19 正義って何ですか
結局村元さんが来て3日間、仕事は正直全然進まなくなった。やはり話が全くかみ合わないのだ。さらに言えば、村元さんはメモも取っていないのに同じことを何度も聞く。だが、不思議なことに始めは戸惑ったもの私は全くイライラしなかった。
また村元さんは仕事以外にもみんなによく話かけてくれたのだが、すごく忙しいときに「もう少しで桜が咲くねえ。」とか大きな声で「みんな昼ご飯弁当、デスクで食べているけど嫌じゃないのかなあ。僕は気分転換に外に食べに行くけどねえ。」とか、臨時職員が集まって作業しているところに「今日は疲れたねえ。みんなでカラオケでもパァーっといくかい?」とか全部が妙にずれていた。私はなんだかそれがすごく面白くて、ずっと笑っていた。なんだか、私が勝手にこれをしちゃだめ、あれをしちゃだめって思っていたことを村元さんが全部やってくれるおかげで、私に張っていた見えない膜のようなものが壊されていくようだった。
だから、本来業務連絡以外に職場の人に話しかけるのが苦手な私でも、村元さんには「今日はどこで昼ご飯食べてきたんですか?」とか「もう、さっき言ったじゃないですか!メモ取ってくださいね!」と冗談交じりで言うことさえできた。
私は村元さんが結構好きだった。もちろん恋愛関係とかではなく、友達というか、むしろ子どもを見るときのようにその言動に新鮮さを感じ、刺激を受けていた。
しかし、周りの人たちは違ったようだった。
「林さーん!」村元さんが2つ離れた島の方から大声で呼んでいる。ああ、みんな仕事してるから近くに来てから離さないとだめですよって教えてあげないと…と思い走りだすと、横から
「うるせーな。」と声が聞こえた。
驚いて横を見ると、たまに仕事を手伝ってくれる橋本さんだった。私がみていることに気づくと、
「林さんも大変だね。アレ、ほんとにうるさいよね。仕事のじゃまだし。」と私に同情するように言った。
情けないことに私は「そうですかね…?」と笑ってごまかすしかできなかった。
それからことあるごとに私のデスクに来ては村元さんの愚痴を言うようになった。
「さっきこんな質問されて、答えたんだけど林さんが前言ってたことと違うって怒られてさあ、俺言ってること合ってるよね?」
「なんか村元さん、おやつ食べ始めたんだけど。」
「ほんとにうるさいよな。声量やばいだろ。」
私はそのどれも笑ってごまかすしかなかった。
次第に橋本さんだけではなく、ほとんどの職員や臨時職員が村元さんに不快感を示すようになった。
初日に一緒に回覧を配りに行ったときは、年を取った男の人だってだけでいつも言わない「ありがとうございます。」と言っていた人たちが、今では村元さんが話すだけで侮蔑の表情を浮かべている。チーフは村元さんのミスを自分の島の人全員に見せて笑いものにしていた。「こんなんじゃ使い物にならないから。俺が全部やり直すから。」と言われた村元さんは「え、でも3時間もかけたのに、少し修正すればいいじゃないですか」と言っていたが、結局却下され、その日は体調が悪いと言って帰ってしまった。
今までチーフは上の人間にペコペコしている姿を見ることが多かったが、私たちに優しくしてくれることも多かったし、物腰の柔らかい人だと思っていた。それなのに自分より下だと思った人にはそんな言い方をするのかと愕然とした。
臨時職員はよく職場の角で集まって愚痴大会が始まるようになった。私は「でも、結構助かってることもあるんですけどねー。」といったフォローしかできずに、「まあ、林さんは優しいからね。」と言われていた。
職場全体が村元さんを悪だと思っていた。きちんと仕事をこなす自分たちは正義、うまく仕事をしない村元さんは悪。悪にはどんなことをしてもいい。だってそれが正義なのだから。
保育補助をしているときも同じようなことがあった。泣いている子や先生の言うことを聞かない子に話を聞こうとすると、担任の先生が来て「林先生、その子はほっといていいから!」という。お昼寝で眠れない子の側で話していると、「もう、林先生は優しいんだから!」と言った後にその子を叱ってこうやって寝かしつけはするのよ、という。
先生の言うことを聞くのが正義、聞かないのは悪。厳しくするのは正義、優しいのは悪。私は正義の目にいつも見られてついに身動きが取れなくなってしまった。
ある日のお昼寝の指導の時、たくさんの子ども達が起きていた。そして廊下の端に私にいつも「優しいねえ!」と言ってくる先生の姿が見えた。私はとっさに「寝ない悪い子は赤ちゃんクラスに連れていくよ!」と、その先生がいつも使っている脅し文句を叫んだ。最低だった。廊下の端からグっと親指を突き上げている先生を見ながら、辞めようと思った。
もうそんな思いはしたくない。
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