17 コーヒー

 小さな窓から朝の光が差し込んできて眩しい。


 昨日はやっぱり1次会で帰ってきたのだが、そのあとシャワーだけ浴びてすぐに眠ってしまった。


 ぼーっとしていると9時になった。スマホをいじったり、漫画を読んでいると10時になる。


 郷はまだ隣で眠っている。


 パートで通信大学生の私は「社会人」でもなく「学生」でもない。そんなちゅうぶらりんに比べて郷は「学生」というれっきとした名前があっていいなあと寝顔を見ながら羨ましくなった。その思いは次第に刺々しいものに変わっていく。


 なんで毎朝私が朝ごはんを作らないといけないのか、この人はいつまで眠っているつもりなのか、なんで私ばっかり働かないといけないのか、なんで私ばっかりいつも仲間外れなのか。私ばっかりが郷と関係ないところまでも広がっていく。


「いつまで寝てるつもり!休みの日くらい私の代わりに朝ごはん作ってくれてもいいじゃん!」


 気が付くとそんな言葉が口からでていた。郷は半開きの目で何事かとこっちを見ている。


 私はさらに大声をあげる。

「朝ごはんくらい作ってくれてもいいじゃん!いつもいつもわたしばっかり!」



「ごめん…。」

そう言うと、郷は体を起こしキッチンへ向かう。お湯を沸かす音が聞こえる。


完全な八つ当たりだと分かっている。最低だ。お湯の温度が上がるのに反比例して私の頭は冷えていく。


郷がコーヒーを入れて戻ってきた。


少しの沈黙の後、

「ごめん。本当にごめん。」と私が言うと、

「ううん、俺の方こそごめんね。」とその必要はないのに郷も謝った。


「郷は謝る必要ないの。完全に私の八つ当たり。ごめんなさい。」


郷は微笑みながら「大丈夫。」と言うのを見ると、私の中で何かが決壊した。


「県庁に入って3週間経って、門田さんの仕事見てすごいなあとか責任持っててすごいなあって思って私も必死に頑張ってるんだけど、廊下を通るときには職員と対面したら絶対私たちが避けないといけないし、どんだけ忙しくてもゴミがいっぱいになってたら怒られるし、チーフは普通に言えばいいのに耳元でささやいてくるし、すみませんっていうことばっかりだし…。私たちはどんなにがんばってもただの臨時職員で、なんか家来みたいで、どうせ作り出せない、ちっぽけな存在って思われてて…」


私が一息でそこまで言うと郷は少し怒った顔で

「それは誰が言ってるの。」と言った。


「職場の人…」私が言うが、郷は首を振る。


「お前たちは家来だ。道をよけろ。何もできないって言われたの?」


今度は私が首を振る。


少しの沈黙の後、郷が口を開く。

「廊下で避けてるのも、すみませんって言ってるのも、臨時職員は何もできない存在だって思ってるのも、吉自身だよ。」


「だってみんな私たちに理不尽に怒ってきたり廊下でどかないと邪魔って言われたり、嫌なことされたりするし…」


「それは吉がだめな存在だからじゃなくて、その人達に原因がある。けど、吉がその原因を自分に求めると、吉の中でそれは確固たるものになってしまうよ。それは思い込みって言ったりもするけど。」


 食堂のおじさんの顔、小学校の同級生、バイト先の仲間、課長の顔…時系列はぐちゃぐちゃにいろんな顔が出てくる。


 ずっと抱えてきた思い、“集団に受け入れられない”それは全部思い込みだったのか。私のせいではない?思い込み、よくわからない。


「でも、じゃあ、ずっと変わらないじゃん。」でも、だって、子どもみたいな言葉ばっかり口から出てくる。もう私は言葉に一切の思考を挟む余地はなくなっていた。


「うん。相手の行動や言葉は変えられないよ。けど、自分の行動は変えられる。自分で自分の存在を受け入れること、認めること。吉が一番すべき努力はそれなんじゃない?」


「そんな、だって私は何もできないし、人間関係も自信ないし…」


「うん。大丈夫だから。」


郷が私を抱きしめる。いつもこの瞬間に自分はこの人に受け入れられていると思う。


けどこの暖かさを自分で感じることなど、到底無理なように思う。


 郷の背中ごしにエプロンが見える。いつもいつも私ばっかり!少し前に郷に言い放った言葉を思い出す。


 私ばっかり。嘘だった。

 晩御飯を作って待っててくれていること、疲れたと言えば暖かい飲み物を持ってきて話を聞いてくれること、お腹が痛いときは優しくさすってくれること、それらを全部見ないフリをして、都合のいいところだけ切り取っていた。


 私は今までもそうだったのだろうか。


 から揚げの端っこを切って味見させてくれた食堂のおじさん、無視されたときにとなりに居てくれた友達、ずっとわたしに話しかけてくれたバイト先の人、課長が去った後、大丈夫?と言っていくれる人。

 次々といろんな場面が浮かんできて、涙が溢れ出した。私、本当は知ってたんだ。


 けれど、今まで”私は受け入れられていない”という思い込みを成立させるためだけに、それを見ないふりをして他の場所だけ切り取っていたのかもしれない。


 そう思うと今までの世界が180度変わって見えるような気がした。


 わたしは世界に受け入れられている、そう思った瞬間、ふっと体の力が抜け、眠くなってくる。コーヒーの覚醒作用はわたしの思い込みじゃないはずなのだが。私は10年ぶりの2度寝なるものをした。








 

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