村元さん

18 村元さん

「おはようございます!」


 日曜日によく寝たおかげで頭はすっきり冴えわたっている。郷のくれた言葉は私が自分自身に自信を持つための勇気をくれた。


 デスクにカバンを下ろすと、きれいになった隣の机が目に入りふと寂しくなった。金曜日、「立つ鳥後を濁さず...」といいながら門田さんが熱心に磨いていたのだ。


 これまで3人でやっていた仕事を、今日からは私と吉岡さんだけでやらなければいけない。気合をいれなければ。


 まずはポットのお湯入れから、とポットを手に出入り口へ向かうと見たことのないおじさんがキョロキョロしながら立っていた。朝礼前に外部の人が訪ねてくるなんて聞いたことがないがどうしたのだろう。


「おはようございます…。何か御用でしょうか?」


「あの、ここは観光企画課でよろしいでしょうか?」

 男性は恰幅のいいお腹を揺らしながら私に2,3歩近づいた。


「はい。そうですけど…。」


「あの、僕今日から臨時職員として働かせていただきます村元と申します。」


 臨時職員?このおじさんが?スーツに白髪、恰幅のいい体型。どうみても重役だ。


 そこに出勤してきた近藤さんが通りかかる。

「あ、村元さん!今日からですね。お願いします。林さん、お伝えするの遅くなってすみません。こちら門田さんの後任として働いてもらう村元さんです。」


 全く聞いてない。そのくらい共有しておいてくれよ、と腹が立ったが今言っても仕方がない。


 近藤さんが「村元さんのデスクはあちらです。」と私の横のデスクを指した。


 村本さんはぺこりと頭を下げ、デスクに向かい、今まで門田さんが座っていたところにドシリと座った。

 

 観光課の華、といっても過言ではなかった門田さんが座っていた机におじさんが座っている。その光景はやはりだれの目にも異様に映るらしく、他の課のひとでさえ、そこを通るときに2度見していた。


「林さん、おはようございます!すみません、今日も遅くなってしまって!今日から2人で頑張りましょうね・・・ってあれ?」


 出勤してきた吉岡さんの視線が私からその後ろに移るのが分かる。


「門田さんの後任の村元さんです。」


「えっ、臨時職員ってことですよね?」


 私が無言でうん、とうなずき、今度は後ろを向き村元さんに吉岡さんを紹介する。お互いの挨拶が終わると、朝礼のチャイムがなったので吉岡さんは慌てて自分のデスクに走って行った。


 「…月曜日の朝礼です。」だれも聞いていない。みんなこちらをちらちらとみている。きっと臨時職員の席にいる重役が誰か気になって仕方がないのだ。


 満を持して課長が口を開く。

「今日から臨時職員として働いていただく村元さんです。一言挨拶をお願いします。」


 村元さんはどしんどしんと前へ進み、

「村元と申します。今日から1カ月余りの短い期間ですがよろしくお願いします。」

というとすぐに自席に帰っていた。


 タイミングをなくされた拍手は各所でパラっと鳴り、止んだ。


 その後、チーフたちから連絡があったが、正直なにも頭に入らなかった。今日から門田さんがいない、吉岡さんのデスクは遠い。きっと私は村元さんの指導係なのだろう、自分の仕事さえまだ覚えていないのに、できるか?


「「「「お願いしまーす」」」」


 その声で我に返る。・・・大丈夫だ。できなかったら周りに頼ればいい。私は”受け入れられる”のだから。まずは自分にできることを。


「村元さん、すみません。私名前言ってなかったですね。観光企画課の臨時職員として働いています、林と言います。お願いします。」


 村元さんがペコリとお辞儀を返す。その顔にはいい人そうな笑顔が浮かぶ。そうだ、村元さんだって頑張ろうと思って臨時職員に応募して出勤してきたんだ。力を合わせて頑張ろう。



「村元さん、出勤の仕方を教えますね。この棚に出勤簿が入っているので、自分の印鑑を押してください。」


「あ、印鑑いるんですか。まいったな。持ってきてないです。」


「そうなんですね。シャチハタでも大丈夫なので明日持ってきて、今日の分も押してもらえば大丈夫ですよ。」


「いや、印鑑忘れたんですよ。」


「そ、うですよね。だから、あの明日持ってきてもらって、今日の分も押してもらえば大丈夫ですよ」


「それで、今から何をすればいいんですか?」


 なんだか話がかみ合わない気がするが、まあ初日だから緊張してるんだろうと気を取り直す。



「じゃあ、コピー機の用紙の補充をしましょうか。」


 今日は朝礼前バタバタしていて補充できなかったから急いで補充しなければいけない。


「まず、コピー機のここを開きます。」


「この用紙はどこに置いてあるんですか?」


「・・・用紙ですか?ああ、後から案内しますね。それでここを開いて入れます。」


「で、この用紙はどこにあるんですか?」


「え?ああ、じゃあ先に案内しますね。コピー用紙は廊下を出て、隣の備品室にあるので・・・」


 村元さんと廊下に出る。


「用紙はここにあります。ここに備品数を書く用紙がありますが、これはまた後で説明しますね。」


「これはどう書いたらいいんですか?」


「うーん、ちょっと用紙いれるの先にやりましょうか。」


「そんな一気にいわれてもわからんよ。初日なんですから。」


 え?急かしてしまっていたのだろうか?申し訳ないと思いながら部屋に戻る。


「で、さっき言ったみたいにここを開いて・・・」


「さっきの用紙の書き方はどうしたらいいんですか?」


 こんな感じで結局用紙の補充に30分もかかってしまった。

 その間、男性職員から「ちょっとコピー機まだ?使いたいんだけど?」などと言われたが、こっちだってそれどころじゃないんだよと思い、「今、やってます!」と強い口調で言うと、「あ、ああ、そう…。」と下がっていった。


 問題はそんなことではない。村元さんと話がかみ合わない。たしかに村元さんの言う通りまだ初日だ。けれど、うまく会話が成立しないのだ。


 そんなことを考えていると、教科書のある一ページが浮かんだ。





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