EP
自分とあなたは、気づくと草むらに転がり、赤々と照らされる雑木林を見上げていた。
どうやって館の外へ出たのか定かではないが、ひとまず五体無事に、夏草に体温を吸い込ませている。
夢だったのか、なんて過ぎりもした。
けれど、焼けてひりひりとする腕や頬は痛いし、何より繋いだままになっている手を否定はしたくなんかないから。
なんとも気の抜けた心持になっていて、きっと顔も呆けているのだろうな、なんて考えると、じゃあ彼女は? などと気になりもして。
ぐいと顔を向ければ、
「っ」
穏やかに笑うあなたの隻眼から、じっと見つめられていた。
どきりとして、思わず視線を逸らすと、
「なんだい。さっきはあんなにも情熱的に唇を奪ってくれたのに」
寂しいじゃないか、とからかうように笑われてしまう。
いやそれは、と言葉に詰まりながらも、やはり夢ではなかったのだと確かめられた。あの心の熱量が幻でなかったことが、すごく嬉しい。
※
ここは、おそらく館の裏手だ。
正面だったなら、大見倉先生や巌洞さん、それに救助で向かっていた消防の人たちの姿があるはずだから。
彼らの声は、まだ遠い。
二人だけの時間を、まだもう少し貰うことができているから、
「巌洞さんは、このことを知らなかったみたいでしたけど」
いろいろと聞いておきたいことがある。
鉄の面が慌て狼狽える姿は事情を把握しているとは思えなかったし、そもそも『当時の富士崎さん』が会っていた相手が自分である、ということもわかっていなかった。
なにせ『富士崎・旭は誰かに会っていたという記憶を持っているが、相手の名前はわからない』という認識は、巌洞さんの口から聞いた言葉だ。
そりゃあねぇ、と愉快そうに口端を曲げながら、
「ひと時だって、王子様の名前を忘れたりなんかするもんかよ。ずっと知らない、忘れたフリをしていたんだよ」
「え? じゃあ」
「名前を出したら面倒なことになるだろ? そっちだって、そう思っていたから『富士崎・旭』の名前は極力隠していたんじゃないのかい?」
確かに言われる通りだ。
「実際、君が名前を出した途端、班長の追及がテンション上がったんだぜ?」
快活に笑うと、
「じゃあ、火を付けたのも……」
「もちろん独断さ。君の記憶がかなり怪しくなっていたからね」
待てなかった、と悔いのない声でもらす。
壊せば大丈夫、なんて保証はないのだが、近づかなければ回復することは自身で実証済み。だから、間違ってもこれ以上出入りしないように、出し抜いて壊すことに決めたのだとか。
こっちの感想としては、
「そんな乱暴な」
呆れるしかない。
自分の恋する、太陽のように明るく無邪気なあの人が、なんとも短絡的な物言いをすることに笑ってしまう。
笑われて拗ねたように口を尖らせると、
「じゃあ何かい。あたしのことを忘れてしまっても良かった、っていうのかい」
なんとも意地悪な問いだ。
嫌に決まっているが、じゃあ代わりの手段をと考えると思いつくものがない。
言葉に窮したこちらに満足したのか、
「君が嫌なら、私だって嫌なんだよ。たとえ、それが『富士崎・旭だけ』だとしても『豊吾・紫暮は死んでしまう』だったとしても、すごく嫌だ」
さっきまでは、消えてしまったほうが良いなんてうそぶいていたけどさ、なんて、
「やせ我慢だよ。本音だけじゃあ、大人は子供に示しがつかないんだから」
照れた、なんだか可愛い笑みを見せつけられるのだった。
※
「結局、この館はなにがしたかったんでしょうね」
ずっと、富士崎さんを追うのに夢中で、視界になかった疑問だった。
こうして手をつなげるまでに至って、館が持つ異常性について、不思議が浮かんだのだ。
おそらく誰よりも実相に近い彼女も、ううん、と首を傾げて無理解を示す。
