21 怒ること

「村元さん、今何か頼まれていることはありますか?」


「いや、ないですけど…。」

 最近の村元さんは誰かに話しかけられるたび、びくびくしている。


「それじゃあ、新聞のスクラップをお願いしたいのですが。」

 私は新聞と一緒にあるメモを取り出す。


「まず、ここの①に書いてあるようにスクラップを切り取ります。それでは一枚やってみてください。」


 メモには私なりに、作業を順序だてて書いてみた。説明したあとにはこのメモを村元さんに挙げるつもりだ。


「…それでは④に書いてあるように、スクラップした用紙に日付を書いてみましょう。…そうです!それでは5つマークしてある記事があるので、同じ作業を、お昼までに頼めますか?」


 はい、という村元さんに、ではわからないことがあれば何でも言ってくださいといい席に戻る。


 順序立てて、明確に指示を出すこと、できていただろうか。村元さんに頼む仕事はあの内容でよかっただろうか。振り返ろうと思ったが、私は私で仕事が溜まっている。ひとまず自分の仕事をしなければ。


「林さん、村元さんまたですよ。」隣から声がする。

 吉岡さんが指さす先を見ると、村元さんの席がもぬけの殻になっていた。


 最近、村元さんは逃げ出すようにいつのまにかいなくなるようになっていた。一度いなくなると2,30分は戻ってこず、それが1日に何度もあるのでみんなからはさぼりだとひんしゅくを買っていた。


 ただ、村元さんがいるときは、じゃまとかうるさいとか、理不尽に怒り、村元さんにとって居心地の悪い職場にしているくせに、いなくなったらさぼりだというその態度には正直嫌気が差す。村元さんが自分を保てる手段がそれならば、それでよいではないか。村元さんは何時までにやってくださいと言えば確実にそれを守ってくれるので、その範囲内ではいくら休憩してもらっても仕事を頼んでいる側としては構わない。


 みんな村元さんとコミュニケーションをとるのが嫌で、臨時職員に頼むべき仕事は全部私か吉岡さんに回ってきている。つまり、私か吉岡さんが頼まなければ村元さんに仕事はないわけで、さぼりだなんだと言っている人たちは村元さんに仕事を頼んでいるわけではない。村元さんを採用した課長もチーフも近藤さんも村元さんにはほとんど関わらなくなっていた。もしも、村元さんの勤務態度に何か言う権利があるのならば、村元さんに仕事を振り、仕事を教えている私と吉岡さんだけだ。


「あ、やばい。急がなきゃ!」


 地下の倉庫に用事があるのを忘れていた。急がなければ。


 走り出す私に「おばさん」男が「林さんも大変だねえ。」と声をかけたが無視した。


 1階で台車を借りて、エレベーターで地下に降りる。観光部で新しく2階に作業部屋を借りることになったのだ。廊下ですることが多かった発送作業や部屋が取れなかった時のミーティングなどをそこでするそうだ。そのため、地下に置いてあるパンフレットなどの一部を2階に持って上がる。


 3月の始めだというのに汗だくになりながら台車に段ボールを積む。エレベーターで2階まで上がり、作業部屋のドアを開けると、驚いた目が一斉にこちらをみた。


「なんだ。林さんか。…それでさ、息子がさあ。」「わかります、うちの嫁もね…」


 なんだ、この人たちは。


 チーフと他に3人の職員が缶コーヒーを片手に談笑していた。今はお昼休みなどではない。10時半である。今まで抑えてきた怒りが膨れ上がる。


 怒りに任せては、だめだ。いつか郷の言っていた言葉を思い出す。


「人は怒るとき、怒りたくて怒ってるんだ。」


「どういうこと?」


「相手に何かを伝えたいなら、怒りという手段じゃない方が適切だろう。冷静に内容を伝えた方が相手も納得できる。けど、それなのにわざわざ怒るっていうのは、相手を屈服させたいとか、自分が優越感を感じる手段として使ってるからなんだよ。」


「でも、怒るっていうのは感情だから仕方ないじゃん。」


「だったら、人類全員みんな人殺しになってるよ。本当は感情、理性なんて区切りはないんじゃないかな。」


…だめだ。今この人たちにキレてもきっと何も変わらない。


 私はさっさと荷物を置き、観光部に戻った。


 

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