7 昼休み

 午前はあて名を書いたり、門田さんに頼まれて別の送り先が印刷されたシールを封筒に張るなどで終わった。


 12時ちょうどにチャイムが鳴ると、あと3枚ほどで門田さんに頼まれた分が終わろうとしていた。私はこれだけ終わらせようかとシールを台紙からはがすところだったのだが、

「休憩!休憩!林さん、もうチャイムなったよー。そんなのは横に置いておいて昼ご飯食べよ!」と門田さんに言われ、ありがたくシールの台紙を横に置いた。


 これまでの職場では休憩開始ぴったりに休憩を取ると恥といった雰囲気のところが多く、わざと仕事を伸ばして休憩開始5分後くらいに休憩に行っていた。


 持ってきたお弁当を広げていると、門田さんが購買で買ったらしいやきそばを食べながら、林さんは何歳?と聞いてきた。

 23歳です。と答えると、

「若いねー!」というお決まりのセリフが返ってきた。


 こういう時どう答えるのが正解なのだろう。門田さんこそお若いじゃないですか、はお世辞感が強く逆に年を取った人にしか使えない。そんなことないですよー、というのもいまいちだ。人間の中では23歳は事実若いし、そもそもあまり抑揚のない喋り方の私はそのセリフをあまりうまく言えないだろう。


 瞬時に言語の引き出しを開けたりしめたりしてみたが、次の瞬間には「いえいえ、ありがとうございます。」といった無難な言葉でその場を乗り切っていた。


 門田さんは続けて、「事務仕事は初めてなんでしょ、大丈夫?疲れたでしょう。」と声をかけてくれた。とても優しくてありがたかったが、


 私はその気持ちを表す方法を「大丈夫です。ありがとうございます。」という定型文でしか持ち合わせておらずもどかしかった。


 私には人間のコミュニケーションが分からない。こういってしまうと大げさかもしれないが、素直に自分の気持ちを言葉に出すことができない。相手に嫌われないにはどうしたらよいのだろうか、おかしな人と思われないだろうか、ということばかりが私を占めているのだ。心から出た言葉はその自意識に添削し修正され口から出るころには、全く違うものになっている。


 小さなころはそうではなかった。けれど、小学校高学年で入っていた女子の集団の仲間外れにあい、私が以前言った言葉や取った行動はすべて笑いの種にされた。昔に言った悪口も広まった。それから私はどんな時でもぼろを出さないように生きてきた。


 もしこの言葉を未来で蒸し返されたとしても大丈夫なように、と丁寧に添削された言葉は、その危険性はなかったものの明らかに目の前の相手を退屈させるものだった。

 

 つまらなそうな相手を見るたびに、普通の会話はこうではないんだと学習し、他の子の会話やドラマを見て「普通」を勉強した。


 中学2年生になるころには脳内の添削により「普通」の文章を作ることがうまくなった。相手の言ってほしいことや相手の喜ぶことが分かるようになった。作文やスピーチではいつも先生に褒められたし、クラスでもみんなの人気者的地位を獲得した。副生徒会長も務め、充実した学校生活を送った。


 しかし、私をひやりとさせるものはいつも側にあった。部活の更衣室や教室の角、移動教室の途中などでふと自分に向けられる向けられる言葉。


 「あいつ、むかつくよね。吉はどう思う?」


 怖かった。どんなに仲のいい子でも未来には敵になっているかもしれない。その時、私が今発する言葉はどんな切り取られ方をするんだろう。


「そうな感じなんだね。わたしあんまり知らなかったな。」


 私はそう言ってごまかすしかなかった。好きも嫌いも何も自分の気持ちの乗らない言葉。安全な言葉。それだけを発することが自分の身を守ることだと思っていた。


 そんな私でも中高大学と交友関係を積んでいくうちに友人への恐怖は少しずつ薄くなっていった。なんでも話せる友達も増えた。


 しかしなぜだか今でも一部の人や年上の人全般にはその感覚が残っており、取り繕わずに話すことができない。


 大学の時に働いていた食堂のおじさんも、他のバイトに比べて全く話しかけない私をいつもつまらなさそうに見ていた。厨房で、全然しゃべらん、と他のスタッフに笑いながら話していたのも聞いたことがある。

 

 喫茶チェーンのバイトもわざわざ忙しい時間に入っていたのは、暇な時間ができると話をしなければいけないからだ。パートのおばさんが気を使って話しかけてくれても一辺倒な受け答えしかできない。会話も続けることができない。そんなことが3回も続けばもう話しかけられなくなる。


 シフトを見た人は私と一緒に入っているとはずれだと思うのではないだろうか、そう思うと忙しくても1人で働く方が楽だった。


 しかし、こんなことではいけないと毎回人間関係に行き詰まる度に職を変え、心機一転頑張るのだが、数日は明るいおしゃべりな人を演じきれても数日で化けの川がはがれ逆戻りする。


 今回の職場でも頑張ろうと思っていたのに、すでにこんな定型文しか返せない。また同じかもしれない。


 

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