさんの気が鎮まるまでって、いつまでですか? そんなに待てません」


「あのなザカリー、姉はもう二十年近く一人で待っているよ。いや、待っていたのはお前が初等科を卒業する二十代後半くらいまでかな。それ以降はもう、待つのも何もかも諦めて、ただお前の幸せだけを願っていたよね」


 ザカリーの奴はそこではっと息を飲んで何も言えなくなってしまっていた。僕の方も、もう彼にかけられる言葉はなかった。


 納屋を出てレオン父さんに挨拶をし、フォルジェ家を後にした。




 帰宅した僕を出迎えたクロエが姉の様子を教えてくれた。見るに見られない状態の離れから姉は母屋に連れて来られていた。彼女はグレタに風呂と着替えを手伝ってもらい、今は休んでいるとのことだった。


「お義姉さまはそっとしておいた方がいいかと思って、あまり話もしていないのです。フランソワ、ゆっくりさせてあげて下さい」


 その日の夕食に姉は下りてこず、僕の両親と子供達だけだった。子供達を不安がらせないためにも大人四人はわざと明るく振舞っていた。




 離れの修復と掃除をしている数日間、止む無く姉は母屋で生活していた。仕事も魔術院には行かず、学院だけに通っていたようである。その間、流石にザカリーの訪問はなかった。


「暫く冷却期間を設けるのが得策です。ザカリー坊やだってこのくらいの間は我慢できるでしょう」


 彼が来たとしても手強い小姑のクロエに塩をかれて追い帰されてしまっていただろう。それになんだか最近は庭に鳥やらリスやら、小動物がやたら多くなっている。彼らもザカリーから姉を守ろうとして見張っているに違いない。


 ところで、僕が陰で小姑呼ばわりしていると知ったクロエは怒るどころか、それを誉め言葉と受け取ったようだった。


「お義姉さまと本当に結婚したいなら、お互い納得の上で家族にも認められてからですわ。相当の覚悟が必要です。また力ずくでどうこうしようなんて、特にこの小姑クロエさまが容赦しません」


 彼女はそう息巻いている。おお怖い怖い。




***ひとこと***

ザカリーがやらかしたことをレオン父さんが知ったとしたら絶対に怒鳴りつけるに違いありません。

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