「記憶を食べる、のは間違いないんだ。じゃあ、どうして時間を捻じ曲げて、本来は出会うはずのない人間同士を引き合わせるのかというと、どうなんだろうね」
もしかしたら、と、
「思い出を効率よく作り出すために、相性の良い同士を引き合わせているのかもなあ」
なんていう思い付きを披露してくれた。
けれど、そうだとしたら、
「そうだとしたら、僕と……あぁ、えぇと……」
結論を伝える前に、言いよどんでしまう。
目の前の好きな人は、富士崎・旭であり、豊吾・紫暮である。
さて、すべてを聞いて一息ついた今、どちらで呼んだものかとあぐねていると、
「どっちも本名だ。好きなほうで呼んでいいさ」
機関に所属するにあたって、戸籍を真新しいものに変更したのだという。だから、どちらでも正しいのだと。
それなら、
「豊吾さん」
「お、そっちで呼ぶかい」
「ええ。富士崎さんが生きて積み重ねて、豊吾さんになったんでしょう? それなら、その道程を一つだって否定なんかしたくないですから……豊吾さん?」
まっすぐに見つめあっていた視線が、獣から逃げるようにゆっくりと逸らされていき、あまつさえ空いた手で目元を隠してしまった。
つながった手がほんのり力を強めて震えているから、
「あの」
「大丈夫。まだ大丈夫だから、続けて?」
問えば、うわずる声で、促してくる。
なら、と伝えかけた言葉を、再び組み立てなおして、
「もし、館が相性の良い者同士を呼び寄せるというなら」
どうしてか震え続ける手を握りなおすと、
「僕と豊吾さんは、そういうことなんですよね」
一度、跳ねるように大きく震えて、掴んでいた手が逃げていく。
え? と気配を追っていくと、腕を首の後ろに差し込まれ、柔らかな体をぴたりと寄せられて、
「ダメだ。もう我慢が効かないわ」
力強く、抱き抱えられてしまった。
※
驚く。
顔が胸元に押し込まれ、すごく濃い煤と煙草の臭いが立ち込めるが、密着して交し合う体温はとても心地良いから、
「おい! こっちに誰かいるぞ!」
体から力を抜いたところで、大見倉先生の声が響いた。
つまり、二人きりの時間はもう間もなく終わるようで、
「さすが、思い出の中のマイフレンド。もう少しで、物理的にも社会的にも死ぬところだった」
安心したような口惜しいような、複雑怪奇な表情で胸元から見上げるこちらに笑いかけてきた。
どう返せばいいものか、経験値の低い自分には答えなどなくて、されるがまま言われるがまま。だけど彼女の反応が楽しくて、愛おしくて、笑ってしまう。
落ち着いた様子の豊吾さんは、けれどホールドを解くことはなく、
「あたしらが付き合うことになった、って言ったら、あの二人、どんな顔するだろうね」
「……とりあえず、僕は先生にアイアンクローされると思いますね」
「なにそれこっわ」
「豊吾さんはたぶん、二人から説教じゃないですか? 特に先生は、ずっと心配してたし」
「まじかあ。庇ってくれるよな、カレシなんだから……おいおいおい、恐ろしいからって目を逸らしちゃだめだぞ? それが許されるのは羊だけだ」
笑った彼女は、怒られるのも必要経費みたいなもんだな、と近づいてくる足音に目を向けやる。
それでも、抱きしめる腕を緩めることはない。
二度と離さない、とでも示すかのように。
だから、自分はひどく強い煙草の臭いに溺れてしまう。
そして。
その奥に隠れる、微かで、確かなクチナシの花の香りにも。
遠かったあなたに、待っていてくれたあなたに、こうして追いつくことができたのだ。
だからこれからは、一緒に歩いていきたい。
少しばかり不揃いだけれども、この足並みを互いに揃えあいながら。
彼女が待つのはきっと僕だから ごろん @go_long
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます