3:サヨナラの過程

 結局のところ。

 自分が機関の二人から館の出入りを禁じられたのは、館の危険性が確かめられたということであり、当初に彼らから告げられていたボーダーを超えたということ。

 つまり、館を破壊するための条件を満たしたのだ。

 豊吾さんから情報の横流しを受け取った翌日、ファミレスで巌洞さんから同じ内容を正式なものとして告げられたため、事態は確定された。

 この時点で取り壊しの日取りも決まっており、細かな段取りも教えてもらい、そうなると子供の自分にはもはや何一つ差し挟む余地なんか残ってはいなかった。

 だから、最後に彼女と会わせて貰えるのは、一重に巌洞さんの心遣いと、根回しと、こちらへの同情であろう。

 館が作り出したという仮定が正しければ、今後二度と会えなくなるだろうから。

 危険はあるが、ただ好きな人と引き裂かれるのは酷だろうから。

 そんな優しさから、今日という日をセッティングしてくれたのだ。

 人の少ない夕暮れの住宅街を、館へ向かって歩いていく。

 気遣いはありがたく、けれどもいったいどんな顔をしていればいいものか、自分には決めかねながら。


      ※


「なあ霧島」

 道すがら。

 同行していた大見倉先生が、眼鏡を夕日に光らせながら、困ったように声をかけてきた。

「旭に会えるかも、って言われたから館に行くことも許したし、見張りの名目で無理矢理ついてきたけどな」

 この不可思議な話を、可能な範囲に収めてでも、少なくともこの人には伝えておくべきだと思ったのだ。

 なにせ、富士崎さんの友人なのだから。

 だけども、

「要領を得ないんだよ、お前の説明は。あたしの授業、ちゃんと聞いているか?」

 現国担当の担任は、なかなか厳しい。

「あの館が取り壊されるから、最後に見に行くんだろ? それが、どうして旭の話につながるんだ」

 問いは当然で、自分自身も完璧に把握しているわけでないから、説明があやふやになってしまうのは仕方がない。

 そもそも、仮定と推定ばかりで、自分自身の身に起きていることすら怪しいのだから。

 自分の会っている、恋をしている富士崎・旭は何者なのか。

 外見や言動から、七年前に先生の友人であった富士崎・旭とほぼ同じ人物であることは間違いない。時系列がおかしいという、致命的なハードルさえ除くことができたなら、だが。

 加えて、実感はないが、館自体が超自然的な存在であるとも。

 この手の、意味が分からない事象は省いて、ただ『富士崎・旭に会えるかも』とだけ説明しているから、先生の混乱は当然だ。

「僕も、はっきりわかっていないんです。ただ、あの人らが会えるから、って」

 自分が館の中で会っているのが富士崎・旭である、ということも先生には内緒だ。

 昔にいろいろあって失ってしまったもので、今はある程度割り切っていることのよう。だから、下手なことをすると先生を傷つけてしまいかねない、と思って口に出せなかった。

 気遣っての曖昧な弁明は、結局先生の両肩を呆れに落とすことになったが。


      ※


「あの館で、人に会っていたんです」

 歩きながら、今まで隠していたことを告げると、

「お前、それって」

 大見倉先生の顔色が、目に見えて青ざめていった。

 当たり前だろう。先生の友人、富士崎・旭も、あの館で何者かに接触していて、最後には悲惨な状況になったのだから。

 詰問の姿勢、つまりアイアンクローの構えに入ったけれども、

「……まあ、それならアイツには感謝だな。館を壊してしまえば、あんなことも起きないだろうから」

 スーツの鉄面皮を思い出したようで、納得に爪先を収めてくれた。

「それで? やっぱり、いい思い出だったか?」

「はい。だから、本当を言うと館が壊れてしまうのは心残りで……やっぱり、というと先生のお友達も?」

 自分の会っている富士崎・旭が館の作り出したものだとしたなら、その元となった富士崎・旭もまた、笑顔の絶えない溌溂とした人だったに違いない。

 そりゃあすごかった、と先生は笑い、

「調理実習に気合が入っていると思いきやアタシの分まで分捕っていったし、プールの授業が終わったら中庭で水着をえらい絞っているんだぞ? 何してるかと思ったら、彼に見せてあげるんだとか笑って」

 どきり、とする。

 そのクッキーも、水着姿も、自分の受け取っていたものじゃないか?

 きっとそんな過去の出来事を、館が再現しているのだろう。

 けれど、それだと、彼女の好意は、自分に向けられたものではなかった?

 いや、少なくともこちらが向けていた好意は本物であるから、惑う必要はないと言い聞かせていると、

「けど、良い事だと思ったから、あたしも何も言わなかったんだよ」

 意外な言葉に、ネガティブな思考が断たれた。

 富士崎さん自身でなく、先生が良い事だった、と言ったことが小さく衝撃だったのだ。

 大火傷のこともあり、悪い印象を持っていると思っていたから。いかに過程に好意的だったとしても、悲惨な結末があったのなら事象そのものを敵視してしまうものだと考えていたから、虚を突かれてしまう。

 言葉を失ったこちらへ、

「旭はな、家に居場所がなかったんだ」

 先生は遠慮なく、矢継ぎ早に追い打ちを叩きこんできた。


      ※


「え?」

「小さい頃に母親を病気で亡くして、すぐに再婚した義母とずっと折り合いが悪くて」

 当然、実の父親とも関係が悪化していった。

「家に帰りたくなくて部活に没頭して、部活を辞めたら館に入り浸るようになって。だから、良かったと思っていた」

 驚きだった。

 あんな、太陽のように笑う彼女が、こちらに何一つ『悪いこと』を見せなかった彼女が、そんな疵を隠していたなんて。

「アイツにも、待ってくれる、待つことのできる場所ができたんだな、って」

 そうか、と納得。

 富士崎さんも、自分と同じような理由で館へ訪れていたのか。それも自分のように下を向いて諦めているのではなく、明るく、太陽のような笑顔を掲げて。

 惹かれるわけだ、と納得する。

 だから改めて、館が失われることがひどく惜しく思えてしまって。

 自分を待ってくれる人誰かいる場所が。

 自分が誰かを待つことのできる場所が。

 拠り所が間もなく失われるということが、こんなにも辛いとは。

 どうせ子供の自分には何もできないのだから、と諦めていたのだけど、そんな諦めが緩んできている。

 ……館についたら、巌洞さんに話をしてみよう。

 ささやかな決意を結んだところで、先生が訝しげに声をあげた。

「なんだ、あれ」

 指さす先は、館が隠れる雑木林の方角。

 まだ幾分距離はあるが、五分もかからないほどだ。

 その上天が、黒く煙っていて、

「……火事?」

 夕暮れの空が、炙られるように汚れ始めていた。

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