23 ケーキ
エレベーターから降り、観光課の入り口に入ると、吉岡さんがケーキの箱を持って走ってきた。
「これ、最近村元さんにまいってるだろうからって臨時職員みんなに…。」
吉岡さんが目線を向けた先には「おじさん」男がいた。吉岡さんが箱を開け、中身を見せてくれると、中には5つのケーキが入っていた。私と吉岡さん、他の課の3人の臨時職員の分だ。村元さんのものはない。
「林さん、今食べますか?」
「いえ、帰って食べようかな。大丈夫です。」
私はそういうと、「おじさん」男の方に歩み寄った。
「ケーキいただいたみたいで…ありがとうございます。」
「いいよ、いいよ。臨時さんみんな村元さんのお世話で大変だね。特に林さんは村元さんで疲れてるでしょ。ケーキでも食べて頑張って!」
「ありがとうございます。」
吉岡さんから自分の分のケーキの入った袋を受け取って冷蔵庫に入れた。冷蔵庫の扉の影で深呼吸する。
「おじさん」男の中には私たちへの優しさと村元さんへの敵意が共存している。「おじさん」男はいい人でも、悪い人でもない。逆に言えばいい人でも、悪い人でもあるのかもしれないが、私にはどちらかなんて判断できない。けれど、ケーキをもらった私の心にはひゅーっと穴が開いていた。
席に戻り、ケーキを食べている吉岡さんに話しかける。
「あの、村元さんに頼む仕事を数種類に減らしてみませんか?」
口いっぱいにケーキを入れている吉岡さんは眉毛を八の字にして、どういうこと?と聞いているようだ。
「きっと、村元さんにはいつどんな仕事が来るかわからない状態よりも、毎日自分の仕事が決まっている方がいいと思うんです。その方が締め切りさえ言っておけば自分のペースで出来るし、私たちも毎回新しい仕事を教えるよりもいいと思うんです。」
ケーキを飲み込んだらしい吉岡さんがうなずく。
「なるほど。たしかにそれはいいですね。そうしてみましょう。」
吉岡さんには他の職員などにある、村元さんの人間そのものへの否定の感情がないように思える。村元さんがした仕事でのミスなどの愚痴などは言っているが、人間は否定しない。当たり前のことが当たり前に思える吉岡さんが好きだ。
「あの、林さんがこの仕事やってて思う改善点ってありますか?」
「え?」突然の質問に驚いた。
「私、林さんと同じく3月にここ辞めるじゃないですか。だから、その時に業務の改善をお願いしようと思ってるんです。正直、言い逃げかもしれないですけど、門田さんも戻ってくるかもしれないし、次働く人が困ることないようにって。」
吉岡さんが指さすパソコンの先を覗いてみると、エクセルで表が作られていた。
ポットのお湯入れ、3分(始業前毎日)、始業後にお湯を入れるとアナウンスしてほしい(文句を言う人がいるので)、新聞のスクラップ、1時間30分以上毎日、スクラップの量が多いので記事を厳選したり、庁内で外注するなど、業務内容、所要時間と頻度、改善方法が書かれていた。
不満や疑問があるところは改善する、そんな当たり前のことに気づかなかった。
私は社会というものはどこかで変えられないと思っているところがある。何か得体のしれない大きなものが上で操っているような、そんな感覚がある。いろんなところで働いても疑問や不満を持ったところで、結局諦めている。
けれど、本当は巨大な何かなんていない、むしろ社会なんてないのかもしれない。本当は人間ひとりひとりが集まっているだけなのだから、変えられることはたくさんあるのだ。
吉岡さんをかっこいいと思う。門田さんにも幾度となく持った感情だが、私はこの人に出会っただけでもここで働いてよかったと思った。
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