第七話 反抗期

― 王国歴1124年-1126年


― サンレオナール王都




 姉はザカリーがそのうち同年代と恋をするだろうと覚悟していたようだった。


 ザカリーは貴族学院で魔術科に所属していたが、魔法の実技の授業は他の生徒と同じように受けられなかった。彼の白魔術は特別で、誰にも教えられないし、彼は他の生徒が使う魔法は全然できなかったからだ。


 ザカリーは初等科で彼の独特の見た目のせいでいじめられたこともあった。生まれつきの白い肌のせいである。その頃からなよなよしそうな外見を気にして、騎士になりたいと思うようになったという。


 ということでザカリーは騎士科の生徒たちと一緒に剣術も学んでいた。体を動かすことが好きだったようだ。


 貴族社会や貴族学院の中では彼の存在は特異なものとして受け止められているが、それでも白魔術師や片割れの知識は周りに少なからずはある。だから貴族に囲まれて生活している普段は彼も本来の銀髪で肌の色も薄い姿だった。


 しかし、街中に出る時彼は変幻魔法で髪も瞳も茶色に、肌の色も目立たないように変えていたのだった。その方が庶民の中では気楽だったらしい。


 そして学院の四回生、十七になったザカリーに初めて彼女が出来た。何でも彼が友人達と良く行く飲み屋兼食堂の娘らしい。その平民の娘はもちろんザカリーの本来の姿も何も知らずに付き合い始めた。これは人相詐称、詐欺じゃないのかと僕は思わずにはいられない。


 それにザカリー・ルソー、たった今お前女性読者のファンが半減したぞ。




 非常勤講師として時々貴族学院に行っていた姉は、ザカリーが取っている科目は教えないよう、当たらないよう、細心の注意を払っていた。二人は今では学院内で顔を合わせても挨拶くらいしかしない仲だった。


 姉は自分がザカリーを見る目が恋する女のそれなので、貴族学院で公私混同はしたくないから、とクロエにポツリと漏らしていたことがあった。


 姉は悲しそうな顔をすることはなくなったが、嬉しそうな顔をすることもなくなっていた。家族で食事をしていて、笑っていても全然楽しそうにも幸せそうにも見えなかった。それでも貴族学院でザカリーと物理的な距離が近づいた日には普段より少し気分も良いらしく、晴れ晴れとした表情をしていた。


「ザックが日に日に逞しくなっていくから……あの体の弱かった赤ん坊のザックが。月日が経つのは早いわね、本当に感慨深いわ」


 そう言いながらも最近の姉の眼には感情は全くこもっていなかった。年月というのは姉にとって残酷だった。娘として女として一番輝いていた時期を育児だけに費やした姉はもちろんイナイ歴は年齢と同じで、独り身である。


 そしてその全身全霊をかけて慈しみ育てた、愛するショタ男は同年代の女とニャンニャンやっているのだ。


 弟としては情けないやらもどかしいやら、しかしザカリーの野郎には何を言っていいか分からなかった。クロエも僕も大人が口出しするとザカリーは余計かたくなになってしまうという事で意見は一致していた。




 そんな時、事件は起こった。ある朝、出勤前の姉の所へザカリーが怒鳴り込んで来たのである。


 離れの小さな居間にザカリーと姉が二人立ったままで話し合っていると言うよりはザカリーが姉に掴みかからんほどの勢いで何かをまくし立てていた。クロエと僕が丁度離れへ姉を迎えに行ったところだった。三人共勤務先が王宮なので一緒に出勤しているのだ。


 侍女のグレタも控えていたが、彼女だって何もできるはずはなかった。


「だから怪しい妖術かなんかで俺を操ろうとしているだろ!」


「妖術って何のこと?」


 姉は、ザカリーもだが、王都内くらいの距離ならお互いがどこに居るか、くらいの気配が魔力で感じ取れるらしい。姉はその朝ザカリーが向かって来ていることを感じていた。しかし彼の気は怒りに満ちていて、彼が姉に会いたくて来ているのではないということも同時に分かっていた。


