仕事

11 華金

  金曜日の夜、少し前の言い方で言うと「華金」。私はスーツの人たちに囲まれて居酒屋にいた。


 話は午前中に戻る。

 勤務2日目、意気揚々と出社した私のもとに近藤さんがなにやらボードに挟まれた紙を持ってきた。


 「今日の夜なのですが、今日で退職される職員さんと林さんの歓送迎会を行うので来ていただけますかね?」


 嫌だ。一瞬でその言葉が浮かぶ。


 なぜ大人は理由をつけて飲みたがるのだろう。カラオケで勤めていた時は「なんかバイトで飲もうってなって林さんも参加しない?」、保育園で保育補助をしていた時は「うちには納涼会っていうのがあってできる限り参加してほしいんだけど…」。


 誘ってくれるのはありがたいと思うが、私は家にいることが好きなのだ。お酒や居酒屋は好きだが気心知れた人と飲むのが楽しい。何が楽しくて勤務時間外に気を使わないといけないのだろう。


 私は近藤さんの持ってきた『歓送迎会のお知らせ』と参加者名簿にざっと目を通した。門田さんは参加、吉岡さんは不参加か…。次に『参加費 4000円』という項目に目を付けた。


「本当に申し訳ないんですが、月末で手持ちがなくて…。」


 私が歓迎される会というのはわかっている。しかし、勤務時間外に父ほど年の離れたスーツの人たちに気を遣うのは嫌だ。防衛本能は脳をフル稼働させ、その答えを近藤さんにたたきつけた。



 この会の幹事であろう近藤さんはかなり困っているようで申し訳なかったが、金銭的なものでは何も言えないだろう。6500円に満たない私の日給では参加費4000円出せないのだって嘘ではない。


「そうですか…。わかりました。こちらこそ申し訳ないです。」

 こんな時でも近藤さんは紳士なのだ。その横顔を見ながら、将来こんな上司になりたいと思う。


 近藤さんが自分の席に戻っていくと、課長が近づいてきて早口でコピーを頼んできた。これをそれぞれ3部ずつ白黒両面で、それを聞き取るのに精いっぱいだったが、昨日門田さんに教えてもらったことを思い出して走り去る背中に「いつまでですか?」と食い込んだ。


 「できるだけ急ぎで!」


 できるだけ急ぎ、午前中までか1時間かわからないがとりあえず急ぎで取り掛かろう。コピー機を開けていると「林さん、ちょっと手伝ってくれる?」と声がする。


 後ろを振り向くと、入り口で門田さんが手招きしている。そのまま門田さんについていくと廊下に大きなポスターが置かれていた。

「これ午前中までに発送しなくちゃいけなくて。私ポスター巻くから、その包装紙で周りを包んでくれる?」

「包む?」

「そう。配送中に傷がつかないように…あっ、筒の中に緩衝材も入れてくれるかな。」


 ポスター一つ送るのにこんなにキチンと包装するのかと思いながら、門田さんがポスターを巻くのを見る。巻き終わりを見ていると、右下に『県庁観光課』とロゴが入っている。


 なるほど、分かった気がした。門田さんは県庁を背負って配送準備をしているのだ。ぐちゃぐちゃな状態でポスターが届けば、県庁はちゃんと仕事しとらん!となるかもしれず県民からの信頼が下がる。


 いくらきれいな状態でポスターが届いてもそれは当たり前で、誰も門田さんを褒めることはない。しかし、それでもなお県庁の名に懸けてポスターをきれいに丸める門田さんはとてもかっこよかった。


 私もがんばろうとポスターを包装紙で巻き始めた時、


「もうちょっと端に寄ってくれない?こないだクレームも出たので。」と頭の上から声が振ってきた。


 スーツの女の人に門田さんは、すみません!と謝る。私も謝りながら、周りを見たが、人が通れる広さを開けているし、大きな荷物が通るような気配もない。門田さんは「気にしなくていいよ。あの人うるさいから。」と言ったが、胸にもやもやしたものは残ったままだ。


 門田さんと作業を終え、部屋に戻ると課長が駆け寄ってきて、

「林さん!どこ行ってたんだ!さっきの資料は?コピーできた?」とまくしたてる。


 「いえ、まだ1枚しか…。」

 机の上を見ると、コピーしかけていた資料のクリップが取れて順番がぐちゃぐちゃになっている。

 「あっすいません!」とっさに資料の順番を直そうとするが、課長は私の手から資料を奪い取り、

 「何してんの?順番もぐちゃぐちゃだし!もういい!」と走っていった。


 ああ、だめだ。視界がにじんでいく。泣くのは、社会人として、ダメだ。ていうか頼まれてから30分も経ってないし。今度頼まれたときは詳しい時間まで聞くようにしよう。よし、と持ちこたえた頃、近藤さんが近づいてきた。

「さっきの歓送迎会なんですが、林さんは主役ですし半額の2000円でいい、ということになって。参加してもらえます?」


 まずい。近藤さんが上に掛け合ってくれたようだ。


 そこに、門田さんを「おばさん」呼ばわりしたあの男性社員が通りかかる。

「えー、林さん主役なのに金取るの?俺が払ってあげるよ。」といい、財布から2000円を取り出し、近藤さんに渡した。


 「じゃあ、来ていただけるということでよろしいでしょうか?」という近藤さんの問いかけに、「はい」という以外の選択肢はなかった。


 人々の優しさが苦しい・・・。


 ああ、人生で避けていた類のものについに参加する日が来てしまった、常に金欠か用事か体調不良で潜り抜けてきた私のドリブルはついに止められてしまった。どうしよう、と思いながらも「おばさん」男が2000円払ってくれたことを思い出す。


 席を立って、改めてお礼を言いにいくと、

「ああ、いいよいいよ!今日俺は娘のお守りで行けないし、こいつにいっぱいお酌してやって。」と後輩女子社員を指さした。そのセリフはなんだかいい人そうで困惑する。


 そして退社後、私はスーツの人々に囲まれながら居酒屋さんに行くことになった。隣には「おばさん」男の指さしていた原さんという女性社員がいる。


 話してみると、私と3歳違いでこの課に配属になったのは去年の4月からだということが分かった。大学時代の話や就活の話などたくさんの話をしてくれ、まっすぐな人だなあという印象が残った。


 その後も入れ替わり立ち代わりいろんな人が私の隣に来て話をしてくれた。驚いたのは、みんなあまり料理に手を付けないことだ。どの机にもたくさんの料理が残っている。サークルの頃の飲み会だったら一瞬でなくなる量が結局お開きになるまで残っていた。から揚げ、お刺身、ステーキ…持って帰りたいという気持ちを抑えながらコートを着る。


 2次会はやはり断って帰ったのだが、帰りながら、思っていたような嫌な時間ではなかったしむしろ楽しかったなあと思った自分にまた驚いた。


 

 

 


 





 


 

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