第十一話 帰還


 ザカリーのバカも最初の魔法石を無くしてから初めて王都の姉のことに思い立ったらしい。ロラン様が姉の健康状態に言及しなくてもそれは分かっていたようだった。


 ザカリーは王都にとんぼ返りするというロラン様に姉へのお礼と体調を気遣う文を書いてたくした。姉はというとロラン様からザカリーが少し元気になった様子を聞いて安心したようだった。彼からの文が届くとは思っていなかった姉は単純に驚いていた。


「ザックは魔法石を無くして本当に体の調子が悪かったのね。私に礼状を書くくらいだから」


 ザカリーが遠征してからというもの、姉は幾度となく彼に文を書いては破り捨てていた。魔法石を届ける時に文も書いたが、結局は石だけをロラン様に渡したのだった。


「ガブリエルがあの少年の事を心配する様子は見ていられないよ。アイツのこと、一発くらいぶん殴ってくれば良かったかな」


 ロラン様はそう冗談めかして言っていたが、本当にボコボコに殴るか、攻撃魔法で黒焦げにして欲しかったというのが僕や読者の皆様の要望だ。ロラン様は紳士すぎる。


 ザカリーは自分以上に姉も体調を崩しているだろうと思い始めると居てもたっても居られなかった。しかし、研修期間はあと二週間残っている。途中で投げ出すような無責任なことは出来ないし、休みも取れない。最後まで終えてから王都に帰るしかなかった。


 ロラン様が届けてくれた新しい魔法石は握りしめて胸の前に持って行っても、姉の魔力は感じられるが彼女の声も姿も見えることはもうなかった。ロラン様によると改良されたとのことだったが、実際それが改善点だったのだ。


 姉は自分の幻がザカリーを縛り付けていることを気に病んでおり、何とかして幻影が伴わない、魔力だけを込めた石に仕上げていた。その石のお陰でザカリーは残り二週間の研修期間を無事乗り越えられたのだった。


 魔法石を捨てた女とはそのまま自然消滅したようだった。彼女が投げた石が馬車で遠く運ばれて行かず、そこの道端に転がっていたならばザカリーもすぐにそれを見つけられただろう。それにその女にも幻滅しなかったかもしれない。


 彼女が嫉妬する気持ちも良く分かる。とにかく悪いのはザカリーだ。魔法石が何の痕跡もなく消えてしまい、体調を崩してしまったザカリーはもう彼女に会う気力も精力も失せたらしい。つくづく勝手な男だ。ザカリー、お前は女の敵だ。


 研修が終わるまで毎夜のようにザカリーは姉の夢を見た。


 まだ彼が生まれる前に、母親のポーレットのお腹にそっとさわりながら囁く姉。


『愛しい片割れ。早く生まれておいで』


 彼が生まれる時にお産に立ち会って母ポーレットの手を握りしめ励ましていた姉。


 実の両親が名付けたザカリーというその名前を初めてさも愛おしそうに呼んでくれた姉。


 ザカリーが初めて歩いた時、貴族初等科に通い始めた時、いつも彼の側で成長を見守っていた姉。


 ザカリーが貴族学院に上がって反抗期が訪れてからの、彼が放った数々の酷い言葉に何も言い返さない姉。




 そしてザカリーは毎朝泣きながら目覚めていた。涙で枕がいつも濡れていた。


『ごめん、ガブ……』


 目覚める度にザカリーはつぶやいていた。




 研修生たちが王都に帰る日がやって来た。ザカリーはこの日が来ることを他の研修生の誰よりも待ちわびていた。


 西端の街ペンクールを朝発ち、王都に着くのは夕方になる。学院の他の研修生と共に貸し切り乗合馬車での旅だった。


 季節は初夏で、乗合馬車が王都に着いた時、まだ太陽は沈んでいなかった。ザカリーは辻馬車でルソー家に一旦荷物を置きに帰り、馬車を待たせたまま養父母に急いで挨拶した。


「父上母上申し訳ありません。帰ってきたばかりですが、どうしても今すぐに行かないといけなくて……」


「分かっているよ。しかし、ポーレットにだけは顔を見せてからにしなさい。フォルジェ家へは明日にでも行けばいいだろう」


「はい、ありがとうございます」


 彼らは何もかも分かっているようだった。ザカリーは台所で働いている実の母親に二か月ぶりに元気な姿を見せた後、待たせていた辻馬車に飛び乗る。


 居間からザカリーの乗った辻馬車が門を出ていくのをルソー夫妻は眺めていた。


「最近ガブリエル様は体調が悪いにもかかわらず仕事ばかりしている。ザカリーが帰ってきて彼女が以前のように元気になればいいけど……今日彼女がぽつりと寂しそうにこぼしていたな『ルソーのおじさま、今晩ザックが帰ってくるのですね』ってね」


「私たちやフォルジェ家の皆に負けないくらい、いえそれ以上にザックに会いたいのはガブリエル様でしょうに……あの子は本当に彼女の所に向かったのかしら? これで他の女の所へ行っていたりしたらルソー家の敷居をまたぐにはよほどの覚悟が必要よ!」


「ああ、間違いないよ。あの子も二か月間の研修の間に随分と成長したみたいだ。顔つきが変わっている」


 ルソーの養父の言う通り、ザカリーはテネーブル家に向かって来ていたのだった。


 その頃姉は夕食を済ませたばかりで、寝るには少し早すぎる時間だったがもう既に寝衣に着替えていた。侍女のグレタには引き取ってよい、と伝えようとしていた。夕方から王都に戻ってきたザカリーの魔力を感じていた姉だった。


「ああ、彼が王都に帰ってきただけで少し気分が良くなったわ。一晩寝たら明日には私もっと元気になっていることでしょうね」


「お休みなさいませ、お嬢さま」


 グレタ他、公爵家の使用人にはもうお嬢様なんて呼ばれる歳じゃないのだから、ただガブリエルと呼んでくれと姉は頼んでいるだが一向に改められることがなかった。


 このまま十年後も二十年後もお嬢様だなんて恥ずかしいわ、と姉が思っていたその時であった。ザカリーがテネーブル家に近付いてくるのを姉は感じた。


「まあ、どうしたのでしょう、ザックは。改良した魔法石じゃ元気になれなかったのかしら……もしここに寄るのだったら着替えなくては……」


 姉は思わず声にだしていた。一人でいることの多い彼女は時々考えが独り言となってでてしまうのだった。


「お嬢さま、どうかなさいましたか?」


「ええ、グレタ。普段着のドレスでいいから着替えを手伝ってくれる? 何となく……その、お客さまがみえるような気がするのよ」


 グレタの手を煩わすのは気が引けたが、最近は頭痛のせいで着替えるのにも一苦労する姉だった。それでもザカリーがやってくるなら、まだ早い時間だし寝衣姿で彼の前に出たくなかった。


 姉も普通に恋する乙女なのだ。


「お嬢さま、この紺色のドレスでよろしいですか?」


「ええ。ありがとう」


 姉はグレタの手を借り、ゆっくりと体を動かしてドレスを着た。


「御髪も少しまとめましょう。お化粧はどうされますか?」


「そうね。髪だけ簡単にお願い出来る?」


 そうこうしているうちにもザカリーが近付いてくるのが分かった。もし彼が自分に会いに来るのなら、出来ればこんな顔色の悪い状態では会いたくない姉である。


 彼の同年代の若い娘達に比べると何ともみすぼらしいが、姉も出来る範囲内で美しく見えるようにしたかった。しかし、化粧までしている時間はないようだった。




***ひとこと***

おおっザカリーの心境に大いなる変化が?


プロ侍女グレタ、ガブリエルの支度を早く!

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