 ザカリーに詰め寄られている姉は無表情だった。眼には輝きが全くない。


「貴女の幻が俺の周りをうろつくって言ってんだよ!」


「ザック、神に誓ってそんな魔術はかけていないわ。でも証明のしようがないわね」


「貴女以外の誰がそんなもの俺に見せて得するんだよ!」


「得するもなにも、本当に魔術なんて使っていないのですもの。これからタンゲイ総裁の所へ行きましょうか? 彼ならきっと私が昨夜何の魔力も出していなかったと断言してくれるかもしれないし、貴方が見た幻影の理由もお分かりかもしれないわよ」


「そんなことしても意味ないよ! 駄目になったもんはダメになった、貴女が現れたお陰で! 彼女とは別れた! 思惑通りで良かったな!」


 ザカリーは捨て台詞を吐くとそのままフイっと去って行った。


 この離れの庭に姉が植えた草花とそこを訪れる小動物たちは皆姉のことを慕っていて、ザカリーに何だかんだと色々うるさく物申していたらしい。これはザカリーからずっと後になって聞いたことだ。


 この朝ザカリーは帰る時、動植物たちの大ブーイングの嵐に見舞われていた。


『ザカリーさん、何事かと思ったら……ガブリエルさんを傷つけるだけ傷つけたのね、チュンチュン!』


『許さないわよ、最低男! 私たちは皆ガブリエルさんの味方なのだから!』


『今度ここに来る時は私達を皆倒してからでないと敷居をまたがせないわ!』


『そうだそうだ、俺達のしかばねを越えてゆくんだな!』


 白魔術というものは便利なのだか面倒なのだか……少々疑問に思えてきた。




 ザカリーの後ろ姿を見送った姉はポツリとつぶやいていた。


「今朝は久しぶりにこんなにザックと近付けたから……一日快適に調子よく過ごせそうだわ……」


 僕とクロエは何事かと問いかけたが、姉は何でもないからとその後は無言で一人、瞬間移動で出勤してしまった。


 僕達は侍女のグレタから見聞きしたことを全て吐かせた。


 ザカリーはどうやら昨夜彼女といい雰囲気になり、一線を越えた。しかし、そこまでは良かったが、彼女の姿が途中姉に変わり、というか彼にそう見えていただけなのだろうが、それ以上続けられなかったらしい。


 ザカリーは姉がわざと自分の幻を見させていたのだと憤慨していたのだ。詳しいことは彼も言わなかったが、コトの最中にいきなり相手が姉の姿になったから驚いて飛びのいて姉の名前を呼んだのかどうだかそれは不明だ。


 ザカリーの彼女というか元カノにしてみれば、彼と初めての行為の最中、相手の男が他の女の姿を自分に見たのである。そこでザカリーがしぼんでしまったのか、彼女が拒否したのか、それ以上出来なくなってしまった。そりゃすぐ別れるだろう。


 まあザカリーみたいな面倒な事情のある奴とは別れて正解だ。ザカリーの初カノも気の毒にとしか言いようがないが、君はまだ若い、新しい恋はいくらでも出来る。


 そしてザカリー・ルソー、これでお前は女性読者だけでなく男性読者のファンも半減したぞ。




 僕達は姉のことが心配だった。かなり傷ついているようだ。ザカリーだってわざわざ姉に文句を言いに来なくても、と思わずにはいられない。


「いくらなんでもお義姉さまが幻になってまで、そんなことまでしてザカリーの気を引こうとするわけないじゃない! 彼女の幻はザカリー坊やの潜在意識が見せたに違いありません!」


 クロエも珍しく感情を露わにして息巻いていた。彼女にかかれば十七の青年も坊や呼ばわりである。


「お義姉さまの顔を見たでしょう? どんなお気持ちでいることやら……フランソワ、今晩は彼女をこの離れに引きこもらせたら駄目よ。一緒に夕食をとるようにしないと。少しでも彼女の気が紛れるように!」


 クロエはそのまま厨房へ急ぎ、姉の好きな焼き菓子を夕食後のデザートとして準備するように言いつけていた。




***ひとこと***

ザカリーの株が、好感度がぁ……急降下であります。こんな奴でも見放さずにもうしばらくお付き合い下さい……

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