2:整理整頓

 夕暮れ時の商店街は、まあ、それなりに賑わっていた。

 地元スーパーを中心にして生鮮食品店が並ぶ小さな田舎のショッピング街だから、今晩の献立を考える老若男女がうろうろとしている。それだけでなく、ゲームセンターとカラオケ店、書店に小物屋も構えているため、暇を持て余している学生らの姿も多い。

 そんな混雑とは到底言いようのない程度の緩やかな人波に、自分と豊吾さんは形ばかりとはいえ乗っていた。

 手は、相変わらず掴まれたまま、離してくれない。

 スーツ姿の大人の女と、小柄な制服姿の学生の組み合わせだ。ただでさえ人目を引くというのに、

「なんだか、じろじろ見られてるなあ」

 面白がるように笑う豊吾さんは、控えめに言っても目立つ。

 女性にしては背が高く、顔を見れば意匠を施した革眼帯というフックもある。そして、眼帯というハンディキャップを差し引いても、異論なく美人なのだ。

 当然視線を集めるし、暇な男子学生たちは尚更。

 クラスメイトにだけは見つかりたくない、と願っていると、

「お。抹茶アイスだ」

 と、目にとまったお茶屋さんののぼりを指さしたかと思うと、返事より早く引きずられてしまった。

 抹茶とバニラを勝手に注文するから、

「え?」

「味、二つあった方が楽しめるでしょ」

「いや、そうじゃなくて」

「ああ! 心配ないない。お代はお姉さんにお任せだよ」

 いや、それも違うくて。

 やっぱりこの人苦手だ、と思っていると、抹茶の方が手渡される。

「そんな病院待合室の柴犬みたいな顔されちゃあ、抹茶は譲らざるをえないなあ」

 緩く笑い、

「けど、一口ちょうだいね」

「え、あ」

 と先端に吸い付き、半分ほどまで頬張っては連れ去ってしまった。

 唖然とするこちらに、うまいうまいと舌鼓を盛大に打ち鳴らすと、

「はい。少年も一口どうぞ」

 自分の手に持つバニラを差し出してくる。

 どうにも圧力が強くて、逃れきれるものでも無さそうだったから、小さく一口を含む。

 濃く甘いミルクの香りが鼻に抜けて、同時、彼女から漂う煙草の臭いにも気が付いてしまう。

 ずっとこの距離だったから、いつの間にか慣れて気にならなくなってしまっていて、それも含めて、苦手な人だと再認識して、けど不愉快に感じてはいなくなっていることに気が付く。

 驚いてしまったが、表に出すようなことでもなくて、誤魔化すように先端を奪われた抹茶アイスに口をつける。

 甘い苦みの奥に、やはり煙草の臭いを見つけて、口の端を歪めてしまう。

 決して、不快ではない思いで。


      ※


 商店街の散策は、二人並んだままで続けられた。

 いっこうに解かれない手の拘束も、抹茶アイスを食べきる頃合いには諦めがついてしまって、気にならない。

 ただ、この人は本気で自分を館に行かせないつもりなのだと、ありありと悟るだけ。

 心配してくれての措置であるからありがたいとは思うが、こちらの最大の要望は『富士崎さんに会いたい』だから、不満はある。

 だから前に進む足はなんだか重くて、手を引かれるような恰好だ。

 半歩ほど先を行く豊吾さんが足を止めるのは、だいたいが食べ物関係だった。

 精肉店のメンチカツ、和菓子屋の串団子、青果店の試食のメロン。足を止めてはいい匂いだなあ、と笑って、二つを注文していた。

 不思議なもので、そこで消費してしまえる物にしか興味を示さず、小物屋や書店などは見もしない。どうしてか、と問うと、

「小さいものはすぐに失くすし、本は内容が頭に入らなくてねぇ」

 なんていう、がさつであることの自己申告をされてしまったから、何も言えなくなってしまった。

 今はベーカリーショップで買った焼き立てだったメロンパンを頬張りながら、商店街の終点を目指している。

 すでにお腹が膨れていて、食欲を波立てる芳ばしい香りは良いのだが、なかなか辛いボリュームだ。

 二口三口で手が止まってしまい、

「まあ、記憶がなくなるなんて、普通じゃないからなあ。ショックなのはわかる」

 豊吾さんは、こちらの満腹を勘違いしてしまった。

 いや、ショックなのは確かだし、少なからず今後のことに頭を巡らせていたことも正しい。だけれども、思考の大半は富士崎さんと、手元のメロンパンの処遇についてだったから、まあ勘違いの範疇だ。

「けどさ、思い出とか過去のことってのは、通常の手順として脳が順番に処理していくものだろ? 少年の場合、それがひときわ極端になっただけだと思うんだ」

 メロンパンをかじり、先を、商店街が終わって県道にぶつかる地点を見つめながら、豊吾さんはそんなことを言う。

 いつもの、薄く軽い気配は口元になく、真顔で。

「必要、不要を選別して、無意識のうちの整理整頓をしているんだ。だから、本当に大切なものは絶対になくならないだろうし、無くなってしまったものは大切じゃあなかったんだと割り切って、肩の力を抜いた方がいい」

 豊吾さんの言葉は、今までに見たことのない真面目な顔をしているせいか、なんだか染み入るものだった。

 けれど、実際に頭の中が欠けていって、実感も得ることができないでいる自分には納得しがたい。反発を強めに耳を傾けると、

「館の中で、いい思い出を育んでいるんだろう? きっと、失くしたくなんかないほど、楽しくて甘い思い出を、さ」

 横目でこちらに、木漏れ日のように柔らかな表情を見せると、

「失くしたくなんかない、って思っているうちは大丈夫さ、きっと」

 ああ、とようやく悟る。

 この人は、自分を励ましてくれていたのだ。

「こんなおかしな事態に巻き込まれたんだ。すべて終わった時に、ああ夢のような出来事だった、と笑いながら整理整頓をすればいいと思うんだよね」

 そして、

「あたしらみたいな不要で不審なものは、とっとと忘れてしまえばいい」

 商店街の端に辿り着き、足を止め、向き直ると、にっこりと微笑んで見せてくれた。

 いつもの癇に障るニヤつきは影もなく、すごく透明な自然な笑顔だ。

 とてもキレイで吸い込まれてしまい、思わず見入ってしまった。そんな視線に気が付いたのか、

「ま、参考程度にね」

 と、バツが悪そうに肩をすくめて、あっという間に透明感を濁らせていった。

 なんだか惜しい気持ちでしばらく見つめていると、

「あ、そうだ。煙草切らしていたんだ」

 思い出したようにスーツのポケットを叩き、視線を切ってしまう。

 辺りを見回しコンビニを指さすと、

「ちょっと待っててくれるかい? すぐに戻るからさ」

 ずっと繋いだままだった手を放し、小走りで自動ドアの奥へ消えていった。

 不意に無くなった温もりに、どうして手を繋いでいたのかと思い返して、事の始まりに記憶が至る。

 ああ、そうか。だから、自分は富士崎さんに会えていないのか。

 一人残されて、

「……いかなきゃ」

 なんだか無性に、富士崎さんと会いたくなってしまって、居てもたってもいられなくなって。

 沸き立つ衝動の理由なんかわからないけれども、迷う理由だってないのだから。

 商店街の人波の中へと駆け出していく。

 後ろで、豊吾さんの呼び止める声が聞こえた気がしたが、躊躇いもなく。

 追いつかれまいと、必死に、全力で、今来た道を戻っていくのだ。